Blue 〜ray〜
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ひとりになったアクラムは、拳銃を元の通りに懐に仕舞い、
邸の主に事情を伝え、また、部下に部屋を片付けさせるべく、身を翻した。
扉に向かう足をふと止めて、己の手を見遣る。
先程まで銃を握っていた白い手。
血塗られた手。
他人には見えない。
しかし、幾ら洗い流したところで決して拭えないほど、深く染み付いた色が彼自身には見えた。
その手を見詰めたまま、アクラムは僅かに整った唇の端を吊り上げる。
この手で今日初めて触れた手を思い出して。
手袋越しでも分かるほど華奢な手指だった。
無垢なほど…
白い手だった。
おかしい。
人を殺す為に造られ、その運命に従って幾度も人を殺めてきただろう、
その手も自分と同じくらい血塗られている筈なのに。
手だけではない、澄んだ瞳も流れる髪も、華奢な身体も、一瞬触れるのが躊躇われるほど穢れなく、清らかに見えた。
アクラムは嘲笑うように呟く。
「私とお前の違いは一体何なのだろうな…?」
それは心の在り様か。
例えば、穢れた心と澄んだ心。
ならば、その違いは何処から来る?
あれが造られた存在だからか?
或いは…白く清らかに見えること自体が偽りか。
自分と同様に、あれも周囲を欺いているだけの血塗られた存在なのか。
「答えはいずれ分かるだろう…」
自嘲の笑みを浮かべる唇にゆっくりと己の手を持っていき、アクラムは青い目を細める。
あれは自分のことを憶えていた。
捉えた手に口付けたとき、崩れそうになった細い身体。
例え、意識が憶えていなくても、身体が自分のことを憶えている。
それが分かっただけでも、今日の接触は充分に意義があった。
それだけで満足だ。
…今は。
「仲間の助けを得て、もっと力を付けるがいい。私を脅かすほどの力を。そうして、私の元へ来るがいい」
唇に浮かべる笑みを愉悦の笑みに変えて、アクラムはここにいない相手に囁き掛けた。
「待っているぞ……アズラエル…」
泰明らが藤原邸に戻って間もなく、鷹通は無事に戻ってきた。
客となっている貴族を初めとして、邸内にいるもの全員を対象とした取調べの最中、舞踏会への突然の軍の乱入、
そして捜索は偽の情報に踊らされた一将校の独断によるものと明らかになり、取調べは中断された。
そのときまで足留めされていた貴族は皆、尋問されることなくそのまま帰されたのである。
「件の将校は、この騒動の責任を取る為、将軍自身に処刑されたそうです。
全てが将校の責任だったというのは疑わしいですが、
あまりに過激な将軍の処置に、花園侯爵も追及の手を緩めざるを得なかったようです」
知的な眉を顰めて、そう鷹通は話を締め括る。
しかし、御門との会談は成功した。
皆で互いを労い合い、そこで改めてレジスタンスに正式に加わる意思を表した鷹通を泰明らは笑顔で迎えた。
そのうち、夜も大分更けてきたので、皆それぞれの部屋に引き取った。
静かなノックの音に、扉に背を向ける形でベッドに腰掛けていた泰明は振り向く。
「お叱りを受けに来たよ」
冗談めかすような口調で部屋に入ってきたのは、友雅だった。
そうして、まだ、ドレス姿のままの泰明を見て、意外そうに目を瞬く。
「さっき、バルコニーへ出てみたら、隣のバルコニーに部屋の灯りが漏れているのが見えたから、
起きているとは思っていたけど、まだ、着替えていなかったのかい?」
「……」
泰明は友雅を見上げるが、応えずに再び視線を元に戻して俯く。
少し解れてしまった髪が纏わる白い項を見ながら、友雅は苦笑する。
「もしかして…まだ、お怒りかな?」
「…そうではない」
「本当に?」
「友雅は、見咎められない為に、最も効果的な策を採っただけだろう。やり過ぎだったとは今でも思うが…」
「おやおや、これは手厳しい…」
「だが、もう済んだことだ。とやかくは言わぬ」
何処か覇気のない口調で話す泰明の傍へと近付くと、泰明は宝物のプラスチックケースを手にしていた。
中に篭められたたくさんの青い硝子片を灯りに揺らしながら、その煌きを眺めている。
「…では、何が君の愛らしい顔を曇らせているのかな?気掛かりなことでもあるのかい?」
問いながら、ゆっくりと泰明の隣に腰を下ろす。
僅かにベッドのスプリングがきしむのに、少しだけ泰明が俯けていた顔を上げる。
「私に話してみる気はないかな?少しは君の憂いを除く手助けが出来るかもしれないよ?」
「……」
優しい声音で労わるように問われて、泰明は暫し沈黙する。
時折、手の中でケースを揺らす。
やがて、小さな溜め息と共に口を開く。
「…良く分からないのだ……確かに気掛かりはある。だが、その理由が分からなくて…」
「じゃあ、一緒に考えよう」
もう一度優しく促す言葉に、泰明は言葉を継ぐ。
「会場で…一人の男に声を掛けられた。金の髪に青い瞳の男だ。私のことを知っているようだった故、軍の関係者だと思う」
「金髪碧眼の男で軍の関係者だって?」
驚いたように聞き返す友雅に泰明が視線を投げる。
「恐らく。友雅は知っているか?」
「直接は知らないけれど…それは、もしかしたら将軍かもしれない」
「将軍?」
友雅は僅かに表情を厳しくしながら頷く。
「ああ、彼の容姿は有名だからね。しかし泰明、よく無事だったね…」
もし、その場で泰明が捕らえられていたら、と考えるとぞっとする。
それに、将軍は泰明のことだけではなく、レジスタンスのことも知っているかもしれない。
一瞬そう考えたが、友雅はその最悪の可能性をすぐに否定する。
苛烈で冷酷だという将軍が、自分たちに対抗しようとする勢力を放っておく筈がない。
泰明はその男と会ったときのことをそのまま友雅に伝えた。
「…特に何かをされた訳ではない。それが分からないのだ。
あの男は私が何なのか知っていたのに、何もしなかった。だが、もっと分からないのは…」
「泰明?」
「おかしい。初めて会った筈なのに、私はあの男を知っているような気がするのだ。触れられたときに…そう感じた。
あの男と以前会った記憶も見た記憶も無いのに。
あの男が将軍だというのなら尚更、会うことなどある筈がないのに、何故…分からない……」
今までずっと、身体の内で渦巻いていた混乱と不安が言葉にするうちに表に出てきたのだろう、
泰明は俯いたまま幾度も首を振る。
泰明の言葉は、同時に友雅の胸にも僅かな混乱を呼び起こした。
軍の暗殺用アンドロイド「模造人形」として造られた泰明。
その泰明を将軍が知っていることは充分あり得る。
一方、泰明は軍属の研究所で生まれてから脱走するまでの一年間、一歩も外に出ることはなかったという。
その間、軍内部の情報媒体にすら触れさせてもらえなかったと。
確かな記憶力を誇る泰明が会ったことも見たこともないと断言するなら、それは間違いの無い事実だ。
当然そんな泰明が将軍のことを知っている筈はないだろう。
それなのに、泰明は将軍に対する理由の知れない既知感に戸惑っている。
そして、将軍は何故、泰明のことを知りながら、彼を捕らえなかったのか…
泰明と将軍との間には、泰明自身も知らない何かがあると言うのか?
それは一体…?
湧き上がる疑問に胸を波立たせながらも、友雅は泰明に向かって腕を伸ばした。
「……泰明」
首を振り続けているのをやんわりと留めながら、滑らかな頬に触れる。
「泰明、こちらを見て。私が分かるかい?」
両手で泰明の頬に触れ、小さな顔全体を包むようにして、澄んだ瞳を覗き込むと、泰明は我に返ったように瞬きをした。
「友雅…」
僅かに震える声音で名を呼び、友雅の服の袖を掴む。
不安げに見詰め返す泰明に、友雅は微笑んだ。
「君の不安と疑問は尤もだと思う。
でも、考えても答えが出ないなら、今はその件は保留にしておいてもいいんじゃないかな?きっと情報が足りないんだよ。
…このまま、私たちレジスタンスが活動を広めれば、最終的に辿り着くのは将軍のところだ。
そこまでの道筋で、新たな情報が得られるかもしれない。
全てが明らかにされるのは、或いは、将軍を目の前にしてからなのかもしれないけれどね」
だが、遅かれ早かれ、真実が明らかになる日は来る。
そのときがくるまで、レジスタンスの活動に専念しようという友雅の言葉に、泰明は頷く。
「そう…だな」
「それにね、泰明。君に関する、君さえも知らないどんな事実が明らかになったとしても、私は君の傍にいるよ。
君が君である限り、決して君から離れないし、君を離すつもりもない」
間近で瞳を合わせながら、言い聞かすように優しく語り掛けると、ようやく泰明の瞳が安堵に緩んだ。
袖を掴む細い指に入った力も緩まる。
「有難う、友雅」
淡く微笑んだ泰明に微笑み返し、友雅は花弁のような唇に口付ける。
そのまま体重を掛けて、腕の中の華奢な身体をベッドに横たえると、泰明が少し戸惑った声を上げた。
「友雅?」
「…いや、どうもね、今夜の一件のお蔭で、どうにも我慢が利かなくなってしまったようだ」
周囲を誤魔化すために濡れ場を演じた時に。
さり気なく泰明の背中に腕を回し、ドレスの釦に手を掛けながら、悪びれることなく友雅は笑う。
そんな友雅に泰明は少し呆れたような顔をする。
「ならば、最初からしなければ良いのだ」
「こんな美しい貴婦人を前にそれは拷問というものだよ。…駄目かい?」
滑らかな首筋に口付けながら請うと、
「…駄目だと言っても無駄なのだろう?」
素っ気無い応えが返った。
しかし、そう言う泰明の白い頬は薄紅に染まっている。
そうして、迎え入れられるように首に細い両腕を回され、僅かに伏せた睫毛の艶やかさに見惚れながら、
友雅はもう一度、今度は深く泰明に口付けた。
もしかしたら…
自分はただ単に、一瞬でも別の男に気を取られている泰明を、
自分の元へと引き戻したいだけなのかもしれないと心の片隅で思う。
そんな子供じみた独占欲に密かに嗤った。
the end? or...ラストは何となく、らぶらぶで締めたかったので(でも、何処となく不穏なような…/苦笑)。 「Blue 〜ray〜」はこれにて、終了で御座います〜〜っ!ぱちぱちぱち!!(拍手) ↑の拍手は、最後までお付き合いくださった方に捧げます。 少しでもお愉しみ下さいましたなら幸いなのです。私は書いてて愉しかったです♪(笑)。 長い間、有難う御座いました!!(平伏) …とはいえ、このBlueシリーズはまだまだ続きます(笑)。 お次は、今回ちらりと登場した、永泉本格登場篇です! 現時点で、タイトル以外の細かいところは、まだ、殆ど闇の中なんですが(自分で言ってりゃお終いだ/汗)、 再開の折には宜しくお付き合いいただけましたら、これ以上嬉しいことはありません♪ 今後とも宜しくお願い致します(再平伏)。 top back next