珠花
波の音が心地良く耳を刺激する。
見上げれば、澄んだ光を投げ掛ける月。
時折、霞のような淡い雲が戯れかかるように月の上をゆっくりと流れていく。
船の縁に手を掛けて見下ろせば、鉄紺色の水面に立つ波が月光を受けてあちらこちらで輝き、揺らめいていた。
「そんなに身を乗り出しては危ないよ」
ふと、耳元で甘い余韻のある男の声がした。
と同時に、肩にふわりと薄衣を掛けられ、そのまま背後に引き寄せられる。
「翡翠」
泰継は肩越しに振り返り、己を抱き締める男の名を呼んだ。
翡翠は艶やかに微笑み、振り返る泰継の滑らかな頬に軽く口付けながら悪戯っぽく問う。
「熱心に何を眺めておいでかな、我が君?」
「波を、見ていた。夜の海など、ただ暗いだけかと思っていたが、存外に美しいものなのだな」
「ああ、今夜は月が明るいからね」
「そうだな」
頷く泰継の澄んで落ち着いた声音の内に、僅かに昂揚した響きを聞き取って、翡翠は華奢な身体を抱きしめる腕に力を込めた。
「良かった。君は山の景色やそこでの生活を気に入っていたようだったから、海はお気に召さないかもしれないと少し不安だったんだ。
でも、どうやら気に入ってくれたようだね」
「それはそうだろう。山には山の、海には海の良さ、美しさがある。自然の美しさに優劣などない。
無論、美しいだけではなく、恐ろしい面もあるが」
淡々とした口調で、ややずれた応えを返した泰継に、翡翠は思わず苦笑する。
「確かにね。とにかく、君が海を気に入ってくれたなら、私はそれで良いさ。今宵の美しい海に感謝だ」
言いながら、懐から取り出したものを泰継の前に翳してみせた。
「何だ、これは?」
「髪飾りだよ」
「それは見れば分かる。そうではなく、材質のことを訊いているのだ」
「材質ってね…これは、白珠(真珠)と珊瑚だよ。もしかして、見るのは初めてかい?」
「書物では見たことがあるが…そうか、これが白珠と珊瑚か……」
泰継は淡い紅を帯びた白珠と、紅い珊瑚とで、花の形を模した髪飾りに見入った。
その眼差しは、髪飾りの造形美に対するものよりも、やはり材質に対するものであるようだったが、
泰継はやがて視線を上げて、翡翠に微笑んだ。
「美しいな」
月光に照らされる淡い微笑に、翡翠は目を細め、手にした髪飾りを、
左耳の上で結い上げている泰継の艶やかな髪の、その結い目にそっと挿した。
「翡翠?」
「これは、君に差し上げるよ」
「何故だ?」
左右色違いの目を瞠って問う泰継に、翡翠は肩を竦めて見せる。
「何故って、愛しい姫君への贈り物に、理由が必要かい?
君の美しい髪に映える、美しい髪飾りを君に贈りたいとふと思い立った。それだけだよ」
「しかし、白珠と珊瑚は宝玉として貴重なものだと聞く。そのようなものを貰う訳には…」
髪に挿された耳飾りを手に取って、泰継は気遣わしげに柳眉を顰めた。
そんな泰継の手から翡翠は髪飾りを取り上げて、再び泰継の髪に挿す。
「その困り顔も愛らしいが、難しく考えずに受け取ってくれまいか。君に受け取って貰えなければ、この髪飾りは路頭に迷ってしまうよ。
せっかく海底まで採りに行った甲斐も無くなってしまう」
「採りに…?この白珠と珊瑚は、お前が自分で採りに行ったのか?」
再度の驚きに、泰継は今度は大きな瞳で瞬きを繰り返した。
「いや、残念ながら、珊瑚は美しい色のものが、この国では取れなくてね…出入りの外来船の商人から買い取ったんだ。
だから、せめて白珠だけはと思ってね…海神(わだつみ)の数ある宝物の中から、選りすぐりの品をこうして、少々失敬してきたという訳さ」
翡翠は軽い口調で言うが、白珠も、そして珊瑚も、これほどのものを手に入れるのが、容易ではないことは、泰継にも分かる。
腕の中で、更に困り顔になる泰継の顔を覗き込んで、翡翠が笑う。
「君の為に、作らせた物なんだ。君以外を飾ることは出来ないし、君以外には似合わない。だから、君に受け取って欲しい。お願いだよ」
戯れた口調ながらも、懇願するように言われては、泰継も折れるしかない。
「…分かった。有難う、翡翠」
そう言って、僅かに白い頬を染めて微笑んだ。
そうして微笑むと、一分の隙もなく整った怜悧な美貌に、驚くほど無邪気な幼さが滲む。
翡翠もまた、やや照れたように微笑み返した。
「どういたしまして」
そうして、髪飾りを受け取った泰継は、その微細な作りを改めて興味深く眺め、産地からその作り方まで、逐一質問を始めた。
澄んだ瞳を煌かせながら、珍しい宝石に見入る泰継に見惚れながら、ひとつひとつ質問に応えていた翡翠だったが…
次第につまらなくなってきた。
泰継が髪飾りに夢中で、一向に自分を見てくれないからだ。
時折、そよぐ風に誘われるように、視線を夜空と海に注ぐこともあるが、すぐ傍にいる翡翠には振り向いてもくれない。
夜の海に連れてきたのも、珍しい宝玉の髪飾りを贈ったのも自分ではあるが…面白くない。
唐突に翡翠は、伸ばした片手で泰継の細い頤を捉え、強引に泰継を振り向かせる。
「…ッ?!翡翠?」
驚いて名を呼ぶ可憐な唇を口付けで塞ぎ、白い手から零れた髪飾りを器用に拾いながら、素早く細い身体を押し倒した。
己の体重を掛けることで、逃れようとする相手の動きを上手く封じて、僅かに唇を浮かせて囁く。
「私の贈り物が気に入ったのなら、お返しが欲しいな」
「お返し…?…!…あッ…」
口付けの余韻に潤んだ瞳を瞬かせて泰継は首を傾げたが、伸ばされた翡翠の大きな手にほっそりとした足首を捉えられ、
そのままゆっくりと着物の長い裾に隠された脚を直に辿られて、小さな悲鳴を上げた。
腕の中の華奢な身体が跳ねるように身じろぐ。
結いの解けた翡翠色の髪が、扇のように美しく拡がる。
淡く染まった目尻に口付けながら、翡翠は微笑む。
「そう。この世にふたつとない宝玉が今、欲しい」
「…ッ、そのようなもの…ッ…ここにはない…んッ…」
「あるよ…私の腕の中にね」
ゆっくりと丹念に細い身体の線を辿り、滑らかな肌を探る指に惑わされて、泰継はもう、言葉を紡ぐことも出来ない。
相変わらず、初々しい反応を返す恋人を、一層愛おしく思いながら、翡翠は言を継ぐ。
「潤んでいても尚、澄んだ瞳は、翡翠と琥珀よりも美しい輝きを宿し、色付く唇は紅珊瑚より鮮やかで、
淡い紅に染まる肌は白珠の眩しさに勝る…」
「翡翠…ッ…!」
泰継が何処か咎めるように名を呼びながら、白い腕を差し伸べて、翡翠の青緑色の髪ごと首筋に、しがみ付いてくる。
「…その声音も天上の楽に等しい心地良さだ。
艶やかな髪は、極上の絹織物の如く、肌から立ち昇る香りは、天上の花々の放つ芳香に似て甘い…
どんな宝玉も、この宝玉の輝きの前では色褪せるに違いない……」
最後は呟くような口調となりながら、翡翠は腕の中に捕らえた唯一の宝玉が放つ蕩けるような美しさと色香に溺れていく。
その傍らで、髪飾りの白珠と珊瑚が月光を弾いて煌いた。
翡翠氏的海老鯛(笑)…或いは、ひつぐ夜の海上らんでぶー(死語?)でした。 かれこれ、半年以上前に(汗)リクエスト頂きました「翡翠氏とつぐりん二人きりのお話」です。 もう御覧になっていらっしゃらないかもしれませんが(苦)、 リクエスト下さいました美紀さま、ネタ提供(笑)有難う御座いました!!(平伏) 話自体の元ネタは、以前、サイトでぽろっと零したことのある、夢で見た夢浮橋ゲーム(笑)です。 実際は夢の通りには行きませんでしたね〜(当り前じゃ!!)、それでも、愉しんでプレイしておりますが。 序でに、マサヒロ繋がり(若干夢浮橋ネタばれ/笑)で、 高嶋○宏の「SOLID GOLD」もネタにしようか!などと思いながら、書きました。 書いていくうちに当初のネタから離れていくのはいつものことです(苦笑)。 でも、詞の雰囲気くらいは反映されているんじゃないかと……(苦) 真珠の中で最も質の良いものを「花珠」というそうで、タイトルはそこから付けてます。 上下を引っくり返しただけの芸のないものですが…(苦笑) 花ときたら、姫兄弟♪宝玉ときたら、姫兄弟♪♪ そして、つぐりんは弟姫(おとひめ=乙姫)だから、海の宝玉もきっと似合う筈♪♪(根拠はない) 真珠を翡翠氏に自分で採りに行かせるか否かは少し迷ったのですが、 「翡翠氏真珠を採りに海に潜る図(海人スタイル)」を想像したら、 大いに笑みを誘われたので、敢えて採用。←ええぇ〜っ!!(笑) いや、実際のところ、この時代の海人さんスタイルは、現代とは違うだろうけれども。 それはさておき、結果としてこれだけ、つぐりんを愛でまくれたのだから、きっと翡翠氏としては大満足ですよ!! 私も久々に、弟姫を愛でることができて満足です♪♪(笑) 戻る