翠影
外に出て、思いの外眩しい陽射しに目を細めた。
夏が近付いてきている。
まだ、陽が暮れぬうちに所要を済ませた帰り、途中の公園に気まぐれに足を踏み入れた。
子どもたちの愉しげな笑い声を遠く聞きながら、何とはなしに人気のない木立へと向かう。
木々は青々と健やかに葉を茂らせている。
その鮮やかな緑の狭間に、やや柔らかな色合いの、艶やかな翠を見出した瞬間、歩みが止まった。
振り向く白い貌。
こちらを認めた澄んだ瞳が僅かに見開かれる。
「友雅か」
「…やあ、久し振りだね、泰明殿」
波立つ胸の内を押し隠して微笑んで見せると、泰明は応えるようにこくりと頷いた。
ふとした瞬間に垣間見せる幼げな仕種は相変わらずと見える。
色違いの清らかな眼差しも。
風に流れる艶やかな髪と、その絹糸に擽られる滑らかな肌が眩しい。
「皆、相変わらずかい?」
「ああ」
「……」
短いやり取りで、言葉は途切れる。
君は幸せか、と問おうとして止めた。
以前よりも一層輝きを増した美貌を見れば、問わずとも分かる。
良かった。
このひとは幸せなのだ。
それこそ、身を引いた甲斐があろうというものだ。
あのとき、心のままに振舞っていたら、このひとを悩ませ、哀しませただろうから。
これで良かったのだ。
だが…
泰明が想い人の腕の中で、心から安らいで笑みを咲かせる様が眼に浮かぶ。
その笑みはこうして想像を巡らすよりも更に美しいに違いない。
自分に向けられることは決してない微笑。
胸が疼いた。
これは何だ。
未練か?
後悔か?
あのとき、この白い手を引き寄せていたら…と、今更思うのか?
奥底に封じていた想いが熾のように胸を焦がすのを感じながら、苦笑を刻む。
過ぎ去った時は戻らない。
それなのに、目の前にいるひとから目を離せない。
肌に心地良い風が吹いてくる。
木立が作る影が揺れる。
目の前にいるひとの美しい髪も梳き流され広がっていく。
その翠の絹糸が幾筋か、白い頬に振り掛かる。
澄んだ瞳に揺らめくように翠の影が映り込む。
何処か誘い掛けるようなその揺らめき。
己に都合の良い錯覚。
分かっていながら、気付けば、指先が白い頬に触れていた。
振り掛かる髪をゆっくりと払い、滑らかな感触に引き寄せられるように、指先を滑らせ、掌で包み込む。
「…っ、友雅?」
思わぬ振る舞いに見開かれた色違いの瞳に宿る、僅かな怯えの色。
「そんな表情(かお)をしないでくれまいか。余計煽るだけだよ」
「…?どんな表情だ。お前の言うことは相変わらず分からぬ」
毅然と返してくるが、触れている頬が僅かに強張るのが分かった。
更に引き寄せたなら、この表情はどのように変化するのだろうか。
往生際の悪い己に苦笑して、名残惜しい感触を手離す。
僅かに泰明が後ずさりする気配に更に苦笑。
「悪かったね。悪戯が過ぎたようだ」
「問題ない」
瞬く間に気を取り直したらしい淡々とした答え。
「問題ない…か」
短い挨拶を交わして、別れる。
遠ざかる華奢な背中を見送りながら、思いを巡らす。
次に君と出逢ったとき、私はどうするだろう。
そのときも、君が変わらず、問題ないと言うのなら。
君が変わらず…いや、更に美しくなっていたのなら。
心のままに振舞っても良いだろうか。
「…ああ、やはり私は身勝手だ」
一人呟いて笑い、木漏れ日を見上げた。
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