Blue 〜glass

 

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不思議な…まるで繊細な硝子細工を思わせるようなひとだった。

無機質でいながら、この場所には不釣合なほど澄んだ印象を持つひと。

出会いは一瞬と言ってもいいほど短いものだった。

それ故、今でも、あれは時折夢ではないかと思う。

 

 中央都市の外れにある荒野。

降り積もる有害物質に本来の色を奪われた土が乾いた風に晒されている。

 その只中に、この冷たい空虚な建造物はある。

 

 車から降り立った頼久は、藍色の瞳を細めて、目前に聳える建造物を見上げた。

 ここを訪れるのは、一年振りだ。

 国内に点在する軍付属の研究所のひとつ。

 どの研究所も皆、軍にとって重要な研究がなされている。

特に中央都市内に唯一存在するこの研究所が携わっているのは、軍の最重要機密に関わるものだ。

 しかし、ここで一体何が、研究されているのか、頼久自身は知らない。

 一介の下士官では、軍の最高機密に触れることはできないのだ。

 この研究所は、研究施設だけではなく、射撃場や道場などの充実した訓練施設がある。

 以前、訪れたときも、その訓練施設を利用しただけで、長居はしなかった。

それでも、この空虚な建造物を印象深く憶えていたのは、ここで出会った不思議な人物の所為であった。

こうして改めて、研究所の佇まいを目の前にすると、あの夢のような一瞬が現実のものとして脳裏に蘇ってくる。

 

 あのひとは今でもここにいるのだろうか。

 

 ふと、胸を過ぎった思いに、僅かに苦笑する。

 自分は、今、軍の命でここを訪れているのだ。

 任務外のことを気に掛けてはいけない。

 

 頼久は過去の思い出を振り切るように、研究所の入口へ向かって、歩き出した。

 

 

「よくいらして下さいました、曹長殿」

「任務ですので」

「噂通り堅い方だ。ところで、貴方の部下は?」

「明日にはこちらに到着する筈です。まずは、私が先にこちらに参ってお話をと」

 いけませんでしたか?と問うと、頼久を出迎えた研究室長は、底の見えない笑顔で首を振った。

「いえ、そんなことはありません。しかし…明日ですか……まあ、それなら恐らく間に合うでしょう……」

 途中から考え深げに腕を組み、独り言のように呟く室長を頼久は、怪訝そうに窺う。

「それでは、早速指令を頂けますか。私は、一部隊を連れて研究所に着いた後は、

所長、或いは室長の指示に従えとのみ、命じられたので」

「ああ、そうでしたね。実は貴方の部隊にはこの研究所の警備をお願いしたいのです」

「警備…とは」

 不可解な指令に、頼久の表情の少ない顔が僅かに動き、眉間に小さな皺が刻まれる。

 ここはただの軍事施設ではない。

 軍の最高機密を扱う研究施設なのだ。

 国内外のスパイを始めとした敵から、その秘密を守る警備は、軍本部に次いで、完璧で隙のないものである筈だ。

 それが何故、自分のような外の部隊を呼び寄せてまでの警備となるのか、理解できなかった。

「分からないという顔をされていますね」

「いえ…それが指令ならば従うまでです」

「そう言って頂けると有難い。しかし、曹長にはもう少し事情をお話した方が良いかもしれません」

 室長は座していた椅子から立ち上がり、正面に佇む頼久へと近付いた。

 少しも姿勢を崩すことなく立つ彼の真横で立ち止まり、低い声で囁く。

「実は本部から、近いうちに何者かがこの研究所に潜入する畏れがある、との連絡が来たのです」

 僅かに頼久の視線が動く。

「しかも、相手はかなり手強く、常備の警備体制だけでは突破される畏れもあるとのこと。

ならば、もっと今の警備体制を強化させなければなりません。

しかし、この連絡を受けたのは、ごく最近でしてね、改めて人員を揃えるのには時間的に無理がある。

貴方は以前ここを訪れたことがあり、多少なりともこの研究所の造りを知っているでしょう。

ですから、貴方の部隊に一時的に応援を頼むことにしたのですよ」

「その潜入者とは?」

「私も詳しくは知りません。軍上層部、或いは所長なら知っているのかもしれませんが。

私もここに配属されてから日が浅いものでね」

「……」

「しかし、そこまで詳しく事情を知る必要があるのでしょうか。

この研究所にやって来る潜入者を撃退する…貴方がたの全うしなければならない使命はそれだけです。

それに…世の中には、知らなくて良いこともある…そうは思いませんか?」

 やんわりと脅す室長には、まだ何か含むところがあるようだった。

 しかし、頼久は逆らわず、静かに腰を折った。

「ご命令、確かに承りました。人員が揃い次第、任務遂行に全力を尽くします」

「宜しくお願いします」

 部屋を出て行こうと、背を向けると、

「ああ、源曹長殿」

室長に呼び止められる。

「潜入を防ぐ際には、その者を殺すのではなく、なるべく生きて捕らえるように、とのことです。

『疾風(Hayate)』との異名をとる貴方の部隊には物足りないことかもしれませんが」

「いいえ。ご命令どおりに致します」

 静かに応えて、頼久は室長の部屋を後にした。

 

 

 市外に待機していた部隊に連絡を取ると、明朝にはこちらに到着するとのことだった。

 彼らと合流するまでの間、少しでも警備がし易いよう、

できる限り造りを実際に見て把握しておこうと施設内を見て回ることにする。

 しかし、警備の為に呼び寄せられたとはいえ、部外者である頼久の行動できる範囲は限られている。

 そこで、以前訪れた訓練施設へと足を向ける。

 最初に辿り着いたのは、射撃場だった。

 そこは今、無人で閑散としていた。

 警備の兵以外は、殆どが研究に携わる所員や文官で占められている研究所である。

 利用する者が少ないのも当たり前かもしれない。

 また、そのような場所にこれだけの訓練施設が整えられているのは、不可解ともいえた。

 あのときも、ここにいたのはひとりだけだった。

 立ち止まったとき、再び、淡い期待めいた思いが胸を掠める。

 そのとき、ふと、目の前に、細い人影を見た気がして、目を凝らす。

 儚い人影の輪郭はすぐにほどけた。

 

 やはり、気のせいだ。

 そうして、また苦笑する。

 どうやら、自分は思いの外、あのひとに心を奪われているらしい。

 たった一度だけここで出会った彼に。

ならば、今、ほんのひとときだけ、望む幻に浸るのもいいだろう。

 

そうして、今度は脳裏に思い描いた面影を、目の前の光景に重ね合わせる。

容易く浮かび上がったその姿を、頼久は目を細めて見詰める。

 

軍属の者にしてはあまりにも華奢な、それでいながら凛とした姿。

真っ直ぐ伸ばされた背筋。

それに垂直になるように、銃を手にした細い腕も、真っ直ぐに伸ばされている。

人形のように整った横顔。

その横顔を縁取り、細い背中を覆う翡翠色の長い髪は、首の後ろで無造作に束ねられている。

 

鮮やかに立ち現れた面影は、一瞬にして頼久を追憶へと誘った。

 

 

軍の施設には不似合いな若者の姿に、頼久は驚いて立ち止まった。

…驚いたのは、その者が稀に見る美貌の持ち主であった所為もあったかもしれない。

次の瞬間響いた銃声に、頼久は我に返った。

目の前の不思議な青年が、構えた銃の引き金を引いたのだ。

その反動を無駄にすることなく、滑らかに次の引き金を引く。

立て続けに響く銃声。

青年の前方を見遣れば、放たれた弾丸は、全て的の中央を穿っていた。

並の腕ではない。

思わず、息を呑んで彼の姿に見入っていると、弾が尽きたのだろう、翡翠色の髪の青年が振り向き、

頼久の姿を目に捕らえた。

 頼久の存在に驚いた様子もなく、ただ静かに見詰める左右色違いの瞳に、また息を呑む。

 何と稀な、澄んだ瞳であることか。

 再び彼の姿に見入ってしまった頼久は一瞬後、自分が彼の射撃演習の邪魔になっていることに気付いた。

「これは…失礼しました」

僅かに目を伏せてそう詫びると、青年は華奢な首を傾げた。

その仕種は、意外なほど無垢だった。

「何故、謝る」

「いえ、演習の邪魔をしてしまったのではないかと…」

「問題ない」

 無機質な声で素っ気無い応えを返した彼は、銃を戻すと、頼久のほうへ向かって歩んできた。

 知らず鼓動が早くなる。

 しかし、彼は頼久に話し掛けることもなく、そのまま横を擦り抜けた。

 思わず、彼の後を追った視線は、遠ざかる華奢な背中を捕らえただけだった。

 

 ……それだけだった。

 

 しかし、彼の存在は、頼久の中に強烈な印象を今も残している。

 

 目の前を過ぎった白い横顔。

 流れる長い髪。

 

 願わくはもう一度、その澄んだ瞳を見たかった。

 

 

 過去の追憶から立ち戻ると同時に、目の前に造り上げた幻も周囲の情景に溶けていった。

 射撃場から離れながら、頼久は考える。

 

あの青年は一体、軍にどんな関わりを持っていたのだろう?

あのときは彼の存在がただただ鮮烈で、不思議に思うことしか出来なかったが、今になってもしやと思うことがある。

彼は、ここでなされている研究に関わりがある人物なのではないのか。

何らかの実験の被験者、或いは……

 

「考え過ぎだ」

 頼久は、整った眉を寄せ、行き過ぎた思考を中断する。

 

 そのときふと、微かな気配に気付いた。

 本当に微かな、今にも空気に溶けていってしまいそうなほどの気配。

 この研究所の者ならば、ここまで気配を殺す必要はあるまい。

 ならば相手は間違いなく……

 思った以上に早い潜入者との遭遇に驚きつつ、頼久もまた気配を殺して通路の壁際に身を寄せる。

 今更気配を殺したとて、相手には気付かれているだろうが。

 また、銃を所持していなかったことに気付き、内心舌打ちする。

 代わりに、常に懐に入れているタガーナイフを取り出した。

 自分と同じく軍人であった父から受け継いだものである。

 また、銃に負けず劣らず扱い慣れている武器でもあった。

 

空気が僅かに動くのを敏感に察して、頼久は相手の攻撃を迎え打つ。

素早く銃を持った腕を捕らえ、容赦なくナイフを振り上げようとしたそのとき。

 

目の前に翡翠と黄玉の輝きを見た。

 

思わず手を止めた、その一瞬の隙を突かれて、手にしたナイフを銃のグリップで叩き落される。

「貴方は…!」

驚いて声を上げかけるが、銃口を側頭部に押し付けられ、黙って頼久は手を上げた。

「おとなしくしてもらおう」

 

 もう一度見たいと願った瞳。

 

 その澄んだ瞳を煌かせて、あの青年が頼久の前に居た。


to be continued
はいな!(笑) お待たせ致しました(…のか?)、ちょっと記憶を探らなければならないくらい以前にやる! と宣言しておりました「ガレキの楽園」続編、ついに始動で御座います!!(どきどき) 当初の予告通り、「七葉総出演+α」「やっすんマドンナ状態」でいきますよ〜っ♪ このお話の世界やキャラ設定(…というほど大したものでもなく/笑)、 ベースとなる人間関係(ともやすのみですが)をお知りになりたい方は、 前作「ガレキの楽園」を御覧下さいませ… …このお話は、シリーズ連載ものになります。 宜しければ、最後までお付き合いくだされば幸いで御座います(平伏)。 シリーズタイトルは、題名から「Blueシリーズ」とでも言いましょうかね(まんまだ/笑)。 ちなみに、今回のタイトルは歌からの引用ではないです(笑)。 でも、この前CD箱を弄ってたら、「BLUE」ってタイトルの曲を見つけた…(汗) いや、今回は偶然ですってば(笑)。 シリーズ第一弾は、頼久編です。 彼は現役軍人です。 しかも、研究所にいた頃のやっすんと会ったことがあり、そのときから彼に心惹かれていた御様子♪ お約束で御座います!!(笑) そんなふたりが意外な再会!というところで、本格的に話はスタートします。 二話目はやっすん視点からお届け。 友雅氏ももちろん出てきまっせ(笑)。 top