清麗
蝉がやかましく鳴いている。
暦は晩夏の時期だというのに、まだ残暑は厳しい。
以前いた世界に比べて、一層暑く感じるのは、この世界に緑が少ない所為だろうか。
それとも、自分が不甲斐ない所為だろうか…
そんなことを考えつつ、アスファルトで舗装された道路から、小公園風に造られた緑の小道へと入る。
心なしか涼しくなった気がして、永泉は汗を拭いながら、ほっと息を吐いた。
それとなく日蔭を選んで歩んでいくと、ちょうど木々が途切れた日向のベンチに、泰明が座っているのが見えた。
「やすあ…」
笑顔になって呼び掛けようとした声が、表情と共に凍り付く。
泰明はこの暑さをものともせず、青々とした空と泳ぐ白い雲を眺めていたようだ。
しかし、それが問題なのではない。
恐らく暑いからなのだろう、泰明自身にそれ以外の意図…そう、
例えば、今のように永泉を絶句させるつもりは全くなかったのだろうが……
今日の泰明は白いショートパンツを穿いていた。
長くすらりとした綺麗な脚が陽の下に晒されている。
夏の強い陽射しを受けて、艶めくほどに眩いその白さが目に毒だ。
「永泉」
木蔭に佇む永泉に気付いた泰明が、立ち上がってすたすたと近付いてくる。
その動きは、少々素っ気なく感じられるほど清々しく、無駄がない。
「…………」
「どうしたのだ?」
いつも穏やかな笑顔で挨拶をしてくれる永泉が黙ったままでいるので、泰明は怪訝そうに首を傾げた。
「……泰明殿…その穿き物は?」
「以前神子に貰った。今日、思い出して着用してみたのだが…可笑しいか?」
「…っいいえ!泰明殿はどのようなお召し物でもお似合いです!!…その穿き物も大変お似合いだとは思うのですが……」
そう、問題は似合うか似合わないかということではないのだ。
例え、見惚れるほど似合っていたとしても、永泉にとって泰明のこの姿は、どうしても許容できないものだった。
この無邪気で美しいひとを想う男としては、その艶めく素肌を自分以外の人目に触れさせる訳にはいかないのだ。
しかし、それを泰明に説明しても、分かってもらえないことは目に見えている。
何しろ、自身の持つ魅力について欠片も自覚していないひとなのだから。
永泉は溜め息を吐いて、この暑さでもきちんと着用していた夏物の麻のジャケットを脱いだ。
「…すみませんが、これを腰に巻いて下さいますか」
言いながら、返事を待たずに、
脱いだジャケットを泰明の綺麗な素脚をなるべく隠すようにその細腰に巻き付け、袖を縛って固定する。
これだけでは、泰明の長い脚を隠し切れないのが不満だが、取り敢えず今は我慢するしかないだろう。
「何故だ?」
案の定、首を傾げる泰明に、笑みだけを返し、
「まだ、陽射しがきついというのに、ずっと日向でお待ちになっていたのですね。大変な暑さだったでしょう。
さ、もう少し涼しいあちらの木蔭の方へ参りましょう」
と、珍しく断固とした口調で、泰明の手を取り、導こうとする。
「問題ない。私は暑くなどない。それよりも永泉、先程の問いの答えを私は得ていない。何故…」
「お願いですから…!!」
「……分かった」
常の永泉からは想像も付かない何処か気迫の篭った懇願に、珍しく気圧される形となって、泰明は口を噤んだ。
「すみません、泰明殿」
「もう良い。お前がそう望むなら、私は構わぬ」
泰明の素直な返事を受けて、永泉は泰明を連れて、人目に付かない木蔭を探して足早に歩き出す。
すると、
「ねえねえ、ちょっといいかな〜」
「そんなに急いでドコ行くの〜?」
ふいに後ろから声を掛けられた。
呼び掛けるのは、間延びしたような締まりのないふたり分の男の声。
聞き覚えはない。
振り返ってみると、声の印象と違わず軽薄な印象を与える二人の背の高い少年が立っていた。
永泉と同じくらいの年頃だろうか。
もちろん、見覚えはない。
永泉と共に振り向いた泰明を見て、少年の一方がひゅうと高い口笛を吹いた。
「すっげえ美人!想像以上だぜ」
「キレーな脚してるし♪」
もう一方の少年もだらしなく笑み崩れながら、泰明の姿を頭の先から爪先まで眺め回している。
そんな彼らを泰明は、柳眉を顰めて怪訝そうに見返す。
一方、永泉はむっとした。
泰明を見る彼らの好色そうな視線が不快だった。
「もうひとりの子も結構可愛いじゃん♪」
しかも、彼らは泰明のみならず、自分をも女性と間違えている。
「ねえねえ、ちょっとだけでいいからさ、これから俺たちに付き合わない?」
彼らの視線に、泰明が穢されるような気すらする。
「ちょうどこっちも二人だしさ、一緒に遊ぼうぜ〜♪」
見ず知らずの相手に対してこんなに不快な気持ちを抱いたことは初めてだったが、
これ以上、彼らを泰明の傍に近付けるのは我慢ならなかった。
口を開こうとした泰明を目で止め、
「お断りします!」
永泉は彼らの誘いをピシャリと撥ねつけた。
「行きましょう!」
そうして、泰明の腕を引き、自分の背に庇うようにしながら彼らから離れて、歩き出そうとする。
「そんな冷たいこと言わずにさあ」
しかし、前に回り込んだ少年のひとりに行く手を塞がれ、永泉と泰明は二人の少年に前後を挟まれる形となった。
「どいて下さい!」
永泉は優しげな容貌に珍しく怒りを浮かべて強く言うが、少年たちはへらへらと笑うだけで、一向応えた様子がない。
自分がもっと外見も中身も強ければ、こんな軽薄な少年たちを泰明に近付けることはなかったのに。
密かに永泉は、自分の不甲斐なさに歯噛みする。
すると、今まで永泉に任せて黙っていた泰明がついに口を開いた。
「永泉は断ると言っているのだ。それを敢えて引き止めるなど意味がない」
女性にしては低い声に、ナンパ少年たちは驚いたようだったが、
不幸なことに、それで却って泰明に興味を抱いたようだった。
「じゃあ、代わりに君が俺たち二人分の相手をしてくれるって訳?」
「お前たちは何を言っている。私は永泉と約束があるのだ。お前たちに付き合う時間などない」
「そんなこと言わずにさあ…」
「泰明殿…!」
泰明の前に立った少年が、遮ろうとした永泉の腕を擦り抜けて、泰明の腕を掴んだ。
瞬間、泰明の澄んだ瞳に、鋭い光が閃く。
「くどいぞ、離せ!」
凛と響く言葉と同時に、泰明の白くて綺麗な脚が宙を舞った。
「え?」
「何が…」
事態が理解できず、にやけた表情を顔に貼り付けたまま少年たちは固まる。
一瞬後、鈍い音が木々の緑を震わせた。
「行くぞ、永泉」
鋭い回し蹴りで、殆ど同時に立ちはだかるふたりの少年を黙らせた泰明は、何事もなかったかのように颯爽と身を翻す。
「……………」
永泉はただただ、呆然とするばかりだった。
何と情けないことだろう。
守る筈が、逆に助けられてしまうとは。
「溶けるぞ、永泉」
自分の不甲斐なさに落ち込んでいた永泉は、呼び掛けられてはっと我に返る。
人目に付かない木蔭に移動したふたりは、その下の芝生に座り、アイスを食べていた。
自分の分のアイスを食べ終えてしまった泰明が首を傾げるようにして、
一口もアイスを食べていない様子でいる傍らの永泉を窺っている。
その可愛らしさに少しばかり心が癒されるが、一度落ち込んだ心は浮上するまでに時間が掛かる。
少なくとも、このアイスが溶け切らないうちに、回復することはなさそうだ。
「宜しければ食べますか?」
アイスのカップを泰明に差し出すと、色違いの瞳が嬉しそうに煌く。
「良いのか?」
「はい。実はお会いする前に少し食べてきたので、あまりお腹が空いていないのです」
頷いて、泰明が納得しそうな理由を添えると、泰明は屈託なくカップを受け取った。
「有難う、永泉」
にっこり微笑んで、木の幹に背を預け、芝生に長い脚を投げ出して、貰ったアイスを食べ始める。
(…ああ、泰明殿…もう少しおみ足を……)
人目に付かない場所とはいえ、晒されている素肌がどうしても気になってしまう永泉だったが、
当の泰明は無邪気そのものだ。
先ほどの少年たちに対する毅然とした態度と過激な行動とは裏腹な無邪気さ。
目が合うと、愛らしく微笑んでくれる。
自分だけに見せてくれる泰明の表情。
それらに、今の自分が抱く落胆など些細なものだと言われているような気がして、永泉は表情を緩めた。
「泰明殿。やはり、少しだけ味見させていただいても宜しいでしょうか?」
「ああ。構わぬ」
頷いてアイスとスプーンを差し出した泰明の手をそっと捉え、永泉は僅かに身を乗り出して泰明の唇に口付けた。
その甘さがささくれ立った心を癒してくれるよう。
これから努力していこう。
これからも努力していこう。
この麗しくも可愛らしいひとを守れるように。
その身も、何よりもその清らかな心を守れるように。
七葉制覇其の七は、季節外れでスンマセン(汗)な、えいやすです。 タイトルは「清麗」で「せいれい」と読んでください(また、辞書にはない単語です/汗)。 そして、またも、アクティブな要素を入れた為か、ちょっと長めになってしまいましたが、 先にも述べたとおり、愛の差によるものではありませんので(笑)。 ナンパ少年たちに絡まれるえいやすカップル。 撃退するのは彼女のほう(笑)。そんな自分の不甲斐なさに落ち込むのは彼氏のほう(更に笑)。 私の中でのえいやす(コメディ)はそんな感じなのです。 そして、姫やっすんは癒しである(唐突に)。 まあ、興奮剤になってることも多々ありますが(笑)。 本来なら、これで七葉制覇は完了ということになるのですが、今年はおまけ話を用意しているのです。 ラストまであともう一話、お付き合い下さいましたら幸いです♪ 戻る