君に捧げる愛のうた SIDE:B
小さなテーブルの上に、菓子の箱を広げる。
中身はシュークリームである。
「ここは茶などを準備出来る場所はあるのか?」
「いや、出口近くにある自販機で買うぐらいじゃな」
「では行ってくる」
「お、なら儂も行くぞ!!」
さっと、身を翻す泰明の後に、すかさず雷牙が付いていく。
出遅れた天真は、内心で小さく舌打ちをした。
「さあさあ、森村さん。そんなところに立ったままでいないで座ってくださいよ」
『スカーレット・ミーティア』のメンバーに促され、腰掛ける。
「あ〜、俺のこと知ってんの?まだ、名乗ってないと思うんだが…」
「勿論知ってますよ。オートレーサーの森村天真さんでしょう?
俺、オートレース結構好きなんですよ。まさか森村さんが雷牙の知り合いだとは思わなかったけど」
隣に座ったメンバーが、にこりと笑う。
「毎回レースの度に、記録伸ばしてますよね。いつも凄いなって思って見てますよ」
「…そりゃ、どーも」
正面切って賞賛されると、流石に照れくさい。
少々ぶっきらぼうな返答にも、彼は気分を害した様子もなく、にこにこしている。
他のメンバーも次々に気さくに話し掛けて来る。
皆一様に髪を染め、派手な服装をして、腕や顔にタトゥーを入れている者もいるが、意外に親しみやすい印象だ。
元々、誰が相手であろうと、臆することのない天真も、すぐに彼らとごく自然に言葉を交わしていた。
「…で、ここでは天狗…じゃない、あいつはどんな感じなんだ?上手くやってるか?」
「雷牙ですか?ええ、あいつは凄いですよ。歌声に迫力がありますからね」
「へえ…あいつが歌が上手いなんて、ちょっと意外だけどな」
「森村さんって、雷牙のこと「天狗」って呼ぶんですね。あの、綺麗な…泰明さんでしたっけ?あのひとも」
顔を覗き込むようにして言われ、天真は何と答えたものかと思わず黙り込んだ。
まさか、奴が本当に今の世では想像上の妖怪と言われる天狗そのものだとは言えない。
あれほど周囲に馴染んでいる雷牙の様子を見て、それを信じる者がいるとも思えない。
「…あ〜、まあな。あだ名みたいなもんだよ」
「ああ、分かるような気がする。雷牙って、自分のことを『儂』とか言ってるし。ちょっと爺さんみたいな面白い話し方しますよね」
「まあ、面白いってのは事実だな。けど、あいついつもうるさいだろ。喧しすぎて、迷惑掛けてるんじゃないか?」
「いやいや、賑やかで毎日、愉しいですよ」
「俺たちはどっちかって言うと、おとなしい方なんでね」
「…ホントかよ」
ふと会話が途切れた瞬間、隣に座ったメンバーがポツリと独り言のように呟いた。
「…想像と違ったな」
「何が?」
天真が訊ねると、相手はからりと笑う。
「泰明さんのことですよ。あのひとのことを雷牙がことあるごとに話題に出してたんでね、てっきり、恋人かと思ってたんですけど…」
思わず、天真は眉を顰めた。
仲間にそう思わせるということは、雷牙がどのように泰明のことを皆に話していたか、容易に想像が付こうというものだ。
天真の表情を見て、話題を振ったメンバーは、微苦笑して肩を竦める。
「でも、先ほどの泰明さんとのやり取りを見ても、違うみたいですね。ありゃ確実に雷牙の片想いだ」
「当たり前だ。両想いで堪るかよ」
ぶっきらぼうに言うと、貴方も?と、目で問われ、こちらも思わず苦笑した。
「大変ですね」
愉しそうに笑う面々から、何気なく視線を外し、テーブルの上を見る。
と、ちょうど手元に白い紙があるのに気が付いた。
「何だ、これ?」
「ああ、これからレコーディングする予定の曲の詞ですね。雷牙の奴、しまっとけって言ったのに、また、出しっぱなしで…」
「発表前だって言うんなら、部外者は見ないほうが良いな」
そう言って、天真は紙に書かれた詞は敢えて見ずに、そのまま差し出す。
「いや、見ても良いですよ。森村さんは音楽業界の人じゃないし、雷牙の友達だし。
それにこの詞も、これからどんどんアレンジしていくんです。いざ完成したら、殆ど原型を留めないこともあるくらいで」
そんな企業秘密というほどのもんでもないんですよ、と言う軽い口調に、
手元にある詞を見てみて欲しいというニュアンスを感じ取り、天真は紙をくるりと手元に引き寄せた。
「これ…」
詞を目で追ううちに、天真は思わず片眉を上げた。
内容的にはラブソングである。
正直言って、あの天狗がよくも恥ずかしげもなく…と思うほど、こなれている。
しかし、天狗も想い人と恋歌を交わすのが一般的な京という世界にずっといたのだ、こなれているのも当たり前かもしれない。
それはともかく…
「森村さんなら、この詞が誰に向けてのものなのか、分かりますよね?」
「…」
「最初、雷牙にこの詞を出されたときは、このご時世に、こんな身も心も綺麗なひとが居る訳ないって、俺らは思ったんです」
「そうそう。現実味がないって言うか、雷牙は自分の好きなひとに、ちょっと夢見すぎなんじゃねえのって思ってた」
「けど、今日泰明さんに会ってみて、なるほど、と思いましたよ」
「身に纏う雰囲気からして違うもんな。いまどき珍しいくらい綺麗なひとですよね」
何処か感慨深そうに頷き合う彼らに、天真は思わず微苦笑した。
「まあ、確かにな。でも…」
そのとき、扉が開いて、話題の主が戻ってきた。
泰明は両手にひとつずつ、缶コーヒーを持っていたのを、片手に纏めて持ち替え、入ってきた扉を開いたままの状態で支える。
その扉を残り四個の缶コーヒー、どころか、ジュースやコーラなど、明らかに人数以上の缶を抱えた雷牙が入って来た。
「何だよ、えらい量だな」
「いやいや、どれも好きで、迷ってしまってなあ。好きなものを全部買って来たんじゃ」
目を丸くするメンバーに、雷牙は悪びれることなく、あっけらかんと言う。
「何、心配するな。余った分は全部儂が飲む!!」
「だろうな。その点は心配してねえよ」
相変わらず食い意地…いや、これは飲み意地か、が張っている。
軽く揶揄するように言いながら、天真は泰明から缶コーヒーを受け取る。
「サンキュ」
笑い掛けると、泰明は、にこりと小さく、しかし、可愛らしく微笑み返した。
次いで、天真の手にした白い紙に気付き、怪訝そうに睫長い瞳を数回瞬かせる。
「それは何だ?」
「ああ、これか?」
天真が詞が書かれた紙を差し出す。
それを泰明が受け取ろうとした瞬間、
「のわ〜〜〜〜ッ!!」
雷牙が大絶叫し、抱えていた缶を放り出した。
「うわっ!!」
ガラゴロと缶が床に転がる音が喧しく響く。
その音と、雷牙の大声に驚いて、泰明は大きな瞳を更に丸くする。
「こおら、雷牙!!床が傷付いたらどうすんだッ?!!」
騒ぐ仲間の声に構わず、雷牙は受け取る途中で止まってしまった泰明の細い指先から、紙を引っ手繰る。
泰明はそんな雷牙の様子を見て、瞬きをひとつしてから、問う。
「それは天狗のものなのか?」
「ま…まあな…」
雷牙は真っ直ぐ見詰める泰明の目から、取り戻した紙を背の後ろに回して隠し、視線を泳がせる。
「天真は見たのに、私が見ては駄目なのか?」
「なッ!天真は勝手に見ただけじゃ!儂が見せようとしたんじゃないわい!!」
「しかし、結果としては見た。その上で、私から隠そうとする意味が解せぬ」
泰明の澄んだ無垢な眼差しに迫られ、雷牙は徐々に追い詰められる。
それに伴って、その顔が赤くなっていくのを、天真を含めたその場にいる面々は面白そうに眺めるだけで何もしようとしない。
「べ、別に大したものじゃないわ!!お主が見なくても良いものじゃ!!」
ついには真っ赤になった顔で、雷牙は苦し紛れに言い放つ。
そうして、ぐっと、唇を引き結んで俯く。
しかし、
「…そうか」
何処となく沈んだ調子の澄んだ声が耳を打って、顔を上げる。
そして、萎れた花のように俯いている目の前の儚げな姿にぎょっとする。
「ど、どうしたのじゃ?!具合でも悪うなったか?!」
突如慌てて俯いた顔を覗き込もうとする雷牙に、泰明は小さく首を振った。
「分かったのだ。天狗はその紙に書かれた内容を私にだけは見られたくないのだな…もう無理は言わぬ」
あまりにも打ちひしがれた風情に、雷牙はぐっと言葉を詰まらせる。
周囲からは刺すような非難の視線だ。
更に追い詰められた雷牙は、絶句した後、思わず唸った。
そうして、頭を抱え、もう一度ちらりと泰明を見る。
「…そんなに見たいか?」
泰明がぱっと顔を上げる。
「見ても良いのか?」
一転して軽やかになる表情と声音に、雷牙はとうとう白旗を揚げざるを得なくなった。
「儂の書いた歌の詞じゃ。見ても、笑うでないぞ」
頷いて泰明は、雷牙が差し出した紙を受け取る。
そうして、書かれた詞に目を通し、ふと、細い首を傾げた。
「これは…愛のうたか?」
「ああまあ…そうじゃな」
「笑うほど、おかしな詞ではないと思う」
「そ、そうか。やっぱり儂は天才じゃ!!」
「調子に乗るんじゃねえっての」
「うるさい、天真!いきなり割り込むでない!!」
再び火花を散らして睨み合う雷牙と天真を他所に、泰明はもう一度詞を読む。
そうして、顔を上げ、雷牙を見上げて、にこりと無邪気に微笑んだ。
「伝わると良いな」
「!〜〜〜〜〜ッ…!!」
「どうした?」
目の前でしゃがみ込み、頭を抱える雷牙に、泰明はきょとんとする。
その有様にとうとう天真は、我慢できずに噴き出す。
後を追うようにして、バンドメンバーも笑い出し、部屋は爆笑の渦に呑まれた。
泰明はきょとんとしたまま、不思議そうに周囲を見回す。
「…なるほどね……これは…前途多難だ…」
笑い混じりにそう言うメンバーのひとりに、天真も笑いながら、肩を竦めた。
「だろう?」
「何の話だ?何のことを話しているのだ、天真?」
「いやいや、こっちの話」
突如、頭を抱えていた雷牙が、がばりと身を起こす。
「おのれ、泰明!覚えておれ!!何時か絶対お主にも分かる詞を書いてみせる!!」
びしりと、泰明に向かって指を指して宣言する雷牙。
泰明は訳が分からぬまま、瞬きを繰り返す。
「??この詞の意味は分かるぞ。先ほども言った愛のうただろう?」
全く伝わっていない泰明の反応に、周囲はますます大きな笑いに沸く。
「ええい!儂の言っているのは、そういう意味じゃない!!とにかく、今よりももっと良い詞を書いてみせると言っているのじゃ!!」
「おう、せいぜい頑張って売れる詞を書いてくれ」
「期待してるぜ、愛の詩人」
「ちゃかすなあッッ!!」
ぎゃいぎゃい騒ぐ彼らを笑いながら見ていた天真は、ふいに泰明と目が合う。
泰明は少々呆気に取られていた様子だったが、天真が笑顔で肩を竦めて見せると、微笑んだ。
少し安堵したように。
その微笑に、胸を温められつつ、天真はいつか、雷牙の愛のうたが、泰明に届く日が来るのだろうかと考えた。
そのとき泰明は、どんな応えを返すのだろうか。
「ま、おとなしくしているつもりは毛頭ないけどな」
ひとりごちるように呟く。
そのときは、自分もまた、泰明に愛のうたを捧げよう。
作詞家に限らず、恋する者は皆詩人なのだ。
例え、泰明が詞に隠された意図を理解するのに、どれだけ時間が掛かろうとも。
雷牙がその気なら、この勝負、断じて退くものか。
やってやろうではないか。
そんな密かな決意を胸に秘めつつ、天真は手にした缶コーヒーを開けた。