君に捧げる愛のうた SIDE:A
都内の某スタジオ。
その小さな駐車場に、今一台のバイクが滑り込んだ。
「ほら、泰明。先に降りてな」
「ん」
泰明は素直に頷いて、ヘルメットを脱ぎ、後部座席から降りる。
差し出された手に、ヘルメットを渡すと、片手で持っていた小さな箱型の紙袋を、細い両腕で大事そうに抱え直した。
受け取ったヘルメットを取り敢えず、後部座席に置いた天真は、シールド越しにちらりと、スタジオの入り口を見る。
数人の派手な格好の少女たちが、賑やかに屯している。
(めんどくせえな…)
内心舌打ちして、天真は泰明に向き直る。
「すぐ停めてくるから、そこで待ってな」
「分かった」
その場に泰明を待たせて、バイクを停め、一緒にスタジオの入り口へと向かう。
泰明と肩を並べて歩きつつ、天真はさり気なく、件の少女たちがいる側に回った。
そうして、自分の身体で泰明を隠すようにしたのだが。
近付いてくるふたりを少女たちは興味深げに見遣り、何事かを囁き交わす。
天真が嫌な予感を覚えると同時に、少女たちがバタバタと駆け寄ってきた。
「あ、あのー…」
「何?」
「森村天真さんですよね?オートレーサーの」
「…!」
こんな少女たちが自分のことを知っていたことに意表を突かれて、天真は一瞬返答に詰まる。
しかし、すぐに我に返って、ぎこちなくではあるが、微笑んで見せた。
「ああ、そうだけど」
「やっぱり!」
「前、月刊☆☆にインタビューが載ってましたよね?」
「そのときからカッコいいなあと思ってたんです〜っ!!!」
「実物もすっごいカッコいい〜っっ!!!」
ただのミーハーか。
「そりゃ、どーも」
鬱陶しいとは思いつつ、天真は笑顔を保つ。
幸いにも、少女たちは天真に夢中で、向こう側にいる泰明には気付いていない。
自分が人身御供となって、泰明を守れるのなら、幾らでもやってやろうじゃないか。
「森村さんは、このスタジオに何の御用ですかぁ?」
「あ〜…知り合いがここにいるんでね、ちょっと顔見に」
「もしかしてそれって…」
少女たちが顔を見合わせ、嬉しげに声を合わせる。
「『スカーレット・ミーティア』のことですか〜っ?!」
「…あ、ああ、確かそんな名前だったと思うけど」
詰め寄る少女たちに気圧されつつ、天真が何とか応えると、歓声が上がった。
「すっごおぉぉい!!『スカーレット・ミーティア』のメンバーと森村さんが知り合いだなんて!」
「私たち『スカーレット・ミーティア』の大ファンなんです!!今日もここで、レコーディングしてるって聞いて、一目でも見たいと思って」
「へえ」
そろそろ解放して欲しいと思いながら、天真は適当な相槌を打つ。
「それで、森村さんはメンバーのどなたとお知り合いなんですかぁ?」
そこで、少女たちの視線が、不意に天真の傍らにいる泰明へと動いた。
しまった、と天真が思う間もなく、再び歓声が上がる。
「うわぁ!すっごい綺麗なひとぉ〜っっ!!」
「何のお仕事してるんですか?!モデルさんか何か?」
案の定、少女たちは、泰明の美貌に喰い付いた。
それまで、天真の蔭で喧しく騒ぐ少女たちを、呆れ半分、物珍しさ半分で眺めていた泰明だったが、
急に彼女たちの話題の矛先が己へと向かい、面喰ったように、瞬きを繰り返す。
「いや、私は…」
「ええ〜!違うよぉ!!こんな綺麗なひとがモデルだったら、色んな雑誌やテレビで紹介されてるよ、知らない訳ないって!!」
「そっか!それもそうだね!!」
「芸能人でもなさそうだよね。あ!分かった!!これからモデルとして、デビューするとか?!」
「ありうる〜っ!!」
彼女たちは自分たちだけで身勝手な会話を繰り広げ、当の泰明が口を挟む隙もない。
しかも、彼女たちの騒がしさに、気を引かれたように立ち止まって、こちらを見遣る通行人も増えてきた。
(まずい!)
「森村さんのお友達ですか?それとも…」
「悪いけど、俺たち急いでるから、もう止めてくんない?」
再び訊ねてき少女たちに、天真は笑顔のまま、ぴしゃりと言い放った。
瞬間、少女たちの喧しい声が途絶える。
その隙を突いて、天真は泰明の細い肩を引き寄せて促し、足早に彼女たちの横を通り過ぎて、スタジオへと入った。
やっと、騒がしさから解放されて、天真は大きく息を吐く。
少々、邪険に扱ってしまったから、あの少女たちは機嫌を悪くしたかもしれないが…
(俺の知ったことか)
あいつのバンドのファンだというのだから、その後の対処はあいつに任せよう。
というか、それが当然だろう。
(くそ、これだけで疲れちまった)
天真が忌々しい思いを噛み締めていると、不意に、隣にいる泰明が覗き込んできた。
「天真、大丈夫か?」
「あ?ああ」
「疲れた顔をしている」
澄んだ瞳に気遣わしげな色を浮かべて、泰明は手を伸ばし、少し浮かんでいる汗を拭うように天真の額に触れる。
少しひんやりとした、滑らかで華奢な手指の感触が、心地良い。
「心配すんな、もう治った」
「本当か?」
「ああ」
微笑んで頷くと、泰明は安堵した様子で、そっと手を離した。
離れてゆく指先と儚い温もりが、少し惜しい。
「行くか」
「ああ」
そんな気持ちは隠して促すと、泰明は頷きを返して、歩き出す。
「で、あいつが使ってるスタジオは何処だって?」
「第三スタジオと聞いている」
「第三…ああ、あそこか」
扉に近付くと、微かに中の音が漏れてくる。
その扉を開くと、その隙間から、ギターやベース、ドラムなどの様々な音が飛び出してきた。
更に扉を大きく開いて、天真と泰明は揃って中を覗き込む。
そんなふたりに気付いたのだろう、楽器の音が止んだ。
が、その代わりに、
「や〜すあき〜〜っっ!!」
大きく名を呼ばわる声と共に、背高い人影が、緋色の残像を引くほどの勢いで突っ込んでくる。
が、泰明は冷静だった。
襲い掛かる相手を、寸でのところでひらりと躱す。
派手な衝突音が響いた。
その音に紛れるように、泰明の隣で、天真が呆れ顔で呟く。
「アホ」
束の間の沈黙。
次の瞬間、どっと室内が弾けるような笑い声に満たされた。
「すげえ!」
「あの勢いで突っ込んできた雷牙を躱せるなんてな」
「おいおい、雷牙。壁に穴なんて開けてねえだろうなあ」
「雷牙は石頭だからなあ。少しでもへこんでたら、弁償だぜ」
バンドメンバーが笑い崩れながら、次々と壁と正面衝突した緋色の髪の青年を揶揄する。
ようやく壁から離れた青年が、恨めしげな声音で呻く。
「…お、おのれ、大事なメンバーである儂を差し置いて、壁の心配とは…」
「そりゃ、お前が石頭だから。今、言っただろ?」
「それくらいの衝撃で怪我なんぞしないさ、大丈夫大丈夫。ま、言い換えりゃ、俺たちゃ、お前の石頭を信用してるわけよ」
「うむむむ…そんな言葉で誤魔化される儂ではないぞ!全くどいつもこいつも…」
唸り続ける雷牙とバンドメンバーのやりとりを眺めつつ、なかなか面白い奴らだな、と天真が思っていると、
雷牙ががばりと勢い良く傍らの泰明を振り返った。
「こぉら、泰明!!何故、儂の抱擁から逃げたぁっっ?!!」
「菓子の箱が潰れる」
喚くように問う雷牙に、泰明は素っ気無く応え、柳眉を顰める。
「それよりも煩いぞ、天狗。少しは静かにしろ」
花弁のような形をした可憐な唇から零れる容赦ない言葉に、秀でた鼻と額を赤くした雷牙はがっくり項垂れる。
「お主まで、儂より菓子優先か…」
そのあまりにも打ちひしがれた様子に、流石に泰明も気の毒に思ったのか、少し表情を緩めた。
「この菓子は差し入れだ。頑張って、れこーでぃんぐ…?とやらをこなしているお前の為に買ってきたのだ」
言って、両手で抱えた箱を雷牙に向かって差し出す。
「泰明…」
雷牙が顔を上げると、泰明が色違いの瞳を僅かに細めて微笑んだ。
「泰明っっ!!」
感極まった雷牙が、立ち上がり両腕を広げて、再び泰明に襲い掛かる。
が、今度は横からにゅっと腕を伸ばした天真に阻まれた。
「うぉ、天真?!何だ、お主もいたのか!」
「おう。最初っから泰明と一緒にな」
泰明を庇うようにして立ち、片手で雷牙の額を鷲掴むようにしながら、天真は表情だけはにこやかに言う。
が、目は笑っていない。
雷牙が青い眼と、押さえられた額にぐっと力を込める。
天真もまた、額を押さえた腕に力を込め、雷牙と睨み合う。
二人とも背が高い為、そうやって睨み合っていると、流石に迫力がある。
先程まで笑い転げていたバンドメンバーも、気を呑まれたように一瞬静かになる。
その沈黙を泰明の声が破った。
「二人とも何を何時までもそのようなところで立ち尽くしている。早く菓子を食べよう」
それまで同様淡々と、しかし、最後に付け加えられた言葉には、心なしかうきうきした響きがある。
明らかに、この佳人は目前の男二人の対決よりも菓子に興味が向いている様子だ。
その場の空気は一気に和む。
まさに鶴の一声。
「あ、ああ。そうだな」
「一旦休憩じゃな」
睨み合いを中断した当の男二人は、若干気まずそうに苦笑いした。