Blue 〜eternal

 

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 泰明と頼久が部屋から出て行った後。

「意外だな」

「何がだい、天真?」

 穏やかに問いながら、友雅が振り向くと、天真がソファの肘掛に頬杖を付きながら、友雅を鋭い眼差しで見ていた。

「幾ら頼久と同行とはいえ、あんたが泰明の外出を許すとは思わなかった」

「許すも何も…私は泰明の保護者じゃないんだ。私にそれを禁じる権利はないよ。

それに、泰明の銃の腕前は知っているだろう?私とふたりで暮らしていた頃は、よく独りで外出していたしね。

今は頼久も居ることだし、外出しても、大きな危険はないだろう」

 肩を竦めて友雅が答えると、天真の眼光がますます鋭くなった。

「そういう意味じゃねえよ。今の状態の泰明を外に出しても良いのかって言ってんの。

しかも、他の男に任せて。舞踏会からこっち、泰明の様子が少しおかしかっただろ?」

「…気付いていたのかい。君もなかなか侮れないね」

「茶化すなよ」

 友雅は苦笑すると、少し表情を改めた。

「だが、泰明は自分で考えて、動いて答えを見つけ出そうとしている。

それを止めたくないんだ。できるだけ、泰明の好きなようにやらせてやりたい」

「へえ、随分寛大じゃねえか。あんたは泰明を片時も傍から離したくないのかと思ってた」

「もちろん、宝石箱の中に入れるように、この腕の中で傷一つ付かぬよう、守りたいというのが私の正直な気持ちだよ。

だが、泰明はそんな風に守られるだけの存在じゃない」

「…そりゃま、そうだな」

 天真が眼光を緩め、ソファの背もたれから身を起こしながら、少し笑う。

「大事に守るだけが、愛じゃないのだよ」

「けっ、言ってろ!んじゃ、俺も出るぜ」

 悪戯っぽい口調で付け加えられた友雅の言葉に、天真が常どおりの悪態を吐いてから、部屋を出て行く。

 そんなふたりの会話を聞きながら、鷹通はふとその瞳に、考え深げな光を宿していた。

 

 

 それはふとした思い付きだった。

 皇宮を車で出て、藤原邸のある高級住宅街に入る手前の小道。

 その向こうは、一般民の住まう地区だったはずだ。

 出発前に確認した地図を思い出しながら、永泉は運転手に声を掛ける。

「すみません、停めていただけますか?」

 指示に従い歩道の脇に車を停めた運転手は、運転席と後部座席を隔てる仕切り越しに訊ねる。

「どうなさいましたか?」

「ここから先は、私ひとりで参ります」

「しかし…高級住宅街に入るところまでお送りするように仰せ付かっております」

「高級住宅街はすぐそこです。帰りは自動タクシーを呼びますので、私を下ろした後は、皇宮にお戻り下さい」

「…承知いたしました」

 御門(ミカド)から、永泉の言葉に従うよう、言い含められているのだろう、

もう一押しすると、運転手はあっさり受け容れた。

 扉が開かれ、永泉は歩道に下り立つ。

 車が去っていくのを見届けた後、ゆっくりと歩道を歩き出した。

 

 護身のために、と渡された自動拳銃が、懐に重い。

 自分はこれから秘密裏の使いに行くのだ。

 あの運転手にも、できるだけ行き先を悟らせない方がいいだろう。

 

 まず、一番先に思ったのは、そのことだった。

 そして、もうひとつ……

 小道の入口で、永泉は立ち止まる。

 その向こう側に、永泉が今まで知らなかった世界がある。

思えば、皇宮の外をこのように、独りで歩くのは初めてだ。

 いつも、傍には側近がいた。

 そう思うと、不安だったが、独りで行かねばならないような気がした。

 あの向こう側の世界に、少しでも触れなければいけないような気が。

 

 今、佇んでいる歩道を行く人はまばらだ。

 永泉はひとつ大きな息をして、小道に踏み込んだ。

 懐から小型の携帯端末を取り出して、地図を確認する。

 一般民が住まうアパート街ふたつ目の曲がり角で、高級住宅街へと続く大通りへ出る抜け道がある。

 短い探検だが、今の自分にはこれが精一杯だろう。

 道筋を決めた後は、端末を懐にしまい、短い小道を通り抜けた。

 

その瞬間、空気の質感が変わったような気がした。

より重く、暗い。

尻込みしたい気持ちをどうにか堪え、大通りの半分もない狭い通りに足を踏み出す。

辺りの空気を暗く、重いと感じたのは、この通りの狭さのためかと思ったが、違う。

この通りは両側に、ひしめき合うように低い三階建てのアパートが立ち並んでいる。

その様子から多くの人間が住んでいると思われるのに、通りには人気がなく、シンと静まり返っている。

まるで、死んでいるかのよう。

不吉な想像に、永泉は寒気を覚える。

先ほどよりも足早に、通りを過ぎろうとする。

そうして、一つ目の曲がり角にたどり着いたとき。

微かに悲鳴が聞こえた。

次いで、荒々しい怒鳴り声と子供の泣き声。

それを聴いた瞬間、永泉は反射的に走り出していた。

曲がり角を住宅街の奥に向かって曲がる。

暫く走ると、やがて黒い軍服を纏った男がふたり、小銃を手に、子連れの若い女を取り囲んでいるのが見えた。

「おとなしくしろ!」

「外出禁止の時間帯に出歩いているお前たちが悪い!」

 男たちが強引に女を、子供から引き離して連れて行こうとしている。

 子供が母親の服の裾にしがみつきながら、泣き声を上げている。

「申し訳ありません!申し訳ありません!でも…お願いです!今回だけは見逃してください。

この子には熱があるんです!一刻も早く薬を買いに…ぁっ…!」

「そんなこと知ったことか!」

 女性の懇願の声が途切れ、荒んだ男の声と共に、激しく打ち据える音が響いた。

「もういい!そんなに言うならば、この場で…!」

 ひとりが女の身体を押さえつけ、ひとりが裾にしがみつく子供を引き剥がして、女の服の襟に手を掛ける。

「お止め下さい!」

 気付けば、永泉は声を上げていた。

 はっと振り向いた彼らに走り寄り、女性と男たちの間に割り込むようにして立つ。

「女性に乱暴はいけません。どうか、手を引いて下さいますよう…!」

 夢中で言う永泉を、ふたりの軍人は傲慢に見下ろす。

「何だ、お前は?」

「この辺りの住民ではないな。よそ者は黙っていろ!」

「しかし…この子は熱があるということではありませんか。薬を買いに行くくらいいいのではないですか。

そもそも何故、外出禁止なのです?」

 外の大通りでは人が行き交っているのに。

 しかし、永泉のその問いに、男たちはまともな答えを返さなかった。

「うるさい!我らは軍だ。これは軍が決めた外出禁止時間なのだ」

「理由など教える必要はない!ただ、従えばよいのだ!!」

子供の泣き声は止まない。

しかし、これだけの騒ぎになっているにも拘らず、傍のアパートの扉は開かず、窓が開けられることもなかった。

死んだように静まり返ったままだ。

(これが一般民の現状なのか…?)

 軍を名乗る男たちのこんな理不尽な横暴が罷り通り、誰もそれに異議を唱えられない。

 ある程度は想像していたことだったが、現実に目の当たりにして、永泉は愕然とする。

「うるさい!黙れ!!」

 そのとき、足元で騒がしく泣く子供の声に我慢できなくなったのか、男の一人が手にした小銃の銃口を子供に向ける。

「…ッ!!」

 永泉は反射的に子供を引き寄せ、強く抱き締めながら、背に庇う。

女の悲鳴と銃声が同時に響いた。

 

 自分はもう撃たれただろうか。

 今更になって、護身用の拳銃を持っていたことを思い出す。

 しかし、既に遅い。

 銃を取り出している暇などなかったし、そもそも人を撃ったことのない自分に銃が上手く扱えるはずがない。

 

 そこまで考えて、ふと気付く。

 

先ほど銃声はふたつ、聞こえなかったか?

もう一人の男も銃を撃ったのだろうか。

しかし、間近で発せられた銃声にしては、音が遠い。

そう言えば、撃たれたというのに、身体の何処にも痛みはない気がする。

 

ぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開く。

 

まず、目に入ったのは、さらりと靡く美しい翠色の髪だった。

「生きているか?」

 淡々とした低く、しかし澄んだ声。

「あ…」

 

 顔を上げた永泉の目のまえに、とても美しいひとがいた。

 まるで、永遠を約束された天使のよう。

 

 そのとき、腕が緩むのを合図として、抱き締めていた子供が暴れ出した。

永泉の腕の中から飛び出し、母親の胸に飛び込んでいく。

 泣く子供を宥めることも出来ず、母親は青褪めた顔で、こちらを見ていた。

「後は私たちが何とかいたします。貴方は早くお行きください」

 永泉の背後で、凛々しく涼やかな男の声がした。

 もうひとり、新たな人物がいるらしい。

 その言葉に、母親は青褪めた顔のまま、ギクシャクと会釈をして、子供を抱き上げ、逃げるように通りの角に姿を消した。

「ご無事ですか?」

 背後の男に訊ねられ、どうにか頷いた永泉だが、

目のまえの美しいひとが気になって、声を出すことも、振り向いて気遣いに礼を言うこともできない。

 

 滑らかそうな雪白の肌に映える稀有な翡翠と琥珀の瞳と薄紅の艶やかな唇。

 絶妙の配置で並ぶそれらは、まるで、宝石のようだ。

 

 半分夢見心地で見惚れていた永泉は、ふとそのほっそりした白い手に拳銃が握られているのに気付いた。

 しかし、黒く重々しい銃と白く美しい手があまりにも不釣合いで、その意味を永泉が理解するまでに数瞬を要してしまった。

 

 そうだ、先ほどの男たちは…?

 

 そのとき、すいと目の前に立つ美しいひとの視線が流れる。

 導かれるように、視線を動かした永泉が見たのは、先ほどまで乱暴な言動をしていた軍人ふたりの物言わぬ亡骸だった。

 片手に小銃を持ったまま、頭を的確に撃ち抜かれている。

徐々に広がっていく血溜りに横たわる彼らは、虚ろな目で灰色の空を眺めていた。

「あ……」

 永泉は先ほどとは別の意味で、声を出すことが出来なくなった。

 彼は、このように無残な、呆気ない死を目の当たりにするのは、初めてだったのだ。

「取り敢えず、この死体を目立たぬ場所に移動させます」

 永泉の背後の男が動き、死体に近づく。

「頼久、私も手伝う」

 目の前のひとがそう言い、頼久と呼ばれた背の高い凛々しい雰囲気の青年が振り向いて首を振る。

「いいえ、大した負担ではありませんので、どうか、泰明殿はこの場に。そちらの方をお願いいたします」

「…分かった」

 背の高い青年は、言葉通り手際よく死体を何処かに運び出していった。

 泰明と呼ばれた美しいひとが、永泉を見下ろす。

 

 その美しい手に危なげなく握られた銃。

 

 このひとたちが…このひとが撃ったのだ。

 その手に持った銃で人を殺したのだ……

 

「動けるか?」

 淡々と問う美しいひとの顔が、先ほどとは打って変わって、冷たい人形のように見えた。

 

 怖かった。

 ……ただ、怖かった。

 

 それが何に対する怖さなのか判断できぬまま、永泉はただ身を震わせるばかりだった。


to be continued
永泉とやっすん、ついに衝撃の出会い! しかし、今までとは様相が違います。 ある意味、最悪な出会い?(汗) 世間知らずのお坊ちゃま、永泉が、初めて外で遭遇した事件は、相当ショッキングなものだったようです。 その所為か、姫やっすんに対しても、ビクビクモード発動(笑)。 このふたりの初顔合わせ、特に永泉の反応も、割と原作寄りでしょうか? しかし、やっすんの出番が少ない…(汗)なので、そのことが気にならないよう、 友雅氏に惚気させ(?)、登場時にこれでもかと、やっすん賛歌してみました♪(笑) さて、最悪の出会いをしてしまった、えいやすふたりに和解のときは来るのでしょうか? そして、この先、どうやったら永泉にやっすんに対する恋心が芽生えるのでしょうか? …私も考えてます。←コラ! 目指す着地点に到達できるよう頑張ります(笑)。 top back