清愛
「あれ?」
待ち合わせ場所に、泰明がいない。
慌てて時計を確認する。
待ち合わせ時間ちょうどだ。
未だかつて約束した時間に泰明が来ていないことなどない。
急用が出来て都合が悪くなったのなら、必ず連絡をくれる筈だが、それもない。
まさか、連絡することもできないほどの事件が起きたのか。
一気に血の気が引くのを感じながら、ややもするとパニックを起こしそうになる自分を必死に抑える。
その場で深呼吸をして、
「落ち着け、落ち着け」
小さく声に出して、自分に言い聞かせる。
危急時においてこそ、冷静であること。
心を乱しては、物事の本質を見失う。
他ならぬ泰明に教えて貰ったことだ。
どうにか動悸が治まって来たところで、ゆっくりと周囲を見渡す。
「あ」
木立に紛れるようにひっそりと佇む白い建物。
近付いてみると小さな教会のようだ。
導かれるように、その半分開かれた門扉に手を掛ける。
泰明は恐らく、この中にいる。
敷地内には人気がなく、クリスマスも過ぎた後だからだろうか、殊更閑散として感じられる。
ゆっくりと歩を進め、古めかしい木の扉を開くと、果たして探していた華奢な後姿があった。
正面に掲げられたシンプルな十字架を見上げている。
その静謐な凛とした佇まいに、暫し目を奪われる。
教会の中も、人気が無かったが、先程のような寂しげな感じはしない。
泰明の存在感が、この空間に、静かだが、鮮やかな彩りを添えているのだ。
やがて、気配に気付いたのか、泰明が振り向いた。
「詩紋…」
微かに夢見心地のような声音で呼び掛け、はっと息を呑む。
既に待ち合わせの時間が過ぎていることに気付いたのだろう。
「すまない…」
「ううん、大丈夫」
しゅんと萎れる泰明に笑顔で首を振ってみせ、彼の元に歩を進める。
「しかし、探させて手間を掛けさせただろう?」
「うん…正直に言うと、泰明さんがいなくて、最初は慌てちゃった。
でも、こうしてすぐに逢えたし、泰明さんを探すことは全然手間なんかじゃないよ」
泰明と並び、今では見下ろすようになった色違いの瞳と視線を合わせる。
「教会に興味があるの?」
問いに泰明は頷くと、再び十字架を見上げた。
「教会そのものに…という訳ではないが……ここは清浄な祈りの気に満ちている」
「うん、確かに雰囲気が違う場所だもんね。身が引き締まる感じがするよ」
「詩紋もこの神を信仰しているのか?」
「え?ううん、お祖父ちゃんがクリスチャンだから、教会には何度か行ったことがあるけど…」
あとは観光で有名どころの教会に行くくらいだろうか。
「でも、何かを信じて、心の拠り所にする気持ちは分かるよ」
泰明の人形のように端整な横顔。
彼方を見通すかのような透明な眼差し。
その姿は、現実離れして見えるほど綺麗だ。
「僕にも信じるものがあるから。
その信じるものに恥じない自分でいようって、いつも思ってる」
「そうなのか…」
頷く泰明の手をそっと握る。
少しひんやりとした指先から伝わる温もりは儚いほど淡い。
…けれど、確かにここにある。
僕が信じるのは……
ふっと視線を戻す彼を見詰めて、寄り添いながら微笑み掛ける。
声なき言葉が届いたのか、その色違いの瞳が僅かな戸惑いに揺れ、やがて泰明は、はにかむように微笑んだ。
清らかな、花のような笑顔。
「私にも…信じるものがある」
そう呟いて、泰明は長い睫毛を伏せ、そっと身体を傾けてきた。
この祈りの空間に、暫し佇む。
互いに信じ合う掛け替えのない存在と一つの影のように寄り添い合いながら。
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