ガレキの楽園 5
街の出入り口は既に軍によって封鎖されていた。
泰明は、建物と建物の間に身を潜めていた。
ちょうど死角になる裏口用の階段の蔭で、拳銃の弾倉に新しい弾薬を込める。
出入り口を固めた者の他にも多くの追っ手が、街中を巡っていることだろう。
先程の銃撃戦で弾の掠った頬を乱暴に手で拭うと、白い手が紅く汚れた。
彼らをこのままやり過ごせるとは思わないし、やり過ごすつもりもない。
正面からの強行突破。
それでここを切り抜ける。
時を待ちながら、泰明はふと思い出す。
ジーンズの後ろポケットから一つの硝子片を取り出す。
ほんの僅かしか光の差し込まない建物の隙間の薄暗がりで、いつものように欠片を翳してみる。
そういえば、ケースを置いてきてしまった。
弱弱しく透ける青を眺めながらぼんやりと思い、小さな笑みを零す。
もうこの青に夢を見る暇はないのだと気付いて。
そのとき。
横合いから近付く気配に気付く。
優しげな泰明の美貌が、瞬時に凛と引き締まった。
追っ手か。
相手に気取られぬよう銃を構える。
空気が動いたと感じた瞬間、泰明は弾丸の如く相手の前方に飛び出す。
同時に勘のみで狙いを定め、引き金を引こうとする。
が。
銃を持った左手ごと、腕を抑えられ、泰明は驚愕に目を見開く。
相手の顔を確認する前に、反射的に腹に向かって入れた蹴りまでも、軽くいなされてしまう。
泰明はその素早さに再び驚き、突如訪れた危機に身体を強張らせたが、その直後、耳に滑り込んだ声に、今度は呆然とする。
「…やれやれ。とんだはねっかえりだ」
懐かしくていとおしい声。
傍に夢見た碧い瞳がある。
「友雅…」
思わず喘ぐように呟くと、相手は優雅なほどの余裕を持って、微笑み返してくる。
「やあ、やっと追い付いたよ」
状況にそぐわないのんびりした言葉に、泰明は我に返ると、次いで細い眉を吊り上げる。
「何をしている。危険だと言っただろう。軍は街の出入り口を封鎖した上で、私を探している。見付かるのは時間の問題だ」
自然声音がきつくなる。
「せっかく君を探しに来たというのにつれないね」
「一体何の為に?」
「一つは忘れ物を届けに」
言葉と共に差し出されたのは、青い硝子片の詰まったケースだった。
失われた海と空。
そして、目の前にいる彼の瞳を思い出させる色の……
泰明は、右手に持たされたケースに見入る。
「もう一つは忘れ物を受け取りに」
すっと、友雅の身体が近付いてくる。
一瞬言葉を失っていた泰明だったが、すぐさまそんな余裕はないのだと口を開いた。
「友雅。頼むから、今すぐここから離れてくれ。お前を巻き込みたくない」
ここで、見付かってしまったら、軍は間違いなく友雅を殺そうとするだろう。
自分の身だけならある程度傷付いても問題はないし、何とかなるが、あれだけの人間を相手に、正直二人分の命を守り切る自信がない。
切羽詰って叫びたくなるのを辛うじて堪えて、泰明は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
友雅の言葉を聞いている余裕はなかった。
「今ならまだ間に合う。早く…はや…!」
言い募る言葉の先を封じられた。
今までにない強引な口付けに驚き、目を瞠る。
抗おうとしても、両手首を押さえ込まれながら抱きすくめられて身動きできない。
「…っ…んぅ…っ」
深いところを探られて、頭の芯がぼうっとなる。
立っていられなくなって、壁に押し付けられたまま、背中からずるずると滑り落ちそうになるところを、力強い腕に支えられる。
「危険を顧みず、ここまで君の忘れ物を届けに来た私に礼が欲しいな。ああ…君が別れ際に悔やんでいたことに対する礼という形でもいい」
それがこちらの忘れ物、と友雅が僅かに離れた唇の合間から囁き掛けてくる。
「……後に…してくれ…」
「いや、今しかない。今、聞いてくれ」
口付けの余韻に息も絶え絶えになりつつ、突き放そうとする泰明の言葉を、友雅は強引に引き戻す。
「私の欲しいものは、君の未来半分」
「…何?」
「私の未来半分と交換という形でもいい。是が非でもそれが欲しい」
目を瞠った泰明を、友雅は間近で見詰める。
「何を言って…私は…」
「君が造り物でも構わない。君が必要だ」
「友雅…知って…?」
軍が話したのか。
驚く泰明はしかし、見詰める碧い瞳に宿る真摯な光に、先の言葉をなくす。
「君さえいてくれるだけで、私はこれからも生きていける。この世界に絶望しないでいられるんだ。…だから、否という返事は聞けないよ」
泰明の細い身体を強く抱き締めて、掻き口説く言葉は、彼には珍しいほど飾り気のない真剣なもので、泰明の胸に真っ直ぐ差し込んできた。
「泰明」
返事を請うように名前を呼ばれて、思わず泰明は目を伏せる。
目を伏せた拍子に、目尻から零れるものがあった。
己にはないと思っていたもの。
「…否とは言えないなら…返事は一つしかないではないか…」
憎まれ口を叩く声が震える。
「泰明」
俯いた顔を掬い上げられるように口付けられる。
先程までの強引さとは正反対の慰めるような優しい、けれど深い口付け。
泰明はしがみ付くように、彼の首に華奢な腕を回し、自然にその口付けに応えていた。
「さて、念願の姫君の心は手に入れられたものの、先行きの明るい状況じゃないね」
どうするつもりだい、と傍らの泰明に問い掛けると、銃の具合を見ながらの返事がある。
「正面から強行突破するつもりだった」
「そう、じゃあ行こうか」
「待て、友雅。本当にいいのか?」
自らの銃を構えて出て行こうとするのを引き止められる。
おどけたように片眉を上げて、問いの続きを促すと、躊躇いがちな言葉が返る。
「軍が追っているのは私一人だ。お前は無理に私に付き合って、軍の正面に立つ必要はないのではないか?やはり私一人で…」
「私の身を案じてくれるのは嬉しいけどね。もう、そんなことを言っている余裕はないんじゃないかな?」
「だから、早くここから離れろと言ったのではないか」
ややムッとして言い返す泰明に、全く緊迫感のない笑みを返す。
「実は私も泰明に言っていないことがあるんだ」
突然の言葉に泰明は睫長い瞳を怪訝そうに瞬かせる。
「私も君と同じエデンの出身なんだよ」
軽く言い渡されて、泰明は目を丸くして絶句する。
そういえば、と思い返してみると、友雅は一般人としては銃の扱いが上手かった。
もしや、軍隊経験があるかもしれぬとは思っていたが、まさかエデン出身とは。
「君が去った後、元同僚が部屋を訪ねてきた。御丁寧に色々なことを教えてくれると思えば、どうやら彼らは元々こちらの口封じをするつもりだったらしくてね」
笑みを含んだ声で語られる内容に、はっとして見上げると、友雅の笑みを浮かべた端正な顔立ちの中で、瞳だけが物騒な光を宿していた。
泰明は知らず、その光に惹きこまれてしまう。
こんな友雅の姿は初めて見る。
「泰明に会う前に殺されるのは御免だったからね、全員殺してきてしまった」
まるでその辺りを散歩してきたと言うのと同じくらい軽い口調で紡がれる言葉。
「つまり、これで私も目出度く軍に追われる身になった訳だ。だからね、君は私を気遣う必要はないんだよ。君の足手纏いにならない自信もある。まあ、例え君が嫌だと言っても、離れるつもりはないけれど」
「…お前がこれほど強引な性格だとは思わなかった」
驚き半分、呆れ半分で、憮然と呟くと、
「私も君がこんなにお転婆だとは知らなかったよ」
軽く返されて、ますます憮然としてしまう。
が、そんな泰明の表情が一瞬にして変わる。
「来たようだね」
怜悧な無表情で泰明は頷く。
「どちらを受け持とうか」
銃を構えながらの問い掛けに、泰明はあたりの気配を窺いながら左右に目を走らせる。
最後に友雅を一瞥して、左手に持った己の銃をスライドさせた。
「では左を」
「了解」
応えと同時に、共に表通りへ飛び出した泰明の耳に、独り言のような友雅の呟きが届いた。
「悪くないね」
荒涼たる平原を貫く道路を一台の軍用車が走っていく。
「友雅」
助手席に座る泰明が、風とエンジン音に消え入りそうな静かな声で呼び掛けた。
「何かな?」
「お前は軍から私のことを聞いたのだろう?私が模造天使だと」
「そうだね」
泰明は目の前に置いたケースに詰まった青い欠片たちを見詰めながら問いを紡ぐ。
「父のことも?」
「ああ、泰明が私に興味を持ってくれた切っ掛けになってくれたひとだね」
会ってみたかったな、と拘りなく言う友雅に、軽い笑みを零してから、泰明は前方を見据える色の異なる瞳に僅かな力を込める。
「私はこれからエデンの研究所へ向かう」
「エデンへ?」
「父の残したアンドロイドに関するデータをサーバごと破壊する。それが父の願いだ」
「それは…難しいのではないかな?辿り着く前に見付かれば間違いなく君は…」
「確かに難しい。だが、成し遂げてみせる。父は…安倍博士は普通の人間と同じように育て、慈しむことのできる新たな生命として、アンドロイドの研究を進めていた。模造天使のような、人間の道具にするために造ろうとしていた訳ではない。しかし、父の願いは…叶わなかった。軍にこれ以上、私のような模造天使を造らせる訳にはいかない。きっと、私が最初で最後の模造天使となるだろう。いや、そうしてみせる。それに…」
一旦言葉を切った泰明は、薄紅色の唇に不敵な笑みを浮かべた。
「例え、見付かったとしても、軍はすぐには私を処分できない」
「何故?」
次々と現れてくる泰明の表情に半ば魅入られながら、友雅は続きを促す。
「父の研究データを保管したサーバにアクセスするには数個のパスワードが必要だ。軍は父のデータが二重にも三重にも保護されていることを知らずに、父を殺してしまった。父は…軍の思惑を薄々知っていたのだと思う。だから、パスワード無しにはデータに触れられぬようにしたのだ。父が居ない今、そのパスワードを知っているのは私のみ。軍はまず、処分する前にそのパスワードを、何としてでもでも私から引き出そうとする筈だ」
それが己の強みであり、相手の隙にもなる、と泰明は自らが餌となることで、研究所内に進入する方法を仄めかす。
そうして、ふっと不敵な表情を消し、子供のように不安げな表情で友雅を見た。
「私がこれから向かうのは今までより一層、命の保証がない場所だ。友雅は無理に付き合わなくても良い。だから…」
ここで別れることもできる、と言い掛ける言葉を苦笑交じりの言葉で遮った。
「君はエデンへ行くのを止めるつもりはないのだろう?」
泰明は無言で頷く。
「ならば、私の行く場所も同じだ。君を離すつもりはないと言ったことを忘れた訳じゃないだろう?」
いささかの迷いもない言葉に、泰明は何処か躊躇いがちに頷いた。
「…有難う」
不敵な表情で物騒な言葉を紡ぐかと思えば、すぐに、こんなしおらしい表情で健気な言葉を口にする。
それが何ともおかしく、また、愛しくも感じられて、友雅は軽い笑い声を上げる。
ハンドルに置いていた左手を伸ばし、傍らの細い身体を引き寄せた。
「…っ!友雅!」
口付け代わりに、白い頬にできていた小さな傷を舐めてやると、泰明は驚いて咎めるような声を上げる。
しかし、笑みを含んだ瞳と見合うと、溜息のような小さな息をつき、ようやく声を上げて笑う。
じゃれ付くように首に抱き付いて、友雅の頬に口付けを返すと、身体を離し、青い硝子の入ったケースをいつものように光に翳す。
車はエデンのある中央都市へと向かっていく。
幸いにもまだ、こちらを追う敵も、迎え撃つ敵も現れていない。
「綺麗だね」
友雅の言葉にちょっと驚いたように、泰明は淡い光に透けるように輝く瞳を丸くし、それから、心底嬉しそうに笑った。
友雅の言葉を、宝物のように大事にしている硝子の欠片に向けられたものだと思っているのだ。
確かにそれも間違いではないけれど……
煌くように風に溶けていく笑い声を聞き、花が綻ぶような笑顔を眺めながら、友雅は呟く。
「…悪くないね」
造り物も悪くない。
これほど綺麗なものが存在するのなら。
そんなものをまだ造り出せる人間も、捨てたものじゃない。
君さえ居れば。
この世界で生きていくのも悪くない。
いや、どうせならば…
「ねえ、泰明。いつか君に本物の青い海と空を見せてあげるよ」
「本当か?」
「ああ、約束する。時間は掛かるかもしれないけどね」
「問題ない。…楽しみだ」
「ふふ、そうだね」
いつか、楽園のように美しい海と空を共に眺めよう。
我ながら柄にもない夢を思い付くものだ。
しかし、今からでも夢を見るのは遅くない。
君が傍にあるだけで、そんな途方もない夢が叶うような気さえするのだ。
さあ。
灰色の絶望を青い希望に変えよう。
the end? or...後書き? はい、お疲れ様でした!(笑) こんなに長い代物を押し付けていた己に改めて慄きつつ…(苦)恐縮しきりです(焦)。 話の大元のネタは、既に暴露しておりますが、新居昭乃氏の同タイトル曲の歌詞です。 この歌をご存知の方は、話のところどころに、詞の一部が使用されていることに、お気付きかと思います。 遙かパロディ初の正真正銘の(?)パラレル物でした。 そして、私が書いた中で一番らぶシーンの多いお話でもあります(笑)。 夜のそれらしい(?)シーンもあるし、平均して、一話に一回の割合でキスシーンもあるという…… でも、甘くないんですよね〜、むしろ他のそういったシーンの少ない話のほうが、糖度が高いような気がします(笑)。 それは、葉柳がちょっとした天邪鬼体質であるからだと思われます(…)。 さて、この「ガレキの楽園」、パラレルということで、友雅氏が秘密部隊での経験を積んだ退役軍人、 やっすんが軍の機密計画により生み出されたアンドロイドという設定を捏造した訳ですが、 これをこのまま放置しておくのも勿体無いかな、ということで、続編シリーズ(?!)を書くことに致しました! 七葉制覇の次のテーマに組み込もうと画策中。 次のテーマは「七葉総出演+α」です。お話が進むごとに、登場人物を増やしていく予定。 そして、もちろんやっすんは皆のマドンナで♪ ぶっちゃけて言えば、「七葉制覇」(七葉以外の誰かも加わるかもね。/笑)と似たようなもんです、書き方が違うだけで(笑)。 ただ、最初にともやすにしてしまったので(笑)、その他皆は横恋慕という形になりそうだよ… (うちのやっすんは、迫られたとしても、浮気はしないので!/笑) しかし、横恋慕男好きの私です!(笑)その分彼らをカッコ良くするつもりです!!ええ、友雅氏を食うほどに!! ……いや、友雅氏も出来るだけカッコよくするよう努力します…(汗) …色々とのたまいましたが、以上のことは、あくまでも予定ということで御了承下さいませ(大汗)。 top back