Blue 〜eternal

 

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 永遠なるもの。

 そんなものに、漠然とした憧れを抱いていた。

 今まで、周囲に儚いものしか見出せなかった所為だろうか。

 古くはこの国の頂点に立ち、この国を統治していた御門(ミカド)一族の者として生まれ、

実質的な権力は軍に奪われたものの、今も高貴だと言われる立場と、それに相応しい生活が保障されている。

 しかし、それは所詮、籠の中の生活と変わりない。

 定められた場所…上流社会においては、ある程度自由に振舞うことが許されているが、

そこから逸脱した行動は、決して取ってはならない。

 別の場所…例えば、一般民の住まう社会や、彼らを、そして自分たちを監視し、

実質的に支配する軍内部に入り込むことはもちろん、口出しをすることも禁じられている。

 今では暗黙の了解となっているこの禁忌を犯した者に訪れるのは、死だ。

 それはその係累も含めた一族全ての滅亡でもある。

 自分の周囲を取り巻く顔ぶれが変わる度、そのことを否応なく思い知らされた。

 同時に、人という生き物の儚さも感じざるを得なかった。

 以前、留学経験のある周囲の者から、密かに聞かされただけだが、一般民に対する軍の圧迫は、

自分たち上流社会の者に対するものよりも、遥かに厳しく、酷いものだという。

 ひとつの国でありながら、見えない壁に隔てられ、互いに行き交うことの出来ないふたつの社会。

 そのふたつの社会に干渉できるのは軍のみだ。

 恐らく、見えない壁の向こう側で、今も尚、自分が想像できないほど多くの人の命が失われているのだろう。

 

 …何と、儚いことか。

 

 人だけではない。

 幾度も行われた化学兵器による戦争の為、空も海も土もすっかり汚染され、緑が失われた国土は砂漠化した。

 人も自然も…全てが儚いものだ。

 その一部である自分に、果たして一体何が出来るというのか。

 定められた狭い場所で、誰の迷惑にもならぬよう、息を潜めて生きていくことしか出来ないのではないだろうか。

 

 分かっている。

 そう思うのは逃げだ。

 

 分かり過ぎるほど分かっているのに、そこから一歩も踏み出せない。

 

 しかし。

 ふいに自分の周りの風向きが変わってきた。

 今、その変化の中心にいるのは、他ならぬ御門…上流社会の頂点に立つ者だ。

 彼は自分の兄でもある。

 

 

 兄の執務室へ向かうべく、永泉は皇宮内の庭園を囲む回廊を歩んでいた。

 紫の瞳がす、と庭園を彩る緑に流れ、すぐに伏せられる。

 

 庭園にある木々や花々は全て、人口の物だ。

 この荒れ果てた地に、本物の緑はない。

 皇宮創建時には、わざわざ遠方にある外国から輸入した木々の苗を植えたりもしたようだが、

それらは皆、存分な陽の光も注がれないまま、痩せた土に根付くことなく枯れた。

 代わりに植えられたのは、水をやったり、剪定したりする必要のない半永久的な緑。

 こちらの方が良いと、満足げに言う者もいたが、永泉は造られた緑に、痛ましさと悲哀しか感じることが出来なかった。

そこに永泉の憧れる「永遠」は見出せない。

 

 石床に硬い靴音を響かせてこちらにやってくる複数の人の気配に、永泉ははっと顔を上げる。

 この回廊を曲がった先には、兄の執務室しかない。

 となれば、やってくる人々は、そこから辞してきたところだろう。

 整然とした靴音の狭間に、ゆったりとした余裕ある靴音が紛れている。

それらが、兄の秘書や、ましてや使用人のものではないのは明白だ。

 自分の訪れる前に、来客があったのだ。

 ゆったりした足音は客人のもの、整然とした足音は、供のものだろう。

 

 回廊の角を曲がり、姿を現したのは、予想に違わず、皇宮の者ではなかった。

 その姿を目にした途端、永泉は縫い留められたように、その場を動けなくなった。

 一方、相手は回廊に佇む永泉を見付けて、鷹揚に挨拶をする。

「これは、殿下」

 三人の供を従えて、永泉に歩み寄った彼は、一見恭しく一礼する。

「先日の花園(ハナゾノ)侯爵主催の舞踏会でもお目に掛かりましたが、お元気そうで何より」

「…有難う御座います。閣下も変わらず、ご活躍のようで何よりです」

 永泉はぎこちなく言葉を紡ぎ、どうにか会釈を返す。

 「閣下」と呼ばれるには若過ぎるように見える相手がふと、笑った。

 目の前で萎縮する永泉を嘲笑うように。

「我々軍があまり活躍しない方が、あなた方にとっては都合が良いのではありませんかな?」

「そのようなことは…」

 皮肉めいた言葉を投げ掛けられ、ますます萎縮する永泉の姿に、相手は再び嗤い、中庭へ目を向けた。

「いつも変わらず、緑に溢れた美しいお庭ですね」

「…恐れ入ります」

 庭を見遣る青年の軍人らしからぬ長い金髪は、淡い陽光の中でも輝いて見える。

 永泉は僅かに目を上げ、背高い相手を見上げた。

 皮肉気な笑みに口元を歪めたまま、青い瞳で、傲然と庭を眺める端正な横顔。

「こちらの草花は、皆人口の物でしたね」

「…は、はい。その通りです」

「鮮やかな緑だ。よく出来ている。ただ…瑞々しさが足りぬようだ。しかし、ここまで本物を模していれば充分とも言える」

 永泉は辛うじて、淡い笑みを浮かべ、軽く会釈を返す。

 青い瞳が、庭から傍らに立つ永泉へと向けられた。

「模造品は本物を超えることはないと思われますか?」

「え?」

 唐突な問いに、永泉は一瞬、恐れを忘れて、相手を見上げる。

「模造品の美しさは偽物であり…どうあっても、本物の美しさには敵わないと、貴殿は思われますか?

造り物の美しさに真実が宿ることはないと…」

 青年の瞳は、永泉に向けられながら、彼を素通りして違う世界を見据えているようだった。

 紡がれるどこか謎めいた問いも、永泉の答えを期待してのものではないようだ。

「アクラム将軍?」

 永泉が恐る恐る呼び掛けると、彼は眼差しを素通りさせたままで、整った唇に僅かな笑みを浮かべた。

 周囲を、そして、自分をも嘲るような毒のある笑みだ。

 見ていられずに、永泉は再び目を伏せる。

「思わぬところで、貴殿の足止めをしてしまいましたね。

他愛ない話にお付き合いくださり、恐縮です。私はこれにて、お暇することに致しましょう」

 品のある優雅な笑みを浮かべ、将軍はもう一度永泉に向かって恭しく一礼すると、背を向けた。

 慌てて腰を折る永泉を振り返りもせず、去っていく。

 後に従う屈強な体躯をした部下たちの黒い軍服に紛れていく金髪の青年の後姿を見送りながら、

永泉は無意識に、上げた片手で、シャツの胸元を軽く掴んでいた。

 

 

「永泉」

 執務室を訪れた弟を、御門は穏やかな笑顔で迎えた。

 しかし、品のある凛々しい眉が僅かに顰められている。

 最近の御門は将軍の訪れがあった後、このように不機嫌であることが多い。

 それを周囲にぶつける御門ではないが、弟である永泉や側仕えの者たちは、その変化を敏感に察していた。

 そのことも知っている御門は、このときも屈託なく、永泉に将軍の来意を告げた。

「先ほど、永泉も回廊で将軍に会ったであろう?本日もまた、ご機嫌伺い…と称して、他愛もない話をしていったぞ。

このご機嫌伺いとやら、最近とみに増えたように思えるのだが…私の気のせいであろうか?」

 朗らかな口調で皮肉を言う御門に、永泉は不安気な様子で口を開く。

「軍が我々一族を、以前よりも警戒するようになってきたということでしょうか?

…宜しいのでしょうか、このようなときに…」

「このようなときだからこそ、動くべきなのだ。何をせずとも、遅かれ早かれこのような事態になることは予想していた」

「……はい」

「不安か?永泉」

「いえ、私は…私は兄上の意に沿うと決めたのですから」

「そうか」

 僅かに躊躇しながらも、永泉が答えると、御門は微笑んで頷いた。

 腰を掛けていた執務机の前から立ち上がり、永泉の正面に立つ。

「そなたを呼んだのは、他でもない。使いを頼みたいのだ。だが、表立っての使いではない。

…人目に立たぬよう、密かに藤原男爵邸を訪れて欲しい」

 御門の言葉に、永泉は思わず息を呑む。

 

 …ついに動き出すのだ。

 

 改めてそう感じた。

「このメモリースティックに、藤原邸に滞在する客人宛の文書が入っている。出発前に、そなたも目を通しておくと良い。

そなたにも、私のやろうとしていることを正確に把握して貰いたいのでな」

「はい…仰せ承りました」

 一礼して、永泉がスティックを受け取ると、御門は今度は微かに苦笑した。

「すまぬな、永泉」

「何を仰います…」

 僅かに眼を瞠る永泉に、御門は言葉を継いだ。

「そなたが争いを好まぬことは知っている。だが、現況は争い無くしては、打開できぬ段階まで来ているのだ。

そして、私の周囲には、そなた以上に信頼できる者はおらぬ。どうか、力を貸して欲しい」

「勿体無いお言葉…私に出来る精一杯のことをさせていただきます」

 忌憚ない、しかし、温かい言葉に、永泉はもう一度深く腰を折った。

 

 伏せた瞳の中に、依然として不安と躊躇いを宿したまま。

 

 

「泰明殿」

 穏やかで物静かな声に名を呼ばれ、泰明は振り返る。

 水の流れを思わせる長く艶やかな髪が、華奢な背中でさらりと揺れた。

「鷹通」

 シンプルなシャツとジーンズを纏っていてさえ、端麗な泰明の姿と佇まいに、

思わず目を細めてしまいながら、鷹通は微笑んだ。

「どうしたのだ。何か用か?」

「ええ。これを泰明殿に差し上げたいと思いまして」

 愛らしく首を傾げる泰明に再び微笑んで、鷹通は小脇に抱えたものを差し出す。

 すると、泰明の綺麗に澄んだ翡翠と黄玉の瞳が見開かれた。


to be continued
無理矢理、やっすん登場場面まで粘ってみました(笑)。 毎度お待たせいたしております、最早、我がライフワークにもなりつつあるBlueシリーズ第4弾始動です! 副題は「eternal(永遠なるもの)」。永泉の名前と引っ掛けていたりいなかったり(笑)。 1話目で幅を利かせたのは、登場時恒例の永泉、そして、アクラムでした。 今回、アクラムが永泉に向かって持ち出した話題は、 さり気なく、やっすんを指してるのよ…と余計な注釈をここで入れておきます(苦笑)。 このシリーズの永泉は、原作に近い後ろ向き性格でスタートします(笑)。 彼がやっすんとの出会いを切っ掛けとして、劇的に変わると期待して…(期待かよ!) さて、今回も「Blue 〜angel〜」のように、1話目はやっすん未登場かと危ぶまれたのですが、 何とかねじ込むことが出来ました。 その前の永泉の場面で切った方が自然だと思うのですが、やっすんがいないのは私が寂しいので!(笑) …と言っても、ラストにちょろっとだけ、しかも需要が少なそうな(苦)たかやすシーンですが。 鷹通がやっすんにプレゼントしようとしている物は、皆様もすぐに想像が付くと思います。「あれ」です(笑)。 top