Blue 〜eden

 

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「…友雅」

 脇目も振らずに、出口へ向かって走る友雅の耳に、消え入りそうな泰明の声が触れた。

「…何だい?」

 友雅は速度を落とすことなく、腕の中を見遣る。

 泰明はアクラムと別れてからずっと顔を伏せていた。

その彼の口から今まで聞いたことのない弱々しい声音が零れた。

「すまない…許してくれ」

「………」

 何を、とは問わずとも分かった。

「今だけ…だ…」

 今だけ、他の男を想って泣くことを許して欲しい。

 震える声音で、呟く泰明。

華奢な身体を抱える腕に、僅かに力を篭めると、小刻みの震えが伝わってくる。

 伏せた顔から零れ落ちた透明な雫が煌くのが目に入り、友雅は目を背けるように前方を見据えた。

床の震動はますます強くなり、足運びを妨げようとするが、友雅は立ち止まらなかった。

殆ど速度を落とさず、走り抜けようとした。

 

 しかし。

 

 大きな音を立てて、通路の先の天井が崩れてくる。

「…っ!!」

 通路が塞がれた。

 友雅は小さく舌打ちし、急いで他の突破口を探す。

 そのとき、不意に胸元を軽く叩かれた。

見下ろすと、泰明が澄んだ色違いの瞳で真っ直ぐ見上げている。

 その瞳にはもう涙の気配はない。

 抱いていた身体を下ろすと、泰明は壁に設えてある端末へと駆け寄った。

 パネルの上で細い指を動かすと、小さな画面が本部の全体図と、現在通行可能な出口への経路を表示する。

「この通路を戻って、左手にある通路へ入れ。急げ!」

「君は?」

 唐突に問われて、泰明は振り返る。

 唇には仄かな笑みを浮かべながらも、友雅は真剣な眼差しで泰明を見詰めている。

「君も一緒に行くだろう?」

 確認するような問いだった。

「…ああ」

 一瞬躊躇った後、小さく頷くと、友雅は安堵の息を吐いた。

「良かった。助かったよ。君を連れて戻らなかったら、天真に殺されるところだったからね」

 冗談めかした友雅の言葉に、泰明は瞬きをする。

そして、小さく笑った。

「それは大変だな」

友雅が泰明の手を引いて走り出す。

途中でその手は離れたが、ふたりは肩を並べて共に出口を目指した。

 

 

 半ば崩れ落ちた建物の前で、レジスタンスは高らかに勝利を宣言した。

 幹部を始め、生き残った軍部の人間は一人残らず捕らえてある。

 やがて、本部に軟禁されていた御門が、レジスタンスに護衛されながら皇宮へと入り、見守る民へ軍打倒と政権交代を示した。

 

「ここは…」

 参謀中将は呆然と白い天井を見る。

 ゆっくりと辺りを見回すに連れ、何処かの医務室であることが分かった。

 扉近くに誰かが立っている。

 医師ではない。

「お目覚めですか、久世中将」

 ゆっくりと戸口を離れて、中将の枕元に近付いてきたのは二人だ。

 一人は知った相手だった。

「君は源軍曹…」

 背の高い藍色の髪の青年が、無言で頭を下げる。

 もう一人の若草色の髪の知的な青年が口を開いた。

「改めてご挨拶するのは初めてかと思います。藤原鷹通と申します。本日は頼久殿と共に、レジスタンスリーダーの代理として参りました」

 その言葉で、中将は己の置かれた状況を理解した。

 同時に、そこに至る経緯も思い出した。

 あのとき自分は死んだと思ったが、どうやら助かったらしい。

 自分を救ったのはレジスタンス、そして、そのまま捕虜となったということか。

「軍は…あの方は、どうなったのだ?」

 真っ先にそう訊ねた中将に、鷹通は僅かに沈痛さを滲ませた静かな表情で応えた。

「軍本部は各地の軍基地、施設共にレジスタンスと皇宮が掌握しています。

軍属の者も生存者は皆、我々の統制下にありますが、建物が内部から崩壊した為、本部からは犠牲者が多く出ました。

遺体は発見されませんでしたが、将軍も恐らく…」

 その応えに、寝台の上で身を乗り出し掛けていた中将は、ぐったりと再び身を横たえた。

「そうか……」

 暫しの間、室内を沈黙が満たす。

「そうして、君たちは私に何をさせたいのだ?」

 覚悟を決めた中将の声音に、鷹通は苦笑する。

「軍から皇宮への政権交代は、まだ、正式に成ったものではありません。

この事実を諸外国へも明示する為に、貴方には軍を代表して、その旨を記す書面へ調印願いたいのです」

「私に否と言う権利はないだろうな」

「申し訳ありません」

「謝ることはない。敗者は勝者に従うもの。それが戦いの論理だ」

 調印に応じると頷いた中将に目礼してから、鷹通は言葉を添える。

「ただ、これだけは誤解なさらないで頂きたいのです。我々は貴方を捕虜にして、要求を呑ませる為だけに、命を助けた訳ではありません。

味方であれ、敵であれ、命は等しく同じ重みを持つもの。

それぞれの立場に関係なく救えるものなら救いたい、そうした気持ちが第一にあったが為なのです。信じては下さらないかもしれませんが…」

 久世中将は僅かに苦笑した。

「いや…だからこそ、君たちに民は従ったのだろう。民のことを考えない軍が敗れたのも道理だったのかもしれないな」

 そう言って、鷹通らから視線を外し、ひとりごちるように呟いた。

「あの方もそれを望んでおられたのかも知れない…」

 頼久と鷹通は黙って目を見交わした。

 

 

 久世中将の快復を待って、皇宮にて調印が行われ、軍から皇宮への政権交代が名実共に成立した。

 成立後の演説で、御門はレジスタンスと協力して、民を中心とした政を約束し、国民に熱烈に歓迎されたのだった。

「世話を掛けたな、永泉」

「いいえ」

 演説後、御門が声を掛けると、傍らに控えていた永泉は、微笑んで首を振った。

「新たな体制の立て直しに、忙しくなるのはこれからです、御門」

 御門もまた微笑む。

「そうか…そうだな。では、これからも世話を掛ける」

「はい」

「実はな、実現はまだ先のことになるであろうが…私はゆくゆくはこの国を皇国ではなく、民主国家にしたいと思っている」

その言葉に永泉は目を瞠った。

「その為には、貴族という特権階級をなくし、民にもそれ相応の教育が必要となるだろう。それにはそなたの協力が必要だ、頼むぞ、永泉」

「…私の力及ぶ限り、喜んでお手伝いさせていただきます、兄上」

 微笑んで礼をする永泉の姿には、それまでにはなかった落ち着きと強さが感じられる。

 それを頼もしく思いながら、御門はさらりと話題を変えた。

「今後の政策は、レジスタンス幹部の面々と相談をしながら、決定していくつもりだ。

しかし、先日リーダーに協力を依頼したところ、断られてしまってな。

他の幹部については個人の自由に任すが、自分は政治家という柄ではないから…とな」

「友雅殿らしいお言葉です」

「そなたでも説得は無理か?」

「私などはとても…かの姫君が説得なさるのなら、効果もありましょうが…姫君もそのようなことは望んでいらっしゃらないようですから」

「そうか、それは残念だ」

 口ではそう言いながら、御門は楽しそうだ。

 永泉も軽い口調で言い添えた。

「ご安心を、御門。友雅殿はいざというときの助言を惜しむ方ではいらっしゃいません。

そのときは快く協力下さることでしょう。姫君もまた…」

「永泉、そなたはかの姫君に…」

 ふと、真面目な口調となった御門に、永泉は微笑んだまま応える。

「あの方に出会えたことを、私は何よりも幸福だと思っております。それが叶わぬ想いでも…」

 だから、ここまで強くなれた。

 永泉の言葉に、御門は小さく頷きを返した。

 

 

 新体制の下、社会が動き始める。

 軍とそれに与した者たちへの処断もなされたが、そんなとき、詩紋が発病した。

 両親と同じ、不治の遺伝病である。

「いらっしゃい、天真さん。イノリくん」

 詩紋は柔らかな笑顔を浮かべて、見舞いに来た天真とイノリを出迎えた。

「これ。食べ物でも良いかどうか分かんなかったからさ。前もって医療センターに聞いときゃ良かったんだが」

「ううん、有難うございます。うわぁ、綺麗だな」

 差し出された造花の花束を、詩紋は笑顔で受け取った。

「それな」

「はい」

「泰明が作ったんだ」

「……」

「お前、泰明に会うの避けてるだろ?」

「僕は泰明さんに会う資格がないから…」

「何言ってんだ。あいつは何も気にしちゃいない。だから、お前も気にすんな。

お前に会えないってんで、あいつ悲しそうにしてるんだぜ。会ってやれよ」

 詩紋は躊躇いながらも、頷いた。

 天真の傍らでイノリは、ずっと黙っていた。

 何を言って良いのか分からなかったのだ。

 詩紋が兄を殺した軍側の人間で、自分たちを騙していたことに、イノリは憤慨していた。

 しかし、詩紋には詩紋の事情があり、それが想像以上に辛く厳しいものであったことを知り、イノリの中の怒りは消えていた。

「…悪かったな」

 唐突な台詞に、詩紋や天真までもがきょとんとした顔をする。

「や、俺、何にも知らずにお前を悪者だと決め付けてたからさ…」

 弁解するように言うと、詩紋は小さく笑って首を振った。

「謝らなくていいよ。僕が悪いことをしていたのは事実だもの」

「んなこと言うなよ」

 暫く他愛ない会話を交わした後、イノリが思い切ったように訊ねた。

「どうなんだ?その…病気のほうは?いや、言いたくなかったら言わなくて良いんだけどさ…」

「毎日検査してるけど、今は小康状態、かな?」

 詩紋は何でもないことのように応える。

「ここの医師団の方が治療法を見付けようと頑張ってくださってるんです。

鷹通さんも知り合いの研究者の方に掛け合って、協力をお願いしてくれていて…だから、僕も諦めないことにしたんです。

諦めずに、この病気を治して、罪を償って…今度こそ僕が本当にやりたいことをやりたい。

それがお父さんとお母さんに最後にした約束でもあるから」

 泰明さんも、きっとそれを願ってくれている。

 力強い言葉だった。

 天真とイノリは驚いたように顔を見合わせ、笑顔で頷いた。

「ああ、頑張れ」

「お前なら大丈夫さ」

 

 

 少しずつ世界が生まれ変わっていく。

 その予感に、街を行き交う人々の表情も明るい。

 前向きな気持ちは、前向きな未来を連れて来る。

 そう信じ、行動することが世界を変えていく。

 

 

「泰明」

 灰色の浜辺に佇んでいた泰明は、呼び掛けに振り返る。

 水平線の彼方から吹き寄せてくる風に、首の後ろで束ねた髪が翻る。

「友雅」

 淡く微笑んで、近付いてくる。

「何をしていたの?」

 問うと、泰明は握った手を開いて見せた。

 白い掌の上に、青い硝子の欠片。

 友雅は微笑んだ。

「また、集めているんだね」

「以前、集めたのはなくなってしまったから」

「すまないことをしたね」

「いや、必要なことだったのだから良い」

 首を振った泰明は、波に洗われ、砂に研磨されて角が丸くなった欠片を握り締め、細い首を傾げる。

「だが、以前に比べて、なかなか見付からない」

「ああ」

 友雅は愉しげに笑って、泰明の握った手を包むように手に取る。

「皆が少しずつ綺麗にしていっているのだろう、海も浜辺もね。ここの砂も以前よりは白くなっているだろう?」

「そうだな」

 頷いて足元の浜辺を見下ろした泰明が、再び海を見る。

「海の色も以前より青味が出てきたように思う」

「おや、そう?」

「そうだ」

 泰明が白い指で海を示したそのとき。

 常に空を覆っていた厚い雲に切れ目ができ、光が差し込んだ。

 海の上を光のカーテンが横切り、水面を青く煌かせる。

「あ!」

 泰明が嬉しげな声を上げる。

 それは一瞬の光景。

 すぐに光の出口は再び厚い雲に遮られ、海は元の暗い色となる。

 しかし、その一瞬には、確かに泰明が夢見た青があった。

 今は一瞬でも、何時かは…

 友雅を振り返った泰明が、弾けるように笑う。

 澄んだ瞳が先ほどの青と同じように煌いている。

 その瞳に映る楽園。

 いつかふたりで辿り着きたい場所。

 それが叶うのはそう遠い日ではないかもしれない。

 ふと、確信めいた予感が、友雅の胸を過ぎった。

 

 友雅もまた、花のような笑顔に、明るい笑みを返し、細い身体を抱き締めた。

 


the end
エピローグです。 そして、2005年5月から4年5ヶ月に亘って休み休み続いてきたBlueシリーズもこれにて、完結となります。 で、肝心のラストですが、私の中では最もベストな結末を選択したつもりです。 大団円とはいきませんが、希望を感じさせるような… その割には詰まらないor納得できないラストでしたら申し訳ありません(汗)。 文句やご不満は胸に秘めておいて頂けると有難いです(弱気)。 ラストに近付くにつれて、各キャラの活躍に差が出てしまったのは、個人的な反省点です。 話の流れ上、仕方ないのですが、もうちょっと活躍させてあげたかったなあと思うキャラが幾人か…(苦笑) そう、このBlueシリーズ、ともやすベースのやす総受などと謳っておりましたが(もちろんそれも事実です/笑)、 実はもうひとつのメインはあくやすでありました。 アクラムとやっすんが最初から上手く行っていたら、友雅氏の出る幕はなく、 そもそも、Blueシリーズという話が成立していなかったかもしれません(笑)。 最後に、サブタイトルのネタばらし的なことを。 「glass」「angel」「ray」「eternal」「knot」「innocence」それぞれの頭文字、g、a、r、e、k、iと、 最終章「eden」を読み替えると、「ガレキの楽園」というこのシリーズの序章となった話のタイトルとなります。 そうなることを目論んで、サブタイトルを決めていたのですが、既にお気づきの方もいらっしゃったかもしれませんね(笑)。 何はともあれ、最後まで書き終え、こうしてネタばらしをすることが出来て、嬉しいです♪ 長らくお付き合いくださいました皆様、本当に有難うございました!!(平伏)そして、お疲れ様でした(笑)。 back top