満天の星 泰明は薄曇りの空を見上げる。 あと、一刻もしたら雨が降り出すことだろう。 だが、一刻もある。 慌てる必要はない。 洛外での仕事を終えた泰明は、いつもの速度を保ったまま、京へと向かう小道を行く。 すると、前方から軽快な蹄の音を響かせて、馬に乗った人がやって来た。 目の前で止まった馬上の人を認めて、泰明は目を瞬かせる。 「友雅」 「やあ」 相手は優雅に微笑みながら、挨拶する。 「泰明、これから君の時間を少々頂いても良いかな?」 「問題ない」 泰明は友雅の誘いに素直に頷き、友雅の乗ってきた馬の首を優しく撫でてから、 友雅の差し伸べる手を借りて、ひらりと馬の背に乗った。 心なしか目を輝かせながら、後ろに乗る友雅を振り返る。 「私も早く馬が乗れるようになりたい」 澄んだ瞳を向けられて、友雅は思わず苦笑する。 「そのうち教えるよ」 「そうか。楽しみだ」 泰明は以前から馬に乗ることに並々ならぬ関心を寄せている。 友雅の馬に一緒に乗せてもらうだけではなく、 一人で乗ってみたいと常々思っていることは友雅も知っていた。 こうして前々から乗り方を教えるとの約束もしていたのだが、なかなか実行できずにいる。 二人で馬を並べるのも良いが、こうして一つの馬に乗って、 泰明の柔らかな温もりを感じられる方が良い。 内心でそう思っているからかもしれなかった。 「連れて行く場所は少し遠いけれど」 良いかい?と、問い掛けると、泰明は再びこっくりと頷いた。 「これは…!」 友雅に連れられて、再び京から離れた洛外の森へとやって来た泰明は、 目の前の情景に思わず感嘆の声を上げる。 森を形作る丈高い木々が途切れた場所に、躑躅の低木が群生していたのだ。 今、躑躅はいっぱいに赤みを帯びた紫の花を咲かせていた。 所々に白い花色も見える。 薄曇りの空の下、躑躅の花々はその輪郭をくっきりと浮かび上がらせ、 その色は鮮やかな印象を残す。 見惚れる泰明に、友雅は優しく声を掛ける。 「昨日、この場所を偶然見付けたんだ。 この躑躅を是非泰明にも見て貰いたくて…」 傍らを振り向いた泰明と視線を合わせて、その声と同じように優しく微笑む。 「泰明は切花よりも自然の中に咲いている花を見る方が好きだろう? だから、こうして連れて来てしまった」 そう言って、腕を伸ばし泰明の肌理細かく白い頬を大きな手のひらで包む。 「お気に召して頂けたかな?」 そう悪戯っぽく訊ねた友雅の瞳を泰明は見詰める。 陶磁器のようにただ白かった頬が、僅かに薄紅に染まる。 その一瞬後、泰明はぱっと花が開くような笑みを満面に浮かべた。 「有難う、友雅。とても嬉しい」 色違いの瞳を宝石のように輝かせながら、その言葉どおり心底嬉しそうに笑う。 満開の躑躅の花群さえも霞んでしまいそうな鮮やかで美しい微笑みに誘われるように、 友雅は泰明の細い肩を抱く。 「君にそう言って貰えて私も嬉しいよ。連れて来た甲斐があった」 そして、どんな花も敵わない微笑を貰うことが出来た。 二人は暫し肩を並べて躑躅を眺めていた。 「おや、ついに降り出してきたようだね」 さしたる時を待たずして、空を覆う灰色の雲の合間から、 銀糸のように細かい雨が降り始める。 残念だけどそろそろ戻ろうか、と言いつつ、友雅は身に纏っていた狩衣を脱ぎ、 泰明の頭から被せる。 友雅の行為に、泰明は慌てたように言う。 「気遣いは無用だ。多少の雨に濡れたところで風邪を引くことはない」 「そうかもしれないね。でも、私は君を濡れさせたくないのだよ。 君には不自由をさせてしまうかもしれないが、暫く私の我儘に付き合ってくれまいか」 物は言い様である。 そう言われては、泰明も固辞し続けることが出来なくなる。 「…有難う」 再び馬に乗った友雅が差し伸べる手に自らの手を置きながらそう言うと、 軽々とそんな泰明の身体を馬上に引き上げて、友雅は笑った。 「私が勝手にしたことなのだから、礼を言う必要はないよ」 小雨の中、そんな二人を見送る躑躅は瑞々しく輝いていた。 夕方から降り出した雨は、夜にはすっかり上がり、晴れた空には星が明るく煌いていた。 天の恵みを受けた庭の草花は、香るような瑞々しい気配をそこここに漂わせている。 泰明は自室近くの階に腰掛け、煌く星の動きを読み取ろうとしていた。 東の空から西の空へ流れ星が過ぎっていく。 あの流星は大きな転変に関わるものではない。 今夜の星の配置には重大な予兆は見られなかった。 何の問題もない。 今夜の結果を記す為、部屋に戻ろうと立ち上がり掛けた泰明は、ふとその動きを止める。 そっと、瞳を閉じる。 瞼の裏に甦るのは、今日見た躑躅の鮮やかな色。 そして、躑躅の色よりも鮮やかに印象を残す友雅の優しい微笑み。 いつか、馬の乗り方を教えてくれると言った。 満開の躑躅を見せてくれた。 雨に濡れぬよう、衣を被せてくれた。 彼はいつもこれ以上はないほどの優しさを自分にくれる。 たくさんの綺麗なものを見せてくれる。 たくさんの嬉しい気持ちを貰った。 たくさんの気持ちを憶えた。 その度に、泰明の胸は仄かな火が燈ったように暖かくなるのだ。 不思議で、しかし心地良い感覚。 それはきっと、全て彼がくれたものだ。 しかし、己は彼から貰うばかりで、何一つ返していない。 何か、ないだろうか。 今まで彼がくれた、たくさんのものには敵わなくとも。 長い睫を伏せたまま、泰明は考え込む。 自分に照らし合わせて考えるならば、無難なところで花を贈るということになるだろう。 それでも、彼はきっと喜んでくれるだろうが、あまりに芸がない。 徐々に考え続ける泰明の眉根が寄せられていく。 さわりと柔らかな夜風が肩に留まっていた翠色の髪を胸元へと零していった。 その瞬間、泰明は何かに気付いたようにぱっと眼を開いた。 眼前に拡がる夜空を見据える。 そうして、何事かを決心したように頷くと、部屋には戻らず、星降る庭へと降りていった。 それから数日後の夜。 「友雅」 突如として、邸の庭に現れた泰明を見て、一人月を眺めていた友雅は目を丸くする。 「どうしたんだい?こんな夜中に」 尋ねながら、やや急いた足取りで庭へと降りていく。 一人で来たのかい?と訊くと、泰明はこっくり頷く。 こんな夜中に一人で出歩くのは危ないよ、と続け掛けて、友雅は口を噤む。 そう言っても、泰明は「問題ない」と応えるだろう。 それに、実際に「問題ない」のだから、友雅が余計な心配をする必要はない。 儚げな外見に反して、泰明は強い。 更に陰陽術も使えるとなれば、無敵だ。 自分の身のみならず、他人の身も充分に守ることが出来るだろう。 しかし、彼は他人を優先にして自分の身を守ることを疎かにするときがある。 それが友雅は心配だった。 だから、余計な一言が出てしまいそうになる。 その度に、誰よりも、泰明自身よりもこの自分が、 彼を守りたいと思っていることに気付くのだ。 泰明を邸内に連れて行く為に、友雅は細い手を引こうとするが、 「友雅」 伸ばした手を逆にぎゅっと掴まれてしまった。 「どうしたの?」 「夜分遅くにすまないが、これから一緒に行って欲しいところがあるのだ。 構わないだろうか?」 思わぬ夜の誘いに、友雅は再び目を丸くする。 「おや、泰明にしては珍しい誘いだね」 「駄目だろうか?」 不安げに首を傾げた泰明に、友雅は優しく微笑んだ。 「私に君からの誘いを喜ぶ理由はあっても断る理由などないよ」 その言葉に泰明はほっと息をつき、僅かに微笑む。 「では来てくれ」 そう言う泰明は心なしか緊張しているように見える。 その様子を怪訝に思いながらも、泰明に手を引かれ促されるまま、 友雅は邸の外へと連れ出された。 「これから行く場所は少し遠いのだが」 「ああ、構わないよ」 手指に絡められた泰明の柔らかい手の感触を愉しみながら、応える。 泰明は友雅を一体何処へ連れて行くつもりなのか。 気にならない訳ではないが、 こうして夜の街を二人で歩いている今の状況を友雅は素直に嬉しく感じていた。 未だ緊張したままの泰明の様子だけは気になったが。 通りを行き過ぎた二人は、やがて京の中でも緑の多い付近までやって来た。 竹林に覆われた小高い丘へと友雅を連れた泰明は昇っていく。 見晴らしのいい丘の頂上に辿り付いた友雅は、目の前の情景に思わず息を呑む。 視界一杯に拡がる星空。 輝く星々が今にもこの丘に降ってきそうだ。 「この星空を友雅に見せたかったのだ」 泰明の言葉に友雅は我に返る。 「いつも友雅には嬉しい気持ちを貰っているから。 …だから、少しでもお返しがしたいと思った。 何が良いのか分からなくて、ずっと考えていたのだが、 吉凶を見るため星を読んでいて気付いたのだ」 星の美しさに。 それから泰明は数日を掛けて、この京で星が最も美しく見える場所を探したのだという。 そうして見付けた場所が、この丘だった。 星の輝く夜空の方が明るい所為か、二人のいる地上は暗く、 お互いの細かい表情を見ることはできない。 しかし、泰明の声の響きから照れたような、 そして僅かに緊張した表情をしているのだろうと容易に察せられた。 初めての贈り物に相手がどのような反応を示すのか、不安に思っているのだろう。 「気に入ってくれただろうか?」 「ああ、とても素晴らしい情景だね。有難う、泰明。とても嬉しいよ」 「良かった。友雅に喜んでもらえて、私も嬉しい」 出来得る限り声に気持ちを込めて問う声に応えると、やっと泰明の声音が柔らかくなった。 それから暫く二人は無言で、吸い込まれそうな星空を眺めた。 すると、ふいに泰明が溜息をついた。 「どうしたんだい?」 問われて泰明は、困ったような声で応えた。 「友雅と知り合う前の私にとって、星はその動きを読むためのものであって、 眺めるものではなかった。もちろん、美しいと感じることもなかった。 何かを美しいと思う心を私にくれたのは友雅だ。 だから、この星空の美しさに気付いたのも、元を正せば友雅のお蔭なのだ」 そこまで言って、泰明はまた一つ溜息をつく。 「改めて友雅から貰ったものの大きさを自覚した。これではお返しにならない」 そう語る泰明はきっとしかめっ面をしていることだろう。 「そこまで言ってくれるのは嬉しいけれど。 君はただ気付かないだけで、美しいと思う心を元々持っていたんだよ。 私はただのきっかけに過ぎないんだ。 そんなきっかけになれただけでも私は充分嬉しいけれどね」 「だが、私は今も友雅から貰うばかりだ」 友雅が宥めても、泰明は依然として納得できていないようだ。 そんな彼の謙虚振りに少々呆れると同時にまた、 それを愛しく思いながら、友雅は考える。 さて、どうしようか。 すると、傍らの泰明がくちっと小さなくしゃみをした。 「寒いかい?」 友雅が羽織っていた衣を泰明に被せようとする。 「私は大丈夫だ。衣を脱いでは友雅も寒くなるだろう」 案の定、泰明は固辞しようとする。 「それなら、一緒に羽織ろうか」 友雅はそう言って、傍らの細い身体を引き寄せて、 羽織り直した衣で包むように抱き締める。 「友雅!」 困ったような声を出す泰明に、微笑み掛ける。 「泰明、顔を上げて。私に良く見せて」 間近に引き寄せたお蔭で淡い星明かりの下でも泰明の表情が見えるようになった。 素直に友雅の言葉に従った泰明の顔は、やはりしかめっ面になっていた。 その様が何とも可愛らしくて、友雅は笑い出してしまう。 「何が可笑しいのだ?」 訳が分からず、泰明はますます眉間に皺を寄せる。 「駄目だよ。そんなに眉間に皺を寄せては。癖が付いてしまうよ?ほら、笑って」 笑みを含んだ声で言いながら、友雅は泰明の眉間に軽く口付ける。 次いで、白く秀麗な額に。 滑らかな瞼に。 柔らかな頬に。 泰明の顔中に、くすぐるような軽い口付けを繰り返した。 「っ友雅…!くすぐったい…!」 友雅の胸元をぎゅっと掴む泰明の頬が薄く染まる。 しかし、友雅は啄ばむような口付けをやめない。 泰明はついに堪えきれなくなったようにくすくすと笑い出した。 「やっと眉間の皺が取れた」 やっと口付けをやめた友雅が泰明の顔を悪戯っぽく覗き込む。 その言葉に泰明は何度か目を瞬き、それから、またくすくすと笑い出した。 細い腕で友雅の首にしがみ付く。 そんな泰明の華奢な背を撫でながら、友雅は彼の耳元で囁く。 「君は貰ってばかりだと言うけれど…私は充分にお返しを貰っているよ。 私にとってはね、君がこうして私の傍にいてくれること自体が何よりも嬉しいんだ。 君もそう思ってくれているならもっと嬉しいけれど」 「思っている。私は…私も友雅が傍にいてくれるだけで嬉しい」 顔を上げた泰明は勢い込んで言う。 「それなら、これからも一緒にいてくれるかい?」 「いる。友雅が嫌だと思わない限りはずっと傍にいる。いたい。しかし……」 友雅の言葉に言い募った泰明はふと、言葉を切る。 「私のすることはそれだけでいいのだろうか?」 そんな簡単なことで。 戸惑うように首を傾げる泰明に、友雅は微笑み掛ける。 「まだ、納得できないかい?それなら、今して欲しいことがあるのだけれど」 次いで囁かれた言葉の内容に、泰明は再び目を瞬く。 「そんなことで友雅は喜ぶのか?」 「駄目かな?」 「いや、そんなことはないが」 不可解だ、と呟きつつ、泰明は友雅の顔に自らの顔を近付ける。 その唇で軽く、友雅の唇に触れた。 「…これでいいのか?」 「天にも昇る心地だよ」 唇に残る淡い感触を噛み締めながら、友雅は再び泰明を抱き締めた。 そうして、二人は見上げる。 空に拡がるのは満天の星。 |
777hitキリリク小説で御座います! 寿 桜子様、リクエスト頂きまして誠に有難う御座いました!! さて、リクエストは「京版ともやすで甘々」、「友雅氏の優しさに一生懸命応えようとするやっすん」 で、宜しかったでしょうか? (微妙にリクエスト自体を変えてるような気がするんですが。/汗) 友雅氏から躑躅の花をプレゼント(?)されたやっすんが、お返しにお星様をプレゼントするというお話となりました。 今回のテーマは「星」、「躑躅」、「初めてのちゅう♪リベンジ!!」です(笑)。 そして、隠れポイントは友雅氏の「くすぐりちゅう♪」(死) 今回お師匠様の邪魔は入りませんでした♪ 友雅氏、初めてのちゅうを成功させようとさりげなく策を弄した模様。 やっすんからするように上手く仕向けました(笑)。 何だか…非常に初々しい仕上がり……(汗)。 片っ方確実に初々しくない人なんですが、はて?(苦笑)。 寿様、このようなものですが、リクに応えきれておりますでしょうか?? 宜しければお持ち帰り下さいませ(平伏)。 あ、もちろん返品可能が前提ですので。 それでは。 ここまでお付き合い頂きお疲れ様で御座いました!! そして、777hit有難う御座います♪ 戻る