Blue 〜knot

 

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「おはよう御座います」

「ああ、おはよう、詩紋」

 自室のある二階から下りて、一階の店に顔を出す。

 笑顔で挨拶をすると、初老の店の主人が振り向いて微笑み返す。

店開きまでには、まだ時間はあるが、店の仕事はもう始めなければならない。

詩紋は早速パンの生地作りに取り掛かった。

隣で同じく、生地作りを始めた店主が、ゆっくりとした口調で詩紋に話し掛ける。

「今朝は随分と冷え込むねえ…」

「はい。もしかしたら、今日は雪になるかもしれませんね」

 雨と同様、有害物質を多く含む雪が降ると、外出する者は殆どいなくなる。

 そうなれば、今日の店の商売は上がったりだ。

 だからと言って、店を開かない訳にもいかない。

 もし、雪が降り出しても、小降りなら、この地区の各家に訪問販売しに行こうか、と考えながら、詩紋は生地を捏ねる。

 すると、店主が途中で作業を中断し、辛そうに屈めていた腰を伸ばした。

「どうしたんですか?」

 詩紋が顔を上げて訊ねると、店主は肘や手首の関節の辺りをさすりながら、苦笑いした。

「いや、冷え込んでいる所為かねえ…今朝からいやに身体の節々が痛んで仕方ないんだよ。特に今日は腕が酷い」

 店主の応えに、詩紋は作業を一旦中断し、手を洗う。

「腕を貸して下さい」

 言って手を伸ばし、主人が痛いと言った腕の関節辺りを、そっと手で覆う。

 そうして、何事かを祈り、念じるかのように暫し目を閉じる。

 暫くすると、安堵したような店主の溜め息が聞こえた。

「有難う、詩紋。大分、楽になったよ」

 目を開けた詩紋に、店主が微笑みかける。

「お前にはいつも助けられているね…すまないねぇ」

 詩紋はそっと手を離し、微笑み返した。

「謝らないで下さい。僕だって、おじさんにはいつも助けてもらってますから。少しでも痛みが和らいだのなら良かったです」

「本当にお前はいい子だね」

 さて、仕事に取り掛かるか、と店主は生地を捏ねるのを再開する。

「しかし、こんなにいい子なのに、その能力だって素晴らしいものなのに、何故、お前をいじめる奴がいるんだろうねぇ…

詩紋、また、近所の悪ガキ共が、お前に意地悪をするようなことがあったら、言うんだよ。おじさんがやっつけてやろう」

「そんな…大丈夫ですよ、おじさん。心配しないで下さい」

 生地を捏ねながら、詩紋は曖昧に微笑む。

 ふと、内外の温度差に曇った窓硝子の向こう側を、黒い服の集団が通り過ぎるのが目に入る。

 薄い壁越しに届く幾つも重なり合う固い靴音。

「…おや、こんな小さな街に軍が来るとは……」

 一体、何事だろうね、と不安気に呟く店主の隣で、詩紋はほんの僅か身を固くした。

 

 

「あの…いつもこうなのでしょうか…?」

 射撃練習を再開した永泉が、不意に手にした練習用の銃を見詰めながら、心もとなげに問う。

「あ?友雅のことか?ああ、あいつはいつもああだぜ。

仮にもレジスタンスを束ねる立場なんだから、少しはわきまえろっていつも言ってはいるんだけどな。

全く、朝っぱらから堂々と見せ付けやがって…」

 ぶつくさと文句を言う天真に、頼久がやや苦笑して、口を挟む。

「とはいえ、友雅殿は本当にやるべきことはやっておられる。

先ほど見せてくれた射撃の腕前も、レジスタンスを束ねるに相応しい鮮やかさだった」

「あれだけの技量を見せられたら、友雅殿をリーダーとして不足だと不満を抱く者はいないでしょう」

 自然な流れで、射撃練習に参加することになった鷹通も、手にした銃を構えつつ、そう言葉を添える。

「だから、尚更、腹が立つんじゃねーか!!」

 天真の声と、銃声が重なる。

 鷹通の撃った弾は、中心からはやや外れていたが、的確に的を捉えている。

 なかなかの腕前だ。

「お見事です」

 頼久の言に、微笑みで応え、鷹通は天真をからかうように見遣る。

「まあ、別の意味で友雅殿に不満を抱いている者はいるようですが。ほら、ちょうどここに…」

「うるせー!お前らだって、多少なりとも俺と同じ不満は持ってるだろうが!」

 目の前で飛び交う会話に、永泉は暫し呆気に取られていたが、慌てて、同時に、申し訳なさそうに、言葉を差し挟んだ。

「あの…申し訳ありません。先ほど私が言ったのは友雅殿のことではなく……」

 繰り広げられていた会話がぴたりと止まった。

 やや眉を顰めた天真が、片手で己の茶色い髪を掻き回す。

「あ〜、泰明のことか…まあ、あいつもいつもあんな風だぜ」

「特にここ最近は、あのように無意識に無理を重ねられることが多いようです」

 頼久も凛々しい眉を寄せて、気遣わしげに言う。

 鷹通もまた、困ったような溜め息を吐いて口を開いた。

「泰明殿には、あまりひとりでたくさんのものを背負い込まずに、私たちにも負担を分けて欲しいと思うのですが…

御本人が無意識であるだけに、なかなか難しいようです。泰明殿が無理をし過ぎないよう、私たちも気を付けてはおりますが」

「そうなのですか……」

 話を聞いた永泉も、気遣わしげな溜め息を吐く。

「駄目ですね、私は…泰明殿がお疲れなのに、露ほども気付かず…」

「最初のうちは誰だってそうさ。泰明はあまり感情を表に出さないタイプだからな。

それが無自覚のものなら尚更だ。だが、それも付き合っていくうちに何となく分かってくるもんだ」

 天真が永泉を慰める風でもなく、事実を述べるように言う。

 鷹通は永泉を元気付けるように微笑んだ。

「それに、私たちが気付かなくても、友雅殿が気付いて下さいます。

彼は泰明殿とは一番付き合いが長いですからね。泰明殿の不調を見逃すようなことはありませんよ」

 その微笑みに、声音にほんの僅かに滲むのは羨望だろうか。

そして、もうひとつ…

「それはそうなんだが…あ〜、やっぱりムカつく!!後で、邪魔しに行ってやる!」

「大人気ないぞ、天真」

 喚く天真を嗜める頼久。

 話を聞くうちに、永泉は彼らの内にある自分と共通した泰明への想いを確かに読み取る。

 

 叶わなくとも良い。

 ただ、傍にいて自らの力及ぶ限り、守りたいと。

 

 永泉は僅かに微笑み、手にした銃を見下ろす。

 そうして、それを、捧げ持った両手でそっと包むように握り締めた。

 鷹通が、厚い雲に覆われた空を見上げる。

「そろそろ降り出してきそうですね。予報では雪と言っていましたか。

さあ、皆さん、屋外練習は切り上げて、屋内に移動しましょう。まだ、練習をなさりたい方は、屋内の練習場でどうぞ」

 

 

 ふと、気配を感じて、窓の外に目を向けた友雅が呟く。

「ああ、とうとう降り出したか…」

造り物の緑を背景に、薄墨色の雪片が幾つも降り注いでいる。

すぐに視線を腕の中へと戻す。

友雅の腕の中に納まった泰明は、僅かに首を傾げ、友雅の胸に小さな頭をもたせ掛けるようにして寝入っていた。

静かに落ち着いた寝息と、無防備であどけない寝顔。

「…ん……」

寒くなってきたのか、不意に泰明が眠りながら華奢な身体を微かに震わせた。

その身体を包み込むように、抱いていた細い肩を更に腕の中へと引き寄せると、

指先だけが薄紅に染まった白い指が、友雅のシャツの胸元を掴んだ。

同時に、温かさを恋うように、滑らかな頬を摺り寄せる。

花弁のような唇が、ふわりと、綻ぶ。

自分の腕の中で、安心しきった様子で眠る泰明の姿、仕種、吐息の全てが愛おしくて、友雅はそっと、甘い寝息を紡ぐ唇に口付けた。

そのとき、小さなノックの音が響いて、友雅は扉へと振り向く。

「邪魔するぜ」

 抑えた声音で言いながら、部屋に入ってきたのは天真だった。

 すぐに友雅の腕の中にいる泰明に気付き、更に声を潜める。

「すまん、起こしちまったか?」

「いや、ぐっすりだよ。余程疲れていたんだろうね」

「そっか…」

 静かに近付いてきた天真は、穏やかな寝息を立てる泰明を優しい眼差しで見詰める。

 友雅は小さく微笑んで、泰明を見下ろす。

 自分もまた、天真と同じ眼差しで、泰明を見詰めているに違いない。

「で、何の用かな?もしかして、私の監視かい?私は、御覧のとおり、泰明を寝かしつけただけで、他には何もしていないよ、まだ」

「…まだ、ってのは何だよ?正直、あんたを監視したい気はあるが、生憎と別件だ。まずは、一応あんたに許可を貰った方が良いと思ってな」

「…分かった。まずは、話を聴こうか。その前に、少し待ってくれ」

 固い決意を秘めた天真の表情に、持ち出される話の深刻さを感じ取り、友雅は泰明の細身を抱えて立ち上がる。

 元は貴族の邸宅であった為、部屋は広く、壁や天井の華美な装飾も当時の名残を色濃く留めている。

 部屋の片隅に置かれた天蓋付きベッドもそれだ。

 しかし、ベッドなど一部の家具調度が残る部屋は、主を無くして久しかった屋敷の中では数えるほどだった。

 故に、当の泰明は遠慮したにも係わらず、友雅が、この部屋を、半ば強引に泰明の部屋にしてしまった。

 天真が天蓋から下がる厚手の帳を除けてくれるのに、目だけで礼をして、友雅は抱えてきた泰明の華奢な身体を横たえる。

 シャツを掴む指が緩み掛けているのを優しく解き、寒くないよう首元まで、しっかりと上掛けを掛けてやる。

 途中で起きてしまうかもしれないと危ぶんだが、泰明は深く寝入ったままだ。

 もぞもぞと上掛けとシーツの間に更に潜り込み、寝返りを打ちながら、細い身体を丸める。

「猫みたいだな」

 呆れた風を装う天真の言葉に、小さく笑みを零し、枕の上に散り乱れた翡翠色の髪を梳くように撫で整えてやってから、

友雅は身を起こして、天真を振り返った。

「待たせたね。さあ、話を聴こうか」

 

「単刀直入に言う。俺に単独行動の許可をくれ」

「…いずれ言い出すだろうとは思っていたよ」

 天真の要請に、友雅は小さく溜め息を吐く。

 友雅の目の前のソファに腰掛け、膝の上で組んだ己の手を思い詰めた様子で見詰めながら、天真は言を次ぐ。

「この前の幹部会議で決まった…もう暫くは、組織の足固めの為に、

情報都市内での活動に力を入れるという方針に、異議を唱えるつもりは俺には無い。

もちろん、その方針による策に従って動くことにも異存は無い。

ただ、それとは別に、情報都市外の街へ出て、独りで調査活動をする許可が欲しいんだ」

「妹君を探す為だね?」

「…そうだ」

 天真の組んだ手にぎゅっと力が入る。

「この情報都市で初めて妹を…蘭を見掛けてから、時間が許す限り、街中を探し回った。だが…未だに手掛かりが掴めない。

このまま、軍の締め付けの緩い市内を探し回っても、きっと意味が無い。

恐らく…ここで蘭を見掛けたのは、そのとき、軍の幹部がこの街にいたからだ。

それなら、軍の幹部が訪れていると思われる情報都市外の街を探した方が、手掛かりを得やすいだろう」

「危険だよ。悪くすれば、敵の張った罠に自ら嵌りに行くことになる」

 友雅の冷静な指摘に、天真は目線だけを動かして、友雅を見た。

「分かってる。だが、敵の懐に入ることでしか、得られないものもあるだろう?

上手くすれば、レジスタンスにとって有益な情報を得られるかもしれない」

 若者らしく前向きな天真の台詞に、友雅は苦笑する。

 だが、天真の眼差しは思慮深げで、この要請が考え抜いた末のものだということが見て取れた。

「分かった。情報都市外での君の単独行動を許可しよう。頼久たちには私から話しておくよ。

しかし、行動に移る際には、必ず、私か、幹部のうち最低一人には連絡すること」

OK。ひとりで勝手なことを言って悪いが…」

「いや、勝手ということは無いよ。妹探しは、君にとってレジスタンスに加わる重要な動機のひとつだった筈だろう?

それに、妹君の行方には軍が絡んでいる。我々レジスタンスとしても無関係ではいられまい。

だが…実際にひとりで行動するのは、避けたほうが良い。出来れば、レジスタンスメンバーのうちからひとり選んで、君に同行させたいが…」

「いや、人手は必要ない。心配しなくとも、これでも独りでできる限界はわきまえているさ。

ヤバそうだと思ったら、深く首を突っ込まずに、すぐ引き返すよ」

 そこまで言われると、同行者の件についてこれ以上、無理強いするようなことは出来ない。

 仕方なし、と小さく息を吐いたところで、友雅はふと、顔を上げる。

 その視線が向けられるのは、泰明が眠っているベッドの辺り。

「どうした?」

 しかし、再び俯いて己の決心に向き合っていた天真が、気配に気付いて顔を上げたときには、友雅は既に視線を戻していた。

 何でもないよ、と微笑んでから、頷いた。

「分かった。君の言葉を信じよう。妹君の手掛かりが多く得られることを祈っているよ」

「サンキュ」

 

 厚い帳が下ろされた薄暗いベッドの中。

そこでは、色違いの瞳を開いた泰明が、身じろぎもせず、ふたりの会話に耳を傾けていた。

 


to be continued
あまり、進んでおりませんねぇ…(苦笑) 取り敢えず、詩紋は現在、パン屋さんにお世話になっているようです。 彼がやっすんたちと接触するのは、次回です(予定)。 そして、御覧のとおり、今回の章から、七葉がそれぞれレジスタンスに加わる過程に加えて、 天真の妹絡みの話も進めて行くつもりです。 だいたいの骨組みは出来上がっているので、あとはそれに肉付けするだけです! 見当違いの肉付けをしないよう頑張ります(笑…えない)。 全体の話も大きく動きそうなので、お約束(?)の「ともやす一話一らぶ」は、小出しになりそうです(笑)。 前回の「姫抱っこでバーン!(笑)」(幾つか好評を頂きまして、嬉しく思います♪)に続いて、 今回は「眠り姫にキス」で御座います♪ ちなみに、立派なベッドがある部屋を、友雅氏が強引にやっすんの部屋にしてしまったのは、 偏にやっすんがだからです!! 一緒に、やっすんとお寝んねしようなどという魂胆からではない筈です…多分(笑)。 姫にはリラックスできるベッドで毎晩、お休み頂かなくてはね!! しかし、徹夜したり、ソファなどで仮眠することの多いやっすんは、 あまりこのベッドを使用していなかったり…アララ(苦笑)。 疲労していても、お肌の艶は失われないのはお約束♪(ちょっと痩せるのはOK) top back