Blue 〜eden〜
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『馬鹿な…助からぬというのか?!』
『……はい。この遺伝子病は今現在も治療法が見付かっていないのです。一度発病したら、もう……』
扉の外で交わされる会話を遠く聞きながら、ああ、自分は死ぬのか、と思う。
扉一枚隔てただけで、聞こえないとでも思っているのだろうか。
良くも自分の死について声高に話すものだ。
苦笑しようとしたが、上手くできたかは分からなかった。
死ぬのは怖くなかった。
煩わしい色々から解放されるのならば、待ち遠しいとさえ言えた。
『…許さん!許さんぞ!!私の跡を継ぐ者は、今やあれしかおらんのだ!!死なせることは許さん!!どうにかして生かすのだ!!』
『しかし、それは…』
命令する声と困惑する声。
当の本人は受け入れる覚悟が出来ているのに、あちらは諦めるつもりは毛頭無いらしい。
見苦しいことだ。
再び苦笑する。
あちらが恐れているのは『跡継ぎ』を失うこと、それだけだ。
この『自分』が失われることは、問題にはしていない。
だとしたなら、例え、この命が繋がれたとしても、『自分』はやはり、このまま死ぬのに違いない。
死ぬのは怖くない。
ただ……
アクラムは泰明を将軍専用の居住スペースの更に奥へと連れて行く。
絨毯の敷き詰められた廊下を歩いていくうちに、壁に幾つもの鏡が掛けられた一画に差し掛かった。
ふと、華麗な縁飾りを施した鏡面に映る己の姿が、泰明の目に入る。
解き流したままの長い髪で見え隠れする華奢な首筋に、巻きつくように掛かる金の首飾り。
それは、優雅な曲線を描き、複雑に絡み合う唐草を模しているものだった。
更にその繊細な蔓に緩く絡みつくような形で、細い金鎖が垂れ、その鎖の所々に、翡翠と琥珀が小さな花のように煌いている。
このような装飾品の良し悪しには疎い泰明だが、細工の見事さ、意匠の珍しさから、この首飾りが、かなり高価なものであることは分かる。
…訳が分からなかった。
発信機付きだということを差し引いても、虜囚の身には過分な代物だ。
アクラムの意図が全く掴めず、泰明は不可解さのあまり、知らず知らずのうちに、細い眉根を寄せてしまう。
すると、笑みを含んだ声音が耳を打った。
「お前はいつも、困り顔だな」
はっと、そちらに顔を向けると、アクラムが端整な唇の端を僅かに吊り上げて、泰明を見ていた。
寄越される眼差しを弾くように、瞳に力を入れて見返すと、
「困り顔でなければ、そのような怒り顔ばかりだ。たまには別の顔を見てみたいと思わぬでもない」
僅かに苦笑混じりの言葉が投げ掛けられた。
「誰の所為だ」
すかさず言い返すと、アクラムが小さく笑う。
アクラムに掴まれたままの二の腕を軽く引き戻しながら、泰明は無造作に言葉を続ける。
「この腕を離せ。離したところで、今は逃げ出すつもりは無い。いい加減に腕が痺れてきているのだ」
「ああ、それはすまなかったな。始終捕まえておかないと、お前はすぐにこの手の中から消えうせるような気がしてつい…な」
泰明の要請に、アクラムはあっさりと腕を離す。
「?…そのための発信機なのだろう?」
痺れた腕を摩りながら、泰明がそう問うと、アクラムはただ、苦笑のみを返した。
やがて、通路は行き止まりとなる。
その突き当たりには、古風な造りの大きな扉があった。
扉の前でアクラムがゆっくり振り返る。
「この中にお前に見せたいものがある」
扉脇の壁に設えられた端末に、指紋認証をさせ、更にキー入力で暗証番号を入力する。
鍵の開く小さな音が響いた。
取っ手に掛けられたアクラムの手が、ゆっくりと扉を開く。
扉の内側は暗い。
「入れ」
アクラムの導きに従って、泰明は躊躇わず、しかし、警戒も怠らずに、彼に続いて部屋の中へ足を踏み入れる。
背後で扉が閉まった、その直後。
「…ッ?!」
突如目を刺した光に、泰明は思わず目を瞑り、光を遮るように手を翳す。
(しまった…!)
警戒していたにも拘らず、視界を奪われたことに、背筋が凍るような思いを味わう。
すぐさま全身を緊張させて、視力以外の五感を研ぎ澄ませる。
次いで、泰明の耳が捉えたのは、思いも寄らない音だった。
波が寄せては返す…海の音。
「?」
驚いて、閉じていた瞳を開いた泰明の視界いっぱいに、青の色彩が拡がった。
「…!!」
青い空。
白い雲。
明るい陽射し。
空の青を映して輝く…青い海。
足元も何時の間にか、白い砂浜になっている。
鷹通のくれた写真集でしか、見たことの無かった、青い空と青い海。
「これは…?!」
翡翠と黄玉の瞳を瞠る泰明を、傍らに立つアクラムが愉しげに見詰める。
「お前の為に作らせた部屋だ。まやかしにしては良く出来ているだろう」
「まやかし…?」
言われてみれば、確かにそうだ。
己は部屋の中に入ったのであって、外に出たわけではないのだから。
それに…例え、外へ出て、どんなに探し回ったところで、この光景に出合えることは無いだろう。
そう考えながら、足元の砂へと触れてみる。
さらりとした感触。
しかし、掬い上げようとしても、砂一粒さえ拾うことができない。
「?」
次いで、顔を上げた泰明は、警戒しながらも足を踏み出し、波打ち際へと寄る。
そっと白い手を差し伸べ、寄せる白波に触れる。
確かに濡れた感触があるのに、引き戻した手を見ても、乾いたままだ。
立ち上がり、泰明はゆっくりと周囲を見渡す。
ひとつ、気付いたことがあった。
空の色は清々しいほど明るいが、その光源が見当たらない。
太陽が無いのだ。
だが、それでも。
己を包み込むように拡がるのは、泰明が憧れ、夢見てきた光景そのものだった。
泰明は前方を見据えたまま、後方にいるアクラムへと問うた。
「何故…このようなものを作った?」
「お前が好きな…見たいと願っていた光景だろう?」
あまりにもあっさりと返された応え。
しかし、泰明が驚愕するには充分だった。
「…っ、何故…知っている?」
弾かれるように振り向いた泰明へと、アクラムは微笑みを浮かべ、ゆっくりと近付いていく。
「お前のことなら、大概のことは知っている」
「な…ぜ…?」
不可解さを通り越した混乱に見舞われ、そのとき泰明は全く無防備な状態となっていた。
半ば呆然と、問いを繰り返すことしか出来ない。
アクラムが小さく笑った。
それは、常に見るような嘲笑ではなく…
泰明の瞳と、アクラムの瞳とが合う。
泰明は知らず、アクラムの瞳の色に見入った。
青い、瞳。
空と海の…
アクラムがゆっくりと手を伸ばす。
整った指先が、泰明の白く滑らかな頬を滑る。
やがて、その指が無防備に軽く開かれた唇を辿っても、泰明はなすがままになっていた。
「随分とおとなしいな。それほど驚かせるつもりは無かったが」
アクラムが僅かに苦笑して、指を離す。
「このほかにもうひとつ、お前に見せたいものがある」
「見せたい…もの?」
これもまた、お前を驚かすことになるか?
そんな言葉と共に、すいと動いたアクラムの眼差しに導かれて、泰明も視線を動かそうとした、そのとき。
「泰明」
思いも掛けない声音が、名を呼んだ。
暗い室内で、詩紋は立ち尽くしていた。
部屋のほぼ半分を埋め尽くす機械装置の作動音と小さな光の明滅だけが室内を満たしている。
「…お父さん…お母さん……」
呟くような呼び掛けに応える声はない。
詩紋は悲しげに俯く。
「ごめんなさい…」
あの時から今まで。
自分は両親を助ける…それをたった一つの願いとして、生きてきた。
けれど……
青い瞳を迷いに揺らしながら、指紋は固く拳を握り締めた。
応えをくれる人はいない。
自分ひとりで決めなければ。
アクラムのプレゼント攻撃其の弐。 今度のプレゼントはやっすんの心を大いに捉えたようです、靡くかどうかはべつとして(笑)。 更に姫の心を揺り動かすべく、アクラムが仕掛けるプレゼント攻撃其の参が如何なるものかは次回に! ちなみに、アクラムのプレゼント第一弾の首飾りは、またも葉柳ブランドです。 そのデザインがホントに珍しいものかどうかは分かりかねますので、その点ご了承下さい(苦笑)。 あくやす以外では、軍側にいる詩紋もある決意を胸に動き出します。 レジスタンス側の面々も次回には登場します、多分…(汗) back top