Blue 〜angel〜
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三年前、突然妹がいなくなった。
それから間もなく、死んだと聞かされた。
信じられる訳がなかった。
亡骸さえ目にしていないのだ。
信じる訳にはいかなかった。
しかし、軍の言うことに、疑問を差し挟むことはできなかった。
両親は嘆きながらも、妹のことを諦め、やがて病の為、相次いで亡くなった。
だが、自分は今も妹の死を信じていない。
両親の眠る墓碑の前に、背の高い少年が佇んでいる。
生温い風が、明るい色の髪を僅かに揺らめかせた。
久々に雨が降るかもしれない。
乾いた大地に降るのは、恵みとは程遠い大気の有害物質を含んだ雨だ。
触れれば、すぐさま人体に甚大な影響を及ぼすものではない。
しかし、傘も差さずに、その身を晒し続けるには危険だ。
少年が生まれたときから、雨とはそういうものだった。
街の中央から発せられた避難勧告のサイレンが、この街外れの墓地にまで遠く近く響いてくる。
それでも、少年は墓の前から動かなかった。
これまで、両親の前では、妹のことは諦めた振りをしていた。
両親が無茶をしがちな自分の身を常に案じていたから。
だが、今は。
敢えて、無茶をしてみるつもりだった。
ある意味、両親は少年が危険を冒さないための枷だった。
それがなくなった…守るべき存在が手に届く場所にいなくなった今こそ、動き出すときだ。
「とんだ親不孝者だって言われるかもしれないな…」
唇に苦い笑みを浮かべて、少年は手にした小さな花束を墓前に供えた。
生花ではない、造花だ。
緑が失われつつある世の中、本物の花を手に入れることなど不可能だからだ。
造花の方が、枯れることもなく何かと便利だ、と言う者もいたが、少年は好きではなかった。
どんなに精巧に造ってあっても、乾いた花弁や葉の感触は、無機質で味気ないものを伝えてくる。
少年は本物の花を知らない。
だが、生きている花はずっと瑞々しく、柔らかかったに違いない。
徐々に翳りを増す空の下、少年はやっと両親の墓に背を向けて、走り出す。
踵に叩かれた乾いた砂が、一瞬巻き上がり、風に紛れた。
ここに暮らす人々もまた、造られた花のように、生の瑞々しさと柔らかさを失いつつある。
そう少年には感じられた。
そして、今のこの世界を造り上げたのは間違いなく軍なのだ。
また、少年にはある確信があった。
妹は生きている。
生きて、今も軍にいる。
駆けていく少年の姿が、通りの角に消えて暫く後。
静かに灰色の雨が降り始めた。
「降格だ」
処分を言い渡された頼久は、黙って目を伏せる。
視線を下に向けた拍子に、腕に巻かれた包帯の白さが目に入った。
頼久は二週間前起きた軍付属研究所爆破事件の唯一の生存者だった。
たまたま見付けたという地下道、見付けたときはそれも、上からの瓦礫に殆ど埋まっていたが、
その隙間に身を潜めていたのが幸いして、大きな怪我を負うことなく奇跡的に生還した。
しかし、研究所の爆破という大事件を防げなかった責任は大きいとされたのだ。
「貴君は今後、曹長よりも一階級下、軍曹の扱いを受けることになる。それに伴い、貴君は、第二部隊に配属される。
第二部隊曹長、牧(マキ)とは同期で色々とやりにくいこともあるだろうが、今後は彼の指示に従うように。
また、貴君が長として取りまとめていた、第八少数突撃部隊『疾風(Hayate)』は解散。
各隊員も、貴君同様、それぞれ別々の部隊に配属されることになる」
「は」
淡々と言い渡される処分内容に、異議を唱えることなく、頼久は背筋を伸ばして敬礼する。
頼久は沈黙を守り通した。
公式には、軍外部の何者かに爆破されたことになっている研究所が、実は意図的に軍研究所所員によって爆破されたこと。
それ以前に、研究所に侵入者があり、最重要機密であった研究データを消去したこと。
その侵入者たちに頼久が遭遇したこと。
彼があの場所で体験し、知り得た全てのことに関して、頼久は一切触れなかった。
事情聴取の際には、警備の指令を受けて研究所を訪れ、隊員たちの合流を待つ間もなく、
突如として研究所が爆破した、とだけ彼は語った。
調査官から探るような目線を向けられたが、いささかも動じることはなかった。
そして、今もやはり動じることなく、頼久は下された処分を受け入れた。
上官の部屋から廊下へと出て、暫し歩む。
ふと何かを感じて、簡素なコンクリートの壁に真四角に切り取られた窓を見ると、外は数ヶ月ぶりの雨だった。
このどこまでも乾いた世界に、年に数回の割合で降る雨は、徐々にひとの生気を奪う毒を含んでいる。
ふと、あのひとはこの雨をどのように凌いでいるだろうかと、思う。
あのひとの傍には、彼がいる。
自分が余計な心配をしなくても、彼があのひとを守っているだろう。
だが、想いを馳せることは止められない。
黒い軍服の懐から取り出したプラスチックケースを見詰める。
中に篭められた幾つもの青い硝子片の透き通る様は、否応なくあのひとの姿を連想させた。
澄んだ色違いの瞳。
艶やかに流れる髪。
白い肌。
華奢で儚げでいながら、思わぬ毅さも秘めたその姿。
思い出すだけで、こんなにも焦がれる。
この想いは、離れてある分、一層強くなるようだった。
一緒に行こうと手を差し伸べた彼を拒んだのは、他ならぬ自分であるのに。
あのときも、彼らと共に行きたいという気持ちはあった。
だが、まだそのときではないと告げる勘が、それを止めたのだ。
自分はまだ、軍にいなければならない。
ここで、しなければならない、或いは知らなければいけないことが、きっとある。
「源曹長!」
ケースをもう一度、懐に収めたところで、解散を言い渡された『疾風』の隊員たちが、
ばらばらと駆けてきて、頼久の周りに集まった。
「もう、曹長ではないぞ」
頼久の言葉に皆、一様に息を呑む。
「で、では…」
問い掛ける幾つもの目線に、頼久は頷く。
「先程、降格処分を言い渡された。今の私は曹長ではなく、軍曹だ」
「そんな…!」
隊員たちがどよめき、あまりにも厳しい処分だと、口々に不満を漏らす。
そのうちのひとりが、不安そうに頼久を見上げる。
「それでは、我々の部隊…『疾風』は、どうなります?」
「…解散だ」
その応えに、先程よりも更に大きなどよめきが起こった。
「そ、そんな…!!」
「あんまりだ…!」
「我々はこれからどうすればいいんですか!」
口々に訴える彼らに、頼久は微苦笑を向けた。
「すまないな、皆。私の不手際の所為だ」
「…っいいえ!曹長の所為では…」
「あのとき我々が、もっと早く合流できていれば…」
悔しげに歯を食い縛る彼らに、頼久は静かに言い諭す。
「悔やむな。もう起きてしまったことだ。私は既に、おまえたちに命令できる立場ではないが…
これからは皆、『疾風』で積み上げた経験を生かして、それぞれ配属された部隊で、力を振るってくれ」
「我々は曹長以外の命令など、聞きたくありません」
しかし、ひとりがきっぱりと口にし、それに皆が同意するように頷いた。
思い切った発言をしたのは、頼久の部下の中では、一番冷静だった青年だった。
その青年が、頼久に思慮深い眼差しを向けてくる。
「曹長。今の貴方は、これほどまでの厳しい処分に、いささかの動揺もないように見受けられます。
いや…降格や部隊の解散以上に重要な…我々には及びも付かない何事かを決意されたようなお顔をしていらっしゃる。
我々が合流する前の研究所で何があったのですか?
いえ、それよりも今、何をお考えなのか、我々にお聞かせ願えませんでしょうか?」
「……」
頼久が沈黙すると、青年は静かに腰を折った。
「差し出たことを申しました。しかし、これだけは覚えておいて頂きたいのです。我々の心はとうに決まっております。
貴方が部隊を率いる曹長でなかろうと、部隊そのものが失われようと…
我々は貴方の命令を以って動く『疾風』の一員であることを忘れません」
そうして、顔を上げた青年が頼久を見上げる。
周囲を見れば、他の隊員たちも皆、決意を秘めた強い眼差しで彼を見上げていた。
「…事を起こす際には、我々に是非ご命令を」
囁くような言葉に、目を瞠った頼久だが、次いでゆっくりと目元を綻ばせる。
「…心強い」
呟いた口元に、僅かに不敵な笑みが滲んだ。
「源曹長」
呼び掛けに振り返ると、廊下に固い靴音を響かせながら、ひとりの軍人がこちらにやってくる。
頼久は素早く背筋を伸ばし敬礼する。
彼に遅れず、『疾風』隊員たちも敬礼するが、先程交わしていた会話もあっただけに、僅かに緊張した面持ちだ。
しかし、緊張の原因はそれだけではない。
ゆっくりと頼久に近付いてくる軍人は、彼の直属の上官ではない。
それよりもかなり上、上級仕官の制服を纏っている。
襟元に光る徽章は、将校クラスのものだ。
直接の関わりはないが、頼久はこの人物を知っていた。
いや、頼久だけではない、どんな下級クラスの者であっても、軍属にある者が、
将軍の傍らに控える参謀中将を知らぬ訳がない。
中将は呼び掛けた後、頼久の目の前で立ち止まってから、再び口を開いた。
「源曹長…いや、今は軍曹であったな」
「は」
「話の途中であったようだが、大丈夫だろうか」
「いえ、既に話は終わりました故」
「そうか。では、早速用件に入らせて頂こう。いきなりですまないが、これから少々君の時間を頂きたい。
君に会ってみたいと仰る方がいるのだ」
中将の口振りから、頼久に会いたいと言っている者の正体はすぐに知れた。
この軍組織の頂点に立つ将軍そのひとだ。
それを察した頼久の忠実な部下たちは、それとなく目を見交わしたが、頼久の表情は動かなかった。
「了解しました」
頼久の応えに鷹揚に頷く中将の表情も無機質なものだった。
「では、源軍曹。付いてきなさい」
不安気に見守る部下たちに、大丈夫だと請合うように、頷いて見せてから、頼久は踵を返した中将の後に従い、歩き出す。
そうしながら、将軍がしがない下士官である自分に会いたいと言った理由に考えを巡らした。
いや、考えるまでもない。
自分が軍の重要機密に関わる研究所爆破事件の唯一の生き残りだからだ。
頼久は頑として口を割らなかったが、将軍は彼が軍の機密の一端に触れたことを見破っているのかもしれない。
或いは、その疑いがあると見て、自ら尋問するつもりなのか。
それにしては、迎えにきた中将の態度は、下士官に対するものとは思えないほど丁重だった。
そもそも疑いがあると判断された時点で、自分の命はない筈である。
それが軍のやり方だ。
ならば、何故…?
将軍は、自分と何を話したいというのだろうか。
瞬時に脳裏に浮かんだのは、澄んだ煌きを纏う美しい姿。
予感めいた思いに捕らわれながら、頼久は固く心に決めた誓いをもう一度、噛み締める。
例え、己の身がこれからどのような状況に置かれようとも、彼の…泰明のことだけは口にするまい……と。
経過予想通り、やはり、やっすん登場まで辿り着けませんでした(苦笑)。 そして、何故か幅を利かす頼久。 この話は一応前もって、「天真篇」と銘打っているのですが、 天真は今のところ冒頭に登場しているだけですね(しかも、名前も出てない/汗)。 前回の「Blue 〜glass〜」といい、このシリーズは話の展開上、 初登場キャラが必ずしも活躍するという訳ではないみたいです(苦笑)。 前回のは「頼久登場篇」、今回のは「天真登場篇」と銘を打ち直した方が宜しいかもしれませんね。 そして、この一話目では、愛しのやっすん未登場の救済措置(?)として、頼久には隙を狙って、 やっすんのことを妄想(違)してもらいました♪ …しかし、その隙さえもあんまりないところが辛いです(苦笑)。 とはいえ、やっすんを書く楽しさには劣るものの、 こういうカチカチした話を書くのも結構面白いのですよ、 頼久と『疾風』隊員たちとの暑苦しい忠愛(?)とかね(笑)。 何はともあれ、Blueシリーズ第2弾「Blue 〜angel〜」始動です。 登場人物も増えてきたので、前回よりも長引くかもしれませんが、 宜しくお付き合いいただけましたら嬉しいです♪ 次回は、敵キャラ黒幕(?)の初顔見せとなりそう。 さあ、だ〜れだ?!…って予想つきますよね、きっと(笑)。 top