花 後編
その後、相手の男に連絡を取った友雅は、その男が今後、二度と泰明にちょっかいを掛けることのないよう、実に丁重に断りを入れた。
件の赤い薔薇は今、テーブルの上で最後の時を謳歌している。
そして窓辺には新たな問題であるところの山吹の花。
泰明の好きな花だ。
今度の男は泰明の好みまで調べたのだろうか。
例えどのような経緯でもたらされたものであっても花は花。
花自体に罪はない。
それを無邪気に眺めるもう一つの一際美しい花にも…罪はない。
が……
「この山吹を今度は誰から貰ったのかな?」
いちいち根掘り葉掘り訊いている自分に呆れつつも、問いは口から滑り出てしまう。
「良くは知らない」
………またか。
「だが、住んでいる場所は知っている。ほら、あそこの小高い丘に見える赤い屋根の家だ」
無邪気な泰明は自らが立っている窓辺の方に友雅を手招いた。
さりげなく泰明の細い肩を抱きつつ、窓辺から白い指先の指す方を見遣れば、丘に茂る木々の合間から落ち着いた佇まいの赤い屋根の家が見えた。
思ったよりも近い。
新たな恋敵(?)出現の兆しに、密かに心を奮い立たせていた友雅に、新たな事実が告げられたのは次の瞬間だった。
「あの家には一人の老婦人が住んでいるのだ。その人からこの花を貰った」
「………え?老婦人?」
思わず拍子抜けしながら、訊き返す友雅に泰明はこっくりと頷く。
そうして、間近にいる友雅の瞳を見詰めて若干照れ臭そうに言った。
「この花は「お礼」の花なのだ」
「お礼?」
それから、泰明が語りだした話はこうである。
昨日の午前中買い物に出ていた泰明は、家に戻る途中で一人の老婦人が道端に蹲っているのに出くわした。
どうしたのかと問い掛けると、散歩の途中で急に気分が悪くなったのだという。
そこで泰明はその場でできる限りの簡単な診察をして、特に異常はなさそうだと判断した上で、
手持ちの薬の中から効果的なものを選び出し、彼女に飲ませた。
それから、老婦人を近くの公園まで連れて行き、日当たりの良いベンチへと座らせて彼女が落ち着くまでずっと付き添ったのである。
暫くして老婦人はもう大丈夫だからと一人で自宅へ戻ろうとした。
しかし、泰明は途中でまた気分が悪くなるかもしれないからという理由で、結局自宅に辿り着くまで彼女に付き添ったのだった。
泰明には医者として当然のことをしたまでだという認識しかなかったが、老婦人は違ったらしい。
老婦人を玄関まで送り届け、そのまま踵を返そうとした泰明は、お茶を出すからと彼女に家の中に引っ張り込まれてしまった。
彼女は泰明の自分に対する、無愛想ではあるが親身な態度に感動し、心から感謝していた。
お茶をご馳走になっている間も、老婦人は何かお礼がしたいと泰明に言う。
自分は当然のことをしただけだし、このお茶を頂いただけで充分だと泰明が言っても、納得しない。
泰明は困り果てて、開かれた大きな窓からそのまま降りることのできる庭へと視線を彷徨わせた。
すると、そこには様々な植物が優しい色の花を咲かせていたのだった。
広い庭にはそれほど大きくもない木々も植えられていた。
ふと、手前の木立の緑を飾る黄色の花群が泰明の目を捕らえた。
山吹の花だ。
そのまま花に見入ってしまった泰明に気付いた老婦人は、咲き乱れる山吹の中から綺麗に咲いていて、これから開く蕾も持った数枝を切り、
いまだ遠慮する泰明へと手渡したのである。
これはお礼の花だから、と言って。
意外な、しかし泰明らしいエピソードに、友雅は思わず苦笑を漏らす。
今回の件は警戒するものではなかったらしい。
やや神経質になり過ぎていた自分を友雅は心密かに反省する。
「あの老婦人の家には山吹の他にも色々な花が咲いていた。
私が花を好きなのに気付いたのだろう、その人は自分が家にいるときはこれから何時でも庭の花を見に来ても良いと言ってくれたのだ」
泰明はそのように語ったが、実際の老婦人の言葉は若干違っただろう。
一人暮らしの老婦人にとって、泰明が彼女の気分が悪いところを助けてくれたことはもちろんのこと、
家まで送ってくれたこと、一緒にお茶を飲みながら話に付き合ってくれたことなど、泰明の行為全てが喜ばしいことだったのに違いない。
だからきっと老婦人は、自分が家にいるとき、何時でも良いから庭の花を眺めにでも来て「欲しい」、と言ったのだろう。
泰明はきっとその老婦人にいたく気に入られたのだ。
(泰明は老若男女問わずもてるからね)
そして…
「泰明はその人のことが好きになったのだね」
そう言うと、泰明は素直に頷く。
相変わらず人付き合いが下手な泰明だが、こうして人を好きになることが増えた。
自分と関わり、好意を抱いてくれる人に対して、泰明はいつも最大限に応えようとする。
その純粋さ、誠実さは以前から…そう、生まれたときからずっと保ち続けてきたものでもある。
そんな泰明を自慢に思うと同時に、無防備過ぎる彼にいささか不安を覚えなくもない。
今回は違ったが、先の薔薇の贈り主のような男(女性ということもあるかもしれないが)が出現する可能性は、これからいくらでもあるだろう。
(いや、違うな)
泰明が無防備だから不安なのではない。
これからも様々な人々と接するだろう泰明が自分以外の誰かに惹かれ、いつか自分から離れていくことが不安なのだ。
「友雅?」
知らず物思いに沈んでいた友雅は、澄んだ声に意識を引き戻された。
「…ああ、ごめん、ぼうっとしてしまって。何?」
話の途中だぞ、と言って少し膨れる泰明の滑らかな頬を宥めるように手のひらで撫でながら続きを促す。
拗ねた振りをしただけだった泰明は、すぐに気遣うように口調を改める。
「他に何か気になることがあるのなら、私の話は後でも構わないが」
「いや、大丈夫だよ」
今度はちゃんと聞くから、と再度促すと、泰明は少し間を置いてから口を開いた。
「…友雅、来週末の休日は空いているか?」
「今のところ何も予定はないけれど。珍しいね、泰明からデートの誘いがあるなんて」
「でーとなのかどうかは分からないが。空いているならその日一緒にその老婦人の家へ行かないか?」
「…私が君と一緒に彼女の家へ?」
内心ちょっとがっかりしつつ問い返す友雅に、泰明はこっくり頷く。
「あの人に家の庭に、木蓮があったのだ」
「木蓮?」
「とても綺麗に咲いていたから、この山吹ではなく、木蓮を貰おうかとも思ったのだが……
切花としてではなく、その場で咲いているのを一緒に見る方がいいと思ったのだ」
「……」
言葉を失う友雅に、泰明はにっこりと笑う。
澄んだ心そのままの微笑。
「友雅は木蓮の花が好きだろう?」
「……よく覚えていたね」
「友雅の好きな花だ。忘れる筈がない」
心なしか得意げに胸を張る泰明の姿に、思わず笑みが零れる。
そして、すぐ傍にある華奢な身体を包むように抱き締めた。
泰明は嬉しそうに、友雅の首に細い腕を回してしがみ付く。
「一緒に木蓮の花を見に行こう。二人で見ればきっと花はもっとずっと綺麗に見える」
「ああ、そうだね。見に伺わせて貰うよ」
細い背と一緒に流れる髪を撫でながら、友雅は微笑む。
泰明が自分の好きな花を覚えていてくれたという一事だけで、機嫌が良くなってしまった自分にまた呆れる。
泰明の何気ない言動がいつも友雅を切なくさせ、不安にさせ、こうして嬉しくもさせる。
(私としたことが良いように振り回されているな)
以前までの自分にはなかったことだ。
それもまた面白い。
「もうその老婦人に私のことは話してあるのかい?」
「もちろん話している」
「どのように話してくれたのかな?」
「?今度大切な人と一緒に花を見に来たいと」
「そう」
大切な人。
それはどう大切なのか。
そんなやや意地悪な質問をしたくなったが、やめる。
(これで良しとしようか…今は)
代わりにこの部屋に飾られた花の香りにも劣らない優しい香りを纏う身体を抱く腕に、ほんの少しだけ力を入れる。
壊さないように。
泰明は軽い笑い声を零しながら、無邪気に応えてくる。
この花をゆっくり育てていこう。
枯らさないように。
優しく。
いつか綺麗に咲くように。
(これでも気は長いほうだからね)
しかし、途中で横取りをされるのは堪らないから、色々と策は講じておかねばならないだろう。
そんなところは以前の自分と変わらない。
笑みを零しながら友雅は花を慈しむように泰明の白い頬にそっと口付けた。
……ともやすもどきでした。 ここまでお付き合いくださった方、有難う御座います。 こんなもんでホントすみません(泣)。 また、恋人未満だよ…… 葉柳が友人以上恋人未満という微みょ〜な関係にときめきを覚えてしまう所為なのかもしれませんな。 …いや、もちろんラブラブも好きですよ!(書けるかどうかは別として) やっすんの恋心はこれから友雅氏がゆっくり、じっくりと育てていく模様。 大事なお花に群がる(?)虫を払いのけつつ、頑張っちゃって下さい。←他人事。 しかし、な〜んか友雅氏、青いですよ? まあ、執筆者が(精神的に)青いので、仕方ないんですけどね、あははは(乾笑)。 今回ともやすを書く上で葉柳が頑張った点は…さりげなく(?)ベタベタ…だったのですが…… 何かが違います。 …友雅、やっすんの子守り状態?(二歳児はスキンシップが大好きなのです/死)。 前作より大分(…)やっすん可愛くなったかな、と思いますですが、 別人ぶりが際立っただけのような……(汗) え〜と、ちなみにこの作品もフリーで。 貰ってやるぜと仰る心優しい方はこちらへ一言下さいな。 てんやす、ともやすと書いてきましたが… どうだろう、いっそ八葉(じゃなかった、七葉…?)、制覇するか…? じゃあ、次はよりやすで!!(本気ですか……) いや…多分冗談です(苦笑)。 ネタがあれば…ってことで。 戻る 前編へ