Blue 〜ray〜
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「来たぜ。友雅と泰明だ」
小型の端末で発信器を隠し持ったふたりの動きを認めた天真が言う。
どうやら、ふたりとも無事のようだ。
画面上のふたつの光点は、見張りに見付かりそうになったのか、数分間ひとつの場所に留まっていたが、
今は真っ直ぐに天真たちのいる方向に向かって動いている。
先に邸の外に逃れるよう勧められるのを断って、その場に留まっていた鷹通は安堵の息を吐く。
天真の知らせを受けて、既に脱出路に控えていた頼久が、数人の仲間を率いて動き出す。
邸を囲む柵を越え、脱出用の車を静かに移動させる。
「鷹通。今度こそ先へ行けよ」
促す天真に、鷹通はしかし、首を振った。
「いえ、私はここに残ります」
「…っおい?!」
「どうぞ、ご心配なく。別に無茶をしようという訳ではありません。
ただ、私はこのまま会場に残った方が自然なのですよ。私は記者として、この舞踏会に招かれたのですから」
顔色を変える天真に、鷹通は自分の胸元にある徽章を見せて微笑んだ。
「鷹司夫妻が突然退出した理由を問われることがありましたら、取り成しておきましょう。
そうですね…急に奥方の具合が悪くなられたので、ご挨拶もままならずに失礼したことにしましょうか」
「…ああ、確かにそうしておけば、後になって疑われる心配が減るが…」
危険ではないのか。
天真はそう言い掛けるが、途中で口を噤む。
鷹通は危険を承知で行くと言っているのだ。
「鷹通殿、これを」
いつの間にか、戻ってきていた頼久が、一丁の銃を差し出した。
「万が一のときの為にお持ち下さい。
軍の使用する銃と同型のものですので、持っていることを見咎められたときも、誤魔化しが効く筈です」
「………」
鷹通は差し出された銃を黙って見詰める。
一瞬だけ、目を伏せた。
一部の権力者によって、真実が覆い隠され、不正が横行するこの社会を正したい。
それはジャーナリストとしての願い。
そして、もうひとつ。
脳裏に浮かぶのは、かのひとの夢見るような笑顔。
本物の青い空と海を見てみたかったと澄んだ瞳を輝かせていた。
いつか、その願いを叶えてあげたい。
それは自分ひとりでは到底為すことのできない望みだけれど。
せめて、その願いに少しでも近付けるよう手助けを。
それは、この胸に初めて宿った光。
やがて、目を開けた鷹通は、手を伸ばしてしっかりと銃を受け取りながら、微笑んだ。
「有難う御座います。必ず戻ってきます」
それは、鷹通がレジスタンスに加わり、自ら闘うことを決意した瞬間でもあった。
鷹通がその場から離れ、木々の合間に見えなくなったとき、やっと泰明と友雅が駆けてくるのが肉眼で見えた。
「…鷹通は?」
合流すると同時に、いない人物のことに気付いたらしい泰明が問う。
「邸内に戻った」
「何?」
「こら、待てって!泰明!!」
すぐさま鷹通を迎えに、身を翻そうとする泰明を引きとめて、天真は先程の鷹通とのやり取りを教えねばならなかった。
「…だから、鷹通は必ず戻ってくる。俺が保証するぜ」
「私もです」
請合う天真の背後で、頼久もしっかりと頷く。
「…分かった。今は私たちが一刻も早くここから脱出することが、残った鷹通にとっての助けともなるのだな」
「そういうこと。じゃあ、さっさと行くぜ!」
木々に紛れるようにして、車を待機してある柵の傍まで行き、再び頼久が柵を乗り越える。
裾を引き摺る動きにくいドレスを纏った泰明を、まずは天真が抱き上げて柵を越えるのを助け、
柵の向こう側にいる頼久がその細身を受け止める。
「有難う、天真、頼久」
「おう」
「大したことではありません」
そうして、次は天真が、最後に友雅が身軽に柵を乗り越え、待機してある車に乗り込んだ。
「…あれ?」
頼久が車を発進させて、少し緊張が和らいだとき、天真は初めて合流してからこの方、
友雅が言葉を発していないことに気が付いた。
そういえば、天真を真ん中にして泰明と友雅が離れている今のこの座り位置も何だかおかしい。
まずは、左隣の泰明を見る。
美しいながらも怜悧ともいえる無表情で、泰明は前方を見ている。
一見、いつも通りのようだが、その視線が硬い。
決してこちらを、特に友雅を見ないようにしているようだ。
同時に、硬いながらも澄んだ瞳には、ほんの僅かな艶の名残があった。
「……」
何となくこの状況の理由が分かった気がして、天真は次に右隣を見る。
目が合った友雅が、僅かに肩を竦める。
その頬がくっきりと手の形に赤く腫れている。
やったのは恐らく泰明だろう。
ここまで泰明を怒らせる何かを友雅がしたということだ。
天真は思わず呆れたような溜め息をつく。
「全く、この緊急時に…友雅、お前、何やったんだよ…」
「脱出途中に、邸の者に見咎められそうになって、咄嗟に一芝居を打っただけだよ。
だが、いささかやり過ぎてしまってね…この手形はその報いという訳さ」
「友雅」
悪びれることなく、むしろ愉しそうに応える友雅の言葉を唐突に泰明が遮った。
「それ以上言うな」
「おやおや」
素っ気無い口調だが、凍り付くような声音に、友雅は再び肩を竦める。
「姫君はまだご立腹のようだ。仰せどおりに、私は口を噤むとしよう。
悪いね、天真」
これ以上、姫君を怒らせる訳にはいかないからね、と、何故か嬉しげに言ってから口を閉ざす友雅。
元の通りに、押し黙りながらも、ゆっくりと白い頬を染めていく泰明。
天真は再び溜め息をついて、独り言のように呟く。
「…これじゃあ、何があったか、言われなくたって分かるぜ」
結局はただの痴話喧嘩だ。
全く、馬鹿馬鹿しい。
同時に、泰明に叶わぬ想いを寄せる身としては、逆に睦まじさを見せ付けられるような気がして、悪態を吐きたくなる。
それをどうにか堪えて、天真は友雅に向かってただ一言を放った。
「友雅、口に口紅が付いてるぜ」
「…おっと、これは失礼」
笑いながら自分の口元を軽く指で拭う友雅と、はっとしたように己の口元を押さえる泰明に、
運転席の頼久も密かに苦笑混じりの溜め息を零した。
花園侯爵邸の数ある客間の一室。
腰掛ける者のいないソファの前のローテーブルには、手付かずのまま冷めた紅茶のカップ。
豪華な家具調度に囲まれたその部屋の窓辺に、ひとりの背の高い青年が立っていた。
灯りを映して煌く金髪が広い背を覆う。
冷たいような、優しいような、見方によって真逆の印象を抱かせる端正な顔立ち。
その中で際立つ青い瞳がちらりと背後に視線を投げた。
「報告を聞こう」
青年の背後に控えていた軍服の男が、敬礼をしながら報告をする。
その顔色が目に見えて悪い。
青年は、窓外を眺めながら短い報告を聞く。
そうして、振り向かぬまま、ゆっくりと口を開いた。
「見付からなかったと?」
「は、はい」
冷たい声に、冷や汗を浮かべながら、男は頷く。
「…そうか。ならば、この舞踏会に謀反者が潜むと言う情報自体が間違いだったのかもしれぬ」
「は…情報源は確かなものだと私は聞かされておりましたが…いや、しかし、将軍がそう仰るのならばそうなのでしょう」
意外な応えに、内心驚きつつも、これでお咎めはなさそうだと、将校は安堵する。
その拍子に、ふと思い付いたことをそのまま口にしてしまう。
「しかし…御門や侯爵へはこのことをどのように申し上げたら良いでしょう。
邸内探索の際も、おふたりはせっかくの舞踏会を台無しにされたとご不快に思われていたそうです。
これで、何も出てこなかったとなると…厳しく追及されるのは免れないでしょう」
実質的な立場は軍部が上だが、仮にも貴族社会の中心となる御門と高位の侯爵を軽んじることは出来ない。
後から口出しできない形で、騒動の責任をある程度は取らねばならないだろう。
すると、笑みを含んだ声が応えた。
「そうだな…」
「アクラム将軍?」
その声音に言葉に表せない何かを感じ、将校は訝しげに歳若い将軍の振り向かない背中を見る。
「それについては既に考えてある」
「そうですか、出過ぎたことを申しまして…」
将校は謝罪の言葉を最後まで続けることが出来なかった。
背に流れる金髪がさらりと動いた。
振り向いた将軍の手に握られていたのは消音器付きの拳銃。
それを目にした刹那。
将校の視界は永遠に閉ざされた。
「この騒動はお前一人の独断が引き起こしたものだとすればいい。
その責任を命を以って償わせたならば、御門も公爵もそれ以上の追及はできない筈だ。そうだろう?」
将軍の言葉に、将校は応えることができない。
ただ、的確に頭を撃ち抜かれた躯を床に横たえるだけだった。
前半はコメディ、後半はシリアス。 全く統一性が無い話だな!(今更) この回でついに鷹通がレジスタンスに加わる決意をします。 同時に、やっすんへの想いも自覚したっぽい雰囲気(笑)。 この話においては、やはり天真はともやすらぶらぶカップルの突っ込み役です(笑)。 でも、やっすんらぶなだけにちょっと切ない…(目立ってないですが多分、頼久も/苦笑) そして、ついに過激アクラム見参(汗)。 彼の一見非道な行動の裏にある真意は何なのでしょう?(…と思わせぶりに言ってみたり) 諸事情により、エピローグは次回となります。 簡単に言えば、長くなってしまったと、そういう訳です(苦笑)。 個人的に変な場所で切ってしまって、いや〜ん(笑)な感じなので、次も早めにアップしたいです。 top back