Blue 〜ray〜
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懐の中で震えて着信を知らせた通信機に、天真はすぐに気付いた。
表面上は何の変化も見せず、ごく小さな電子音によるメッセージを注意深く聴き取ろうとする。
だが、間の悪いことに、丁度そのとき、天真の近くで歓談していた集団が、どっと笑い崩れた。
天真は内心舌打ちし、それとなくその集団から離れる。
バルコニーへと向かいながら、自分の居る場所とはちょうど反対側になる壁際へと素早く視線を巡らせる。
泰明はまだ、そこに独りでいた。
時折、仮面を通してでも滲み出る泰明の美しさに惹かれて近寄っていく男たちもいたが、
彼らは皆、泰明の超然とした雰囲気に圧倒され、話しかける機会を得られないまますごすごと引き下がっていた。
この分なら少しの間、目を離しても大丈夫か。
そう判断して、天真はバルコニーへと出た。
そうして、会場の喧騒から距離を置くと同時に、耳に捉えられるようになった通信の内容に驚く。
咄嗟に会場を振り返ろうとしたところで、
「…天真!」
囁くような、しかし鋭い声音が名を呼んだ。
さり気なくバルコニーの手摺に近付き、ちらりと見遣ると、木立の蔭に隠れて佇む長身の青年の姿があった。
「頼久、お前もこっちに来たのかよ」
こちらも囁き掛けるような声音で訊くと、闇の中で頷く気配がある。
「本当に軍が来たのか?」
「ああ、だが正門近くの警備に紛れ込んでいた者からの通信によると、門の内に入った車は一台のみ。
目的は知れないが、少なくとも問答無用で不審者を摘発するつもりでやってきたのではないと思う」
しかし、これ以上この場に留まることは危険だ。
「今、他のメンバーには脱出路を確保してもらっている。会場内の様子はどうなっている?面談は終わったのか?」
そこに人がいることを悟られぬよう、故意に視線を違う方向へと向けつつ、天真は眉を顰めた。
「友雅と鷹通が別室へ移動してから暫く経つが、まだ戻ってきてないな。今、ホールに居るのは泰明ひとりだ」
「そうか。しかし、このような状況になった今、泰明殿をおひとりにしておくのは危険だ」
「そうだな。今のうちに泰明だけでも、外へ連れ出すか」
「頼む。脱出経路については、三分後に連絡を入れる」
「おう。そのときはあまり騒がしいところには行かないように注意しておく」
聞こえるか聞こえないかの声音のまま話を纏め、ふたりはその場を離れる。
泰明の元へ行くべく、身を翻した天真は、広間へと足を踏み入れる。
同時に顔を上げ、広間の端にいる泰明の姿を一瞬捉えるが、
そのとき、それぞれ特定の場所で集まっていた人々が、男女二組となって広間全体へと散った。
穏やかな旋律を紡いでいた室内楽の演奏が変わる。
ダンスが始まったのだ。
眼前で色とりどりのドレスの裾が幾つも翻り始め、天真の視界を埋め尽くす。
優雅に舞う人々に邪魔をされ、天真は泰明の姿を見失ってしまった。
泰明は目立たないよう広間の壁際に立って、周囲の人々の話に耳を傾けていた。
だが、凛と背筋を伸ばして佇む壁際の花は、否応なしに衆目を集める。
気品溢れる姿に、もしや、お忍びでやって来た某国の皇女ではないかとの憶測が飛び交っていたが、
当人はそのことに全く気付いていなかった。
当然ながら、会場の男たちが先ほどから何とかお近づきになろうと、
幾度も進み出ては自分の存在をアピールするまでもなく退散していることにも気付いていない。
ただ、視線を空の一点に据えて、聴覚を研ぎ澄ます。
そうして、耳に入ってくる貴族たちの会話は、大概が遊びや恋の噂ばかりだった。
ここに残ったのは意味あることではなかったか。
そう泰明が思ったとき、ふと、それまでとは種類の異なる会話が聴こえてきた。
「そういえば……軍部が近々とある国にも、新たに宣戦布告をするらしいですぞ」
「やれやれ、まだ、隣国との争いも治まっておらぬというのに…軍部は一体何を考えているのか」
「争いばかりでは、国も民も疲弊していくだけであろうに……」
声の調子を抑えた密やかな会話。
それはすぐさま明るい調子の娯楽話へと姿を変えたが、その短い会話には抑えきれない軍部への不満が感じられた。
生活が保障された裕福な貴族の中にも、現在の軍部主導の政治体制を良く思っていない者がいる。
そのことを泰明はこの場で初めて実感した。
同時に、自分たちがやろうとしていることが無駄ではないということも。
室内楽の演奏が変わり、手を取り合った男女が次々に、広間の中央へと出て行く。
ついに、この舞踏会のメインとなるダンスが始まったらしい。
ひとまず、人々の会話に聞き耳を立てることを中断して、泰明は少しだけ肩の力を抜く。
それと同時に、ふと、友雅と鷹通のことが気に掛かり、彼らが出て行った扉の方を振り返った。
そのとき。
「美しい方。宜しければ、私と踊っていただけますか?」
視線を戻した泰明の目の前に、白い手袋をした手が恭しく差し出されていた。
その肩先から煌く金髪が零れ落ちる。
仮面の下の形良い唇が優雅に微笑んだ。
御門を前にして、友雅は一切時間を無駄にしなかった。
端的に要件を口にする。
「この度私は志を同じくする仲間と共に、軍を打倒するためのレジスタンスを結成しました。
ついては、決起の際、貴方様のお名前を旗印とすることへのご了承を頂きたい」
「…何と?」
さらりと言われた内容を理解するのに、御門は数秒の時間を要したらしい。
しかし、その内容を理解するにつれ、穏やかなその顔が険しいものへと変貌した。
「…レジスタンスだと?…しかも……軍を打倒するための…?何と…何と無謀な……」
喘ぐように言葉を紡ぐ御門の厳しい顔は、少し青褪めているようにも見えた。
しかし、そんな御門に友雅は大胆にも肩を竦めてみせる。
「この件を打ち明けた者たちからも一様に同じ台詞を頂きましたよ。今、ここにいる鷹通からも言われました」
言って鷹通を一瞬見遣った後、友雅は真っ直ぐに御門を見据えた。
「しかし、彼らは皆、私の同志となってくれました。
鷹通も貴方様の協力が得られれば、仲間に加わると約してくれています。ともにこの国の閉塞した状況を打破しようと」
言葉を引き継ぐように、鷹通も口を開く。
「この面談をお引き受けになったということは、
貴方様も軍が台頭するこの国の現状を良しとはしていらっしゃらないということ。違いますか?」
ふたりに見詰められた御門は息を呑み、視線を逸らした。
抑えた声音で問う。
「私に何をせよと言うのだ」
「特に大きなことは何も」
その応えに、友雅の傍らにいた鷹通も驚く。
「何だと?」
意表を突かれて顔を上げた御門に、友雅はにっこりと微笑み掛ける。
「先程も言ったように、決起の際に、貴方様のお名前を貸して頂ければそれだけで結構。
もし、決起が失敗したときは、レジスタンスが勝手に貴方様のお名前を使ったのだと、軍に釈明なされば良い」
「……」
「いかがでしょう?これならば貴方様にとっても危険は少ない筈だと思いますが。
もちろん、貴方様が我々と命運を共にする覚悟で、
より積極的な協力を申し出てくださるのならば、喜んでお受けいたします」
「………」
黒い瞳を光らせ、険しい顔で御門は沈思する。
「御門」
静かに呼び掛けた友雅は御門へ向かって一歩踏み出した。
「貴方様とこうしてお話できる機会は今しかない。大変失礼ながら、お返事は今すぐ頂きたい」
そう願い、急かす言葉とは裏腹に、ゆったりと微笑んだ。
差し出された手を前に、泰明は戸惑う。
その間に、差し出された手が無遠慮にすっと伸ばされ、泰明の細い手を捉える。
軽く掴まれただけだったが、泰明は華奢な肩をびくりと震わせる。
過剰な反応を示してしまった己を内心訝しく思いながら、泰明は首を振る。
その動きに合わせて、結い残してある髪が、煌々と輝きながら肩から零れ落ちた。
「約束している方がおりますので…」
抑えた声音でようやくそう言って、捉えられた手を取り戻そうとする。
それに、相手は小さな笑みを零し、更にその手を引き寄せた。
「…っ何を!」
「それでは、その約束した方が戻ってこられるまでの間だけで構いません。踊っていただけませんか?」
言葉遣いは丁寧であるのに、そこには何故か傲然とした響きがある。
何処かで聞いた…?
馬鹿な。
そのようなことある筈がない。
「貴方のような美しい方を放っておくとは、酷い男だ」
戸惑いを深める泰明を余所に、捉えた華奢な手を捧げ持ちつつ、白い仮面の男は微笑む。
灯りに煌く金の髪が眩しいほどだ。
仮面の奥に潜む瞳の色は……青。
瞬間、泰明の脳裏を過ぎったのは、鷹通の屋敷の書斎で見た空と海の青だった。
仮面の下の唇が再び笑みの形に歪められる。
気付いたときには、捉えられたままの手の甲に口付けられていた。
その一瞬、泰明はくらりと眩暈のようなものを覚えた。
「あっ…?」
知らず、よろめいてしまった身体をその男の腕が支える。
「大丈夫ですかな?」
そう気遣う声音が嗤っている。
「…離せ!」
すぐさま我に返った泰明は、男の手を振り払い、その腕の中から逃れた。
男はあっさりと泰明を手離す。
いつの間にか、室内楽の演奏が止んでいる。
代わりに会場を満たすのは、ダンスを中断した客たちの不安げなざわめき。
一体、何が起こったのか。
それとも、これから何かが起ころうとしているのか。
今すぐにでも、友雅の元に行きたかった。
しかし、そう思うのは、現況を危ぶむ故か、
それともただ、この目前の男から逃れたい故なのか、泰明は己でも判じかねていた。
それに、この男にこのまま背を向けてもいいものか。
動けずにいる泰明を眺め、仮面の男は悠然と微笑んだ。
「また、いずれ」
そう言うと、ゆっくりと身を翻した。
流れる金の髪を揺らしながら、背高い後姿が立ち尽くす人々の中に紛れる。
しかし、泰明はまだ、動けずにいた。
あの男は誰なのか。
何の為に己に近付いたか。
己に対する態度から、ただ、ダンスを申し込む為に、近づいたとは考えられなかった。
男は明らかに、己を…「泰明」のことを知っている様子だった。
そして、己の中の何かが、あの男に反応している。
これは…何…?
泰明は知らず己の胸元を押さえていた。
バタンと広間の扉が大きく開かれ、泰明は再び我に返る。
開いた扉から、軍服を着た男らが次々と雪崩れ込んできた。
その場を浸していたざわめきが大きなどよめきに変わる。
広間に集まる貴族らの驚く声や小さな悲鳴が飛び交う最中、先頭にいる将校らしき男が高らかに宣言する。
「本日、この会場にかねてより軍に謀反する者が潜むとの情報あり。よって、会場内、及び邸内を改めさせていただく」
応えて従う部下たちが広間の中や、廊下の奥へと散っていく。
広間に雪崩れ込んでくる軍人の姿を目の端に捉えると同時に、素早く身を翻した泰明だったが、
「泰明!」
小さいが鋭い呼び声に振り向くと、バルコニーの近くに友雅が立っていた。
「早く、こちらへ!」
友雅に導かれ、窓辺に掛かる織り厚いカーテンに隠れるようにして、泰明はバルコニーへと出た。
先に下りた友雅の手を借りて、バルコニーの手摺を越えて庭へと降りる。
それから、ドレスの裾を片手で掴むと、常夜灯に薄暗く照らされた木々の合間を友雅と共に走り出した。
舞踏会本番篇その2です。 舞踏会言う割には、メインキャラは誰も踊っておりませんが(苦笑)。 そしてついに、アクラム登場!名前は出ておりませんが、アクラムです(笑)。 意図の知れない言動で、やっすんを惑わしております! しかも、手の甲への口付け一つで、やっすんに眩暈を起こさせるテクニシャン振り……ぷぷっ…(笑) いやいや、この場面はそんなことを意図して書いた訳ではないのですよ!(言わずとも分かる) ただ、アクラムとやっすんの間に一通りではない何かがありそう…ということを示したかったのです。 一体何なんでしょうね?!(どきどき)←書いてる本人が言うな。 しかし、私の書くアクラムはマクシミリアン(in四龍島)に少し似ているような気がする… 冷たい美貌に共通点があり、名前も語感が似ている所為でしょうか(マクシミリアンの愛称のひとつは「マクシム」/笑)。 次回、舞踏会脱出篇です。 ここの件は前々から書きたかったシーンがあるのです♪ 二話でやりたいと言ってた「それ」です(笑)。愉しみですな!!(私が/笑) top back