Blue 〜glass〜
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銃を持った腕を掴まれたとき、振り下ろされた刃を防ぐことは不可能だと思った。
しかし、相手に不自然な隙が生まれた。
その為、動きを封じることができたのだ。
「お見事」
笑みを含みながらも、抑えた声で友雅が泰明に声を掛ける。
構えた消音器(サイレンサー)付の銃をひとまず下ろした。
あのまま、敵の刃が泰明を襲うようなことがあれば、友雅は迷わず、その銃の引き金を引いていただろう。
「いや、この男に隙ができたからだ」
それがなければ、友雅の助けを借りていたかもしれない。
そう言うと、友雅は軽く肩を竦めて、近付いてきた。
「少しは私にも協力させて欲しいね。ここまで潜入できたのは殆ど君のおかげなのだから」
「大したことはしていない。それに、目指す場所は研究所の最深部だ。
すまないが、友雅の助けを借りねばならないこともあるかと思う」
「腕が鳴るね」
ことさら軽い物言いに、研究所に辿り着いてからずっと抱き続けている緊張が少し解れた気がして、
泰明は僅かに口元を綻ばせた。
改めて、捕らえた藍色の髪の青年を見る。
ここにある軍暗殺用アンドロイド「模造天使」に関する研究データを全て、破壊する。
それが泰明の望みだった。
その望みに応じて、友雅は危険な道中に同行してくれている。
こんな己を必要だと、愛していると言ってくれる。
…模造天使である己を。
そう、他ならぬ泰明こそが、開発に初めて成功した模造天使第一号だ。
模造天使としての名は、「Azrael(アズラエル)」。
軍から与えられた冷酷な暗殺人形としての名だ。
しかし、生みの親から名付けられた名もあった。
それが、「泰明」。
「泰明」という名の己は、ひとと変わらぬほどの愛情を注がれ、その名は己にとっても、大事なものとなっていた。
しかし、「泰明」としての生をくれた「父」は、軍に殺された。
「父」が死んだとき、彼がくれた名も永遠に失われるかと思えた。
だが、今も「泰明」は生きている。
「父」の代わりに、今は、友雅がその名を呼んでくれる。
「父」と同じ優しい声。
しかし、そこに潜むのは、「父」から感じたものとは違う愛情だ。
それはときに熱く、僅かな胸の痛みを伴いながらも、甘い。
所詮は造り物である己を何故、彼がそこまで想ってくれるのか、泰明にはまだ、はっきりとは分からない。
それでも、名を呼んでくれるひとがいる限り、己は「泰明」として在ることができる。
無論、「Azrael」としての己を捨て去ることはできない。
しかし、己は「泰明」として生きたいと願うのだ。
泰明がいるから生きていけると言ってくれた友雅のために。
己が、人間の道具ではなく、ひととして生きることを望んでいた父のために。
そして、何よりも己のために。
その為には、この研究所に残る模造天使に関する研究データを放っておくことはできなかった。
データは父と泰明しか触れることができぬよう、二重三重に保護されているが、
このままにしておけば、いずれデータは奪われる。
いつか、父ほどの研究者が現れれば、己のような第二第三の模造天使が造られるようになるだろう。
軍の意のままに、殺人を犯す道具としてのアンドロイドが。
そんなことにはさせない。
泰明は最も警備の薄い箇所からこの研究所の敷地内に潜入し、まず、
所内に仕掛けられている警備システムを麻痺させた。
壁に設えられた端末から、直接中央監視塔に接触する。
「友雅、このセンサーに手を翳してくれ」
友雅が言われたとおりにすると、泰明は端末から離れた。
「今、何をしたのだい?」
「端末に私と友雅の情報を認識させて、それを研究所員データとして、中央監視塔に送り込んだ。
そうすれば、我々は監視塔の警戒対象から除外される」
「凄いね、そんなことができるんだ」
「…私はそのように造られたから」
本来ならば、このような情報操作は、中央監視塔の制御室にあるコンピュータでなければ不可能である。
しかし、潜入型の暗殺人形として造られた泰明ならば、
本来、中央からの制御を受けるのみの端末から、
親である制御室のコンピュータ内の情報を書き換えることができるのだ。
友雅の素直な感嘆の言葉に、泰明は長い睫を伏せた。
知らず、己の手を見下ろす。
改めて己の素性を思い知らされる気分だったが、今はそんな感傷に浸るときではない。
「これで、システムの妨害はなくなった。気を付けねばならないのは、人間だけだ」
ある意味、それが一番厄介だとも言える。
友雅の顔を見ないまま、背を向け、目に見えない障害のなくなった通路の奥を睨むように見据える。
「大丈夫かい?」
歩み出そうとして、ふいにそう声を掛けられ、泰明ははっと振り向く。
すると、背後から包み込まれるように軽く抱き締められ、拳を握っていた手をそっと捉えられる。
先程、端末を操作していた手。
「何がだ」
問いに素っ気無い応えを返しても、彼の気遣う声音は優しさを失わない。
「無理はしていない?」
「当たり前…」
泰明は、即座にそう応え掛け、一瞬のちに、友雅が何を気遣っているのかに気付いて口を噤んだ。
大きな手が泰明の華奢な手を優しく包み込む。
固く握り締められていた拳を開かせ、その細い手指に柔らかく己の指を絡めてくる。
……温かい。
「…大丈夫だ」
唇を引き結びながらも、真っ直ぐに顔を上げて友雅を見た泰明に微笑み、友雅は捉えた白い手に軽く口付けた。
「何?」
「君の指は綺麗なだけじゃない、素晴らしい指だね」
その言葉に、泰明は一瞬、色違いの瞳を揺らめかせ、次いで僅かに綻ばせた。
そうして、着々と研究所内部へ潜入していったふたりの前に、初めて現れた敵が、今抑えた青年だった。
いっときは泰明をも怯ませた相手であるだけに、油断は禁物と注意深くその青年を見遣るが、
先程の鋭さは何処へ行ったのか、相手には全く抵抗する気配がない。
彼は何らかに驚いているようだった。
何に対しての驚きかは、彼が零した呟きですぐに知れた。
「まさか…貴方が潜入者なのですか」
「何?」
「貴方は元々この研究所に所属する方では…?」
「お前は私のことを知っているのか?」
銃口の位置はそのままながらも、驚いて問い返した泰明の言葉に、はっとしたように、彼は目を伏せた。
「詳しくは存じ上げません。こちらにいらっしゃる貴方を一度お見掛けしたことがあるだけですので」
そう語る声音には、彼の元来の性分なのであろう誠実さが滲み出ていた。
この男、嘘はついていない。
泰明はそう判断した。
しかし、一度見掛けただけの存在をここまで憶えていられるものだろうか。
「私はお前に会ったことがあるのか?」
独り言のような問いに、頼久と名乗った青年は、少し考え、首を振った。
「いいえ。私が以前、この研究所を訪れた際に、一方的に貴方の姿をお見掛けしただけです」
彼の言葉に偽りはないように聴こえた。
しかし、何かが引っ掛かる。
この世に造り出されてから、ずっと過ごしてきた研究所。
あの頃の己は「父」との温かい時間だけを頼りに、ただひたすら訓練に明け暮れていた。
「父」が殺された…あの事件が起こるまで、この研究所から一歩も外へ出ることはなかった。
しかし、ここには何の親しみも憶えていない。
唯一の思い出らしいものは、父に関することだけで、その他に接した人間については、記憶さえも曖昧だった。
父以外の人間は皆、一様に己を道具としてしか見ていなかった。
そのことだけを憶えている。
そんな己が外部の人間と接触するようなことはなかった筈だ。
そう確信できるのだが……
「一度お見掛けしただけですが、貴方のことはずっと憶えていました。その…美しい方なので」
真正直に語る頼久の藍色の瞳と目が合う。
すると、彼は泰明の視線を避けるように目を伏せた。
自分の出過ぎた発言を詫びるような仕種。
それが、曖昧な記憶のどこかを刺激する。
泰明の出自を知らないからかもしれないが、彼は同じひととして己に接してくれている。
多くの無感動な、或いは興味本位の視線に晒され続けた研究所での暮らしに、彼のような視線があったのだろうか。
…分からなかった。
「やれやれ、随分と余裕だな。自分を脅している相手に大胆にも告白とはね。泰明、私が代わろう」
近付いた友雅が、泰明に代わって銃口を頼久に向ける。
その姿にまた、頼久が目を丸くする。
「貴方は、橘少尉では…」
「おや、君は私のことも知っているのか。それは参ったな…」
友雅はおどけたように眉を上げて見せた。
頼久の耳元で、側頭部に押し当てられている銃の撃鉄が外される音がした。
潜入者のことを多少なりとも知る頼久を手っ取り早く始末しようと判断したのだろう。
それが、本気なのか、それともただの脅しなのか、頼久には判別がつかなかった。
しかし、頼久は動じなかった。
今、ここで引き金が引かれ、命を落とすことになったとしても、仕方ないと覚悟は決めていた。
だから、自分に向けられる銃口の存在を意にも介していないような淡々とした口調で、友雅に応える。
「私が貴方のことについて知っているのは、多少の噂のみです。こちらの方とさして変わりはない」
「そう」
この男、なかなかの度胸をしている。
内心感心しながらも、友雅が目だけで泰明にどうする、と訊いた。
泰明は少し考え、きっぱりと応えた。
「動けぬよう手足を縛り上げるには時間がない。目的地まで付き合って貰おう。
可能性は少ないが、万が一のときの人質になりうるかもしれない」
何より、悪意でなく、己のことを憶えていたという青年をその場で殺めることなどできなかった。
「了解。姫君の仰せのままに。さあ、立ってくれ。多少の不自由には我慢して貰うよ」
頼久は銃口に促されるまま、ゆっくりと立ち上がった。
余計な質問を差し挟むことはせず、黙したまま先を歩む泰明の後に従った。
奥に進むに従って、泰明の表情が徐々に硬くなる。
それに応じるように、両の瞳も硬質な光を増し、先程までの宝石のような煌きは、影を潜める。
初めて会ったときの瞳と似ている。
通路の角を曲がるとき、ちらりと見えた泰明の横顔から、僅かな表情の変化を見てとった頼久は、そう思う。
研究所内の者であった泰明が、何故、外部からの潜入者とされているのか。
疑問は尽きぬが、自分でも不可思議なほどの強さで、もう一度見えたいと願っていた彼が、瞳が傍にある。
しかし、それは以前のものと同じではなかった。
無垢な透明さを奥に潜ませた瞳は、生の輝きを宿している。
緊迫感からか、硬さを感じさせる今も、その輝きは息を潜めるように、黄玉と翡翠の中で揺らめいている。
以前と変わらず、いや、それ以上に美しい。
彼が研究所に潜入することになった経緯はどうであれ、今の彼の方が良いと漠然と思った。
彼をこのように変えたのは、「橘少尉」なのだろうか。
…ふたりはどのような関係なのだろう。
後頭部に軽く押し当てられた友雅の銃口を感じつつ、頼久は埒もない考えに捕らわれていた。
埒もない考えに捕らわれ、悩むが良いさ、頼久よ! …何を自分で書いたものに突っ込みを入れているのでしょうか? 第二話は予告通り、主にやっすん視点から、 研究所潜入から頼久捕獲までを、これまでの補足も入れつつ、描いてみました。 やっすんの彼氏(笑)、友雅氏も登場。 敵地(?)に潜入中だというのに、らぶらぶ(スキンシップ)してます、このひとたち。 しかし、以前、追われている最中にちゅうしてたことを思えば、軽い方なのかも… そして、やっすんは見事に頼久と出会ったことを忘れております、ああ頼久かわいそう…(笑) が!やっすんは見掛けただけだと言う自分を憶えていてくれた彼が気になってもいるご様子です。 相変わらず、やっすんは自分の魅力を理解しておりませんよ!(そういう話?) でもでも、頼久、もしかしたら、脈アリかもよ?!頑張れ!(この状況で何をどうやって?) 大胆にやっすんに告白する実直頼久にちょっぴり冷たい(?) 友雅氏の今後の言動も気になるところです。 そして、友雅氏とやっすんの関係がやはり気になってしまう、 乙女ちっく(?)頼久の今後の言動も(というか、それが今回のメイン……)。 この頼久編は次回、或いは次々回くらいで終了する予定です。 ストーリー的にもどどーんと派手なことになったらいいなあ、と試行錯誤中です(笑)。 次回も宜しくお付き合い下さいませ(平伏)。 top back