幻夢ノ蝶 6

 

 自然な暗がりを取り戻した室内に、今まで消えていた灯りが点る。

 壁に掛けられた絵には、光と化したはずの鷹の姿が、元のまま収まっていた。

 先ほどの出来事が全て夢であるかのような静けさ。

「泰明?」

 ゆっくりと泰明に歩み寄った雷牙は、その様子に常とは違う違和感を感じて、呼び掛ける。

 泰明は僅かに柳眉を顰めながら、大きな窓の辺りを見据えていた。

 片手に無造作に掴んでいるのは、先ほどまで部屋を飛び回っていた飛鳥が染め抜かれた着物。

その着物を足元に扇のように広げながら、泰明は人形のようにじっと佇んでいた。

が、雷牙の呼び掛けに、ひとつ大きな瞬きをしてから、ゆっくりと目を向ける。

「どうしたのだ、疲れたか?」

「いや」

 気遣う雷牙に、首を振ってみせる。

 まだ、気遣う様子を崩さない雷牙が、泰明に向かって腕を伸ばす。

 と、それを遮るように、アクラムの冷たい声が響いた。

「無様だったな」

 先ほどの祓いで、泰明が手間取ったことを指しているのだ。

「分かっている」

 泰明は頷く。

「次はこのような失態は犯さない」

 真っ直ぐな眼差しを向けて断言すると、アクラムは皮肉気に笑った。

「次があればな」

「何を言うか、お主!!」

 怒りの声を上げた雷牙が、アクラムへと掴み掛かからんばかりの様子を見せる。

 こちらに伸ばされ掛けていた雷牙の腕が離れて行こうとするのを、泰明はとっさに引き止めた。

 意表を突かれて、振り返った雷牙に、首を振ってみせる。

 雷牙は見るからに不満げな顔をしたが、泰明が手を放すと、大人しく手を下ろした。

 だが、アクラムをきつい眼差しで睨むことは止めない。

 アクラムが不意に冷たい眼差しを和らげ、苦笑した。

「だが、手間取った原因が父にあることは確かだ。ご迷惑をお掛けした」

「いや」

 泰明は静かに首を振ったが、アクラムが手振りで部屋の外へと促すのに、首を傾げた。

「主をこのままにしていて良いのか?」

 主は未だ気を失ったまま、床に寝転がっている。

 すぐ傍に寝台があるのだから、移動させた方が良いだろう。

 そう判断した泰明が、主の身を起こそうとすると、アクラムがそれを制した。

「後で使用人に運ばせる。そのままにしておけば良い」

「しかし…」

 仮にも己の父親に対してあまりにも素っ気無い物言いに、泰明は戸惑い顔になる。

「良いと言っている」

 先ほどよりもアクラムの口調が強くなる。

「儂が運ぼう」

 それでも尚、気掛かりそうな泰明を気遣った雷牙が、進み出た。

軽く指を動かすと、主の身体がふわりと浮かび、寝台へと運ばれていく。

 アクラムがほう、と揶揄混じりの感嘆の声を上げる。

「素晴らしい能力だ。お手間を取らせた。感謝する」

「心の篭っておらぬ礼などいらん」

 不貞腐れたような雷牙の言葉に、愉しげに笑うと、アクラムは部屋を出る。

「有難う、雷牙」

「何、大したことではない」

 ほっと息を吐いた泰明も、雷牙に礼を言い、部屋を出た。

「素晴らしい能力といえば…」

 廊下に出て、扉が閉まったところで、アクラムが思い出したように口を開く。

 片手に持った着物を再び羽織ろうとしていた泰明は、その手を止めた。

 アクラムの青い瞳は、漆黒の闇を切り裂くように飛ぶ鳥を捉えている。

 端整な唇が、皮肉気な笑みの形に歪んだ。

「見事な手品だったな。昼間のものよりもずっと出来が良い。あれはどのような仕掛けだ?」

「手品ではない。式神だ」

 傍らの雷牙が、凛々しい眉を跳ね上げるのが目に入り、泰明は急いで応えた。

「昼間のものと原理は同じか?」

 的確な問いを少々意外に思いながらも、泰明は頷く。

「いずれも、事物に式神を宿らせる方法だ。昼間見せたのは、事物そのものに式神を宿らせて操るもの。

先ほどのものは、事物そのもの、というよりも事物の中で、何らかの力を持つもの…

この着物、そして、あの絵画では描かれた鳥に、式神を宿らせて実体化させる。

無機物に式神を宿らせるよりも、制御に多少霊力を消耗するが、元より力あるものに、式神が宿ることによって、より呪力が増す。

私はこちらの方を得意としている」

「子供騙しよりも高度な技術の方を得意とするか…」

 アクラムの笑みが苦笑めいたものに変わる。

 そんなアクラムを、泰明は真っ直ぐ見詰めた。

「お前も潜在的にかなりの霊力を持っているようだ。今までそれが館で起こる様々な怪異から、お前を守ってきたのだろう」

「それこそ、貴方に比べれば、子供騙しの霊力でしかないだろう」

「それでも、己を守る武器が何もないよりはましだ」

 泰明の言葉に、アクラムがふっと笑う。

 この青年にしては珍しい含みのない笑みだ。

「褒め言葉として受け取っておこう。ところで、肝心の怪異は治まったのか?」

「いや、今回は一時退散しただけだ。怪異を完全に鎮めるには、まず、原因となる怨霊を見定めなければ…」

 最後は呟くように言いながら、泰明は窓の外を見た。

 白い靄はすっかりと晴れ、月の浮かぶ紺色の夜空が拡がっている。

「それでも、浄化の効果はあった。今夜のところはもう、怪異は起きないだろう。お前も朝までゆっくりと寝(やす)むと良い」

 お言葉に甘えようと、アクラムは頷き、小さく笑った。

「なるほど、此度の怪異は、貴方にとってもなかなか厄介な代物らしい。次は期待している」

 雷牙が鋭い目で睨み付けてくるが、一向応えた様子もなく、揶揄めいた言葉を紡ぐ。

 が、見詰めてくる泰明の澄んだ眼差しに、ほんの僅か眉を動かした。

「何か?」

「先ほど、お前は何故、主の居室にいた?」

 意外な質問に、アクラムは軽く片眉を上げて目を見開き、肩を竦めて見せた。

「何故も何も…父に呼ばれたからだ。あのひとが時間に関わらず人を呼び立てるのは、良くあることだ」

「そうか…」

 泰明は澄んだ瞳を考え深げに瞬かせながら、白い頬に濃い影を落とす長い睫を伏せた。

そうして、もう一度窓外へと視線を向ける。

 風に煽られた木の葉が一枚、閃きながら通り過ぎていった。

 



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