Blue 〜eternal

 

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 差し出されたのは、白い雲の浮かぶ青い空の写真をカバーにした写真集だった。

 この鷹通邸に泰明が初めてやって来た日に、書斎で見せて貰った物だ。

 驚きに瞠られた泰明の瞳が、素直に輝く。

 差し出されるままに、本を受け取ろうとして、途中で躊躇って鷹通を見る。

「だが、この書物はお前にとっても大事な物なのではないか?」

「ええ。大事な物だからこそ、貴方に差し上げたいのです」

「?」

 気掛かりそうに、やや柳眉を顰めた泰明が首を傾げる。

「貴方なら、きっと、この本を大事にして下さるでしょう?」

 鷹通に再び優しく微笑み掛けられて、泰明はようやくこくんと頷いた。

「…嬉しい。有難う、鷹通。きっと大事にする」

 受け取った大判の写真集を細い両腕で大切そうに抱き締め、泰明は白く滑らかな頬を僅かに上気させて微笑んだ。

 その淡くも澄んだ微笑みを見るだけで、鷹通の胸にも温かな灯りが点るような気がする。

「私もこれを貴方に受け取っていただけて嬉しいですよ」

 導かれるように、そっと泰明の白い手に触れた。

 重い本を持つのを手伝ってくれたと思ったのだろう、泰明は鷹通に感謝の眼差しを向ける。

 その瞳に窺える自分に対する無邪気な信頼と好意が、心地良くもあり、少し切なくもある。

 恐らく頼久や天真もこのような気持ちを幾度も味わっているのだろう。

 鷹通は傍らの泰明に気付かれぬよう、僅かに苦笑した。

 

「この屋敷にいる間は、どうぞ書斎の書物も、泰明殿のお好きなように御覧になって下さい。

家の者にもそう申し付けておりますので」

「本当か?」

「ええ。貴方にご協力いただいたお蔭で、軍の機密を保管したサーバーに、一部アクセスできるようになりましたし。

彼らの行動計画の情報が得られるだけでも、こちらにとっては有利になります。有難う御座います、泰明殿。

その御礼にしてはささやかなものですが」

「私がやったことは仲間として当然のことだろう?礼など必要ない。だが、申し出は嬉しい。

有難う、感謝する。大事な書物を傷つけぬよう、気を付けて閲覧させて貰う」

「それほど気を遣わなくても大丈夫ですよ、泰明殿。

しかし、申し訳ないですが、存分に御覧になれるほど、この屋敷に留まることはできないかもしれません」

「鷹通、それは…」

 屈託なく微笑んでいた泰明の表情がふと、怜悧なものに変わる。

 それに応じるように、鷹通も表情を引き締めた。

「ええ。後ほど改めて他の方たちにも相談させていただくつもりですが…

この屋敷にいらっしゃる泰明殿、友雅殿、頼久殿、天真殿以外のレジスタンスメンバーは、

分散してこの情報都市内の宿に待機しています。

優れた通信機器を用いれば、現状のままでも、活動を進めていくことは可能ですが、

今後もメンバーを増員していくとなると…

仲間内の意思を確認し合い、結束を強める為にも、

メンバー全員を一箇所に集めることのできる大きな拠点が必要ではないかと思うのです」

「そうだな」

「セキュリティの整ったこの屋敷がそのまま使えれば良いのですが、残念ながら、この屋敷には現在のメンバーでさえ、

全員収容できる広さがありません。何処か別の場所に…

軍の監視が比較的緩やかなこの情報都市内に、良い場所はないものかと先日から探していたのですが、

ようやく幾つか候補となる場所を見付けることが出来ました」

 そう言いながらも、鷹通の表情は冴えない。

「その候補地に何か、問題があるのか?」

 華奢な首を傾げて問う泰明に、鷹通は片手で眼鏡を抑えながら苦笑した。

「そうですね…私の個人的な拘りかもしれないのですが。どの候補地もそこそこ条件を充たしています。

ですが、理想的とは言えない気がしまして。その辺りも皆さんに相談させていただきたいと思っているのです」

「そうか」

 分かったと頷く泰明を見詰め、鷹通は独り言のように呟いた。

「…もしかしたら、後になって、私が選び出した場所以外に、条件を充たす場所が見付かるかもしれません」

「何故だ?」

「理由はありません。単なる希望的観測ですよ」

 鷹通は知的な光を宿した茶色い瞳を僅かに煌かせて微笑んだ。

 

 目を上げると、客間の入口の廊下に、現在は各自別行動を取っているレジスタンス主要メンバー、

友雅、頼久、天真の三人が揃っていた。

 彼らに向かって、鷹通と泰明は歩を進める。

 こちらに横顔を向けていた友雅が、近付いてくる泰明らに気付き、振り向いて微笑んだ。

「やあ。今、君たちを呼びに行こうと思っていたところだったんだ。

各自得られた成果の報告とこれからの予定を話し合おうと思ってね」

「ちょうど良かった。私も皆さんに相談したいことがあるのです。さあ、そんなところにいらっしゃらずに、どうぞ中へ」

「おう」

「失礼致します」

 鷹通に促され、そこにいた皆は、客間に移動する。

「泰明、それは…」

 戸口で歩み寄ってきた泰明の細い肩を抱いて導こうとした友雅が、泰明の抱えている物に気付く。

「鷹通に貰ったのだ」

 泰明が写真集を大事そうに抱き締める。

「泰明殿が気に入られたようだったので、差し上げました」

 悪びれることなく言い添える鷹通に、客間のソファに座った天真が小声で文句を言う。

「早速餌付けかよ…」

「それしきのことで妬くな、天真」

 傍らで呟きを耳にした頼久が注意する。

 友雅は写真集を抱えた泰明を見詰める瞳を僅かに細めた。

 

この写真集に多く収められているのは、青い空と海。

それは失われた過去を映し出しただけのものだ。

 

だが、それを抱き締めて微笑む泰明は、仄かに輝いて見えるほど無垢に見えた。

その澄んだ瞳は、過去を悲しんでいるのではなく、また、懐かしんでいるだけでもない。

常に未来を見据えて輝いている。

『いつか、きっと』と夢見ながら。

 

「宝物が増えて良かったね、泰明」

 微笑んで、艶やかな髪を指先で梳くように小さな頭を撫でると、泰明は嬉しそうに、こくんと頷いた。

「ああやって、余裕を見せ付けるところが却って腹立つよな…」

 天真がそうぼやき、頼久と鷹通は内心密かに同意して、苦笑するしかない。

「天真、どうしたのだ?何か、怒っているのか?」

「…っ、何でもねえよ」

 向かいのソファに腰掛けようとした泰明に不思議そうに問われて、天真は慌てて表情を改めた。

 

 鷹通邸に滞在するようになってから、もうすぐ一週間になる。

 だが、先日御門(ミカド)との会談を成功させた舞踏会の夜以来、軍の動きは比較的おとなしい。

 この分なら、御門からの使者も、この二三日中にやってくるだろう。

「…ということは、現時点で私はまだ、ここで御門の使者を待っていた方が良さそうだ。やれやれ、窮屈だね」

「それが、今のお前の役目だろ。俺はちょっと市街に出てみる。

住宅街だけじゃなく、観光客が集まる繁華街の辺りもぶらついてみて、そこで、何か気になる噂があったら拾ってくるよ」

「では、私は他のレジスタンスメンバーが待機している宿をもう一度巡り、

様子を見がてら、ことの進捗を直に伝えてこようと思います」

「私はここに残って、軍のサーバーにもう少し侵入出来るよう、色々と試してみたいと思います。

せめて、情報都市管轄の軍サーバーは掌握しておきたい。あと少しでパスワードを解読できそうなのです。

つきましては、友雅殿。軍属で仕官の経験のあった貴方にも解読に協力していただきたい」

「仕官とは言っても、五年も前の、しかも、最下位の少尉だよ。

その私が解読のヒントになるような情報を提供できるとは思えないけれど…

君と泰明の努力で、せっかくここまで漕ぎ着けたんだ。姫君の頑張りに応える為にも、協力しない訳にはいかないだろうね」

ね、と友雅は隣に座る泰明に微笑み掛ける。

「…また、始まったか」

天真が呆れたように言い、泰明はすんなりした首を微かに傾げて、生真面目に応える。

「私のしたことは努力の内に入らない。私はレジスタンスの一員として当然のことをしたまでだ」

「健気だね、君は」

 そう言って、友雅が泰明の細い身体を抱き寄せようとすると、容赦ない鷹通の言葉がそれを留めた。

「友雅殿もレジスタンスの一員、しかも組織を率いる代表なのですから、相応しい振る舞いを心掛けて下さい。

まあ、敢えて口にせずとも、そのことは、充分ご承知でいらっしゃると思いますが」

「手厳しいねえ、鷹通。分かったよ。おふざけはここまでにする。だが、解読の件は、あまり期待しないでおくれ」

 苦笑しつつ、友雅が手を引っ込めると、思わず皮肉めいたことを言ってしまった鷹通は、一つ溜め息を付いてから頷いた。

「結構です。宜しくお願い致します。

それと…先程提案したレジスタンスの拠点探しの件ですが、

こちらも、更に吟味したいので、もう少しお時間を頂くということで宜しいですか?」

「ああ、勿論構わないよ」

 友雅が頷き、泰明も天真も頼久も頷いた。

 

「泰明殿はどうなさいますか?」

 個々のこれからの予定がほぼ決まったところで、頼久に訊ねられ、泰明は一瞬考え込んでから、顔を上げる。

「頼久、お前と同行しても良いだろうか?」

泰明の応えに、当の頼久のみならず、天真、鷹通も一瞬、意外そうな顔をする。

「私はまだ、宿に待機している他のメンバーひとりひとりと言葉を交わすどころか、顔を合わせてもいない。

これを機会に、彼らの顔を覚えておきたい。…駄目だろうか?」

 続けられた言葉に、頼久はすぐに表情を改めて、静かに頷いた。

「いいえ。泰明殿がそう仰るのなら、私に異存は御座いません。

彼らが待機している宿は分散しているので、今すぐ出発しなければなりませんが…」

「分かった。すぐに準備する」

 頼久の言葉に頷いて、泰明はす、と立ち上がる。

「行っておいで、泰明」

 友雅が優しく微笑むのに、頷きを返し、その場に残った天真、鷹通を見た。

「行ってくる」

「頼久、泰明を頼んだよ」

「はい。お任せ下さい」

 そうして、先に泰明が客間を後にし、次いで、友雅の言葉にしっかりと請合った頼久が一礼して去っていった。


to be continued
たかやす餌付け(笑)シーンから始まるレジスタンスメンバーの現況をお送りしました。 目立たないながらも、着々と活動を進めているようです。 鷹通のやっすんへの餌付けは半分成功して、半分失敗したような…(苦笑) その腹いせもあってか、人目を気にせず、やっすんといちゃくらしようとする友雅氏に、 つい皮肉めいたことを言ってしまったり(笑)。 そんな皆の愛姫♪(笑)やっすんは、この度は、頼久と行動を共にすることに決めたようです。 次回より、本格的にストーリーが動き出す予定です。 始めはこの連載は前回より短くて済むかも、と思っていたのですが、 やはり(笑)書いていくうちに色々とやりたいことが増えてきました。 前回ほどではないと思いますが、長めの連載になると思いますので、まったりと見守ってやって下さいませ。 top back