Blue 〜innocence〜
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そこは一見機械の生産工場のようだった。
しかし、作業台の上に幾つも載せられているのは、人間…いや、人の姿を模したものだ。
(模造天使…?!)
息を呑んで立ち尽くす泰明の細い肩が不意に掴まれ、軽く揺さぶられた。
「泰明殿!」
「頼久…」
静かだが真摯な声音で呼び掛けられ、泰明はやっと我に返った。
「…大丈夫だ」
気遣うような青紫色の瞳に、頷きを返して、泰明は改めて周囲を見渡す。
「何だ、これ…人形…か?」
天真も異様な光景に気圧された様子だ。
泰明はゆっくりと作業台へ近付く。
その背後を守るように、頼久と天真が続いた。
台の上に載せられた作業途中と見られる人形の中で、手足のないものがある。
露になった継ぎ目から、体内の精緻な集積回路などの電子部品や、それらを繋ぐ細いコードが垣間見えた。
「これはロボットだ…」
模造天使ではない。
しかし、そのことに安堵する間もなく、新たな事実に泰明は背筋を凍らせる。
軍は既に、アンドロイドほど高性能ではないにせよ、人間を模した機械の生産を始めていたのだ。
これらが軍事目的で使用されることは間違いない。
作業途中のまま、放置されているロボットの容貌や体型は様々だ。
男女の別の他、成人と少年少女の別もある。
そのいずれも一様に頭頂部が切り取られて、内部が晒されている。
人間ならば脳にあたるその部分には、虚ろな空洞だけがあった。
それが意味するものは…?
「蘭は?蘭は何処にいる?!」
天真が張り詰めた声音で発した言葉に、泰明は思わず息を詰める。
不吉な予感に、心臓を鷲摑みにされたような心地がした。
一方、天真は部屋を見渡しても、探している妹の姿が見付けられずに、焦燥を深めていた。
焦りが平静を失わせようとする。
「天真、落ち着け」
苛立った様子で、部屋を歩き回る天真を頼久が諌めた。
そうして、天真と共に、注意深く部屋の様子を見て回る。
不意に、泰明が細い指を伸ばし、壁面のある一点を指差した。
「そこだ」
整った指先が示す場所に駆け寄ると、壁の継ぎ目に紛れるように、扉と思しき境界線が切り取られてある。
「取っ手がねえな。どうやったら開くんだ?」
忙しげに言う天真の隣に、泰明が歩み寄る。
「ここだ」
隅にある極小のセンサーに手を翳すと、扉が開いた。
そこは白い小さな部屋だった。
中央に椅子があり、ひとりの少女が腰掛けていた。
「蘭!」
天真が呼び掛けるが、瞳を閉じた少女は、何の反応も示さない。
「蘭!蘭!!」
三度目の呼び掛けで、少女はすっと目を開いた。
同時に、天真が伸ばした手を振り払う。
「侵入者か」
何の色もない声音で淡々と言いながら、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
予想していた反応だ。
天真はぐっと拳を握り締め、蘭を真っ直ぐ見詰めた。
「蘭。俺だ、天真だ。お前の兄だ。分からないのか…?」
「お前など知らぬ」
切り捨てるように言葉を返されたが、天真は折れなかった。
軽く頷いて、再び話し掛ける。
「…分かった。覚えていないのなら、仕方ない。後でゆっくりと思い出せば良い。
とにかく、ここから出よう。お前はこんな所にいちゃいけない」
慌しくそう言って、蘭の腕を引こうと再び手を伸ばす。
すると、蘭は無造作に右腕を上げた。
その手に握られているのは鈍く光る拳銃。
「侵入者は排除する」
「…ッ!」
「天真!!」
頼久と泰明の声が重なる。
続いて、鋭い銃声が響き渡った。
レジスタンス本部のコンピュータールームでは、鷹通が特殊軍基地の統合管理サーバーと静かな格闘を続けていた。
泰明が送ってくれたパスワードから、基地のシステム全体を掌握するパスワードを幾つか類推することは出来た。
類推出来たパスワードは、全部で四つ。
しかし、サーバーへのアクセスは、二回までしか、入力ミスを受け付けない。
三回目で失敗すれば、アクセスはシャットアウトされ、システムに関わる全てのパスワードが書き換えられてしまう。
「また、失敗か…」
二回目の入力が失敗して、鷹通は悔しげに呟いた。
チャンスはあと一回だ。
否が応にも高まる緊張に、キーを打とうとする指が固くなる。
一旦キーボードから手を離し、瞳を閉じる。
(泰明殿…)
脳裏に浮かぶ面影に、呼び掛ける。
見たことのない青空の写真に、澄んだ色違いの瞳を煌かせていた彼。
信頼に足る者にだけ見せる無垢な笑顔。
自らの意志を貫こうと力を尽くす健気な姿。
そうだ、今敵地にいる彼の力になる為にも、必ず成功させなければならない。
それは、自分の自信にも繋がる筈だ。
(…御使い、黄泉、蠍、神の炎……)
もう一度、受け取った手掛かりのパスワードを頭の中で反芻する。
不意に、残る二つのパスワードのうち、一方が意識の前面に押し出されてくる。
鷹通は閉じていた目を開き、コンピューターに向き直った。
指先が迷いなくキーを叩く。
A・Z・R・A・E・L
小さな電子音の連続と共に、モニターが一瞬暗くなり、新たな画面が現れた。
「…やった……」
達成感と精神的疲労で、身体中から力が抜けそうになるのを堪えて、鷹通はスクリーンを振り仰ぎ、表示された仲間の居場所を確認する。
既に泰明たちは、目的の場所に辿り着いている。
鷹通は、張り詰めた面持ちで、再びコンピューターに向き直った。
銃を撃ったのは、泰明だった。
放たれた銃弾は、蘭を傷付けることなく、その手から拳銃を弾き飛ばしたが、泰明は小さく舌打ちをした。
銃声に異常を察した警備兵の足音が複数近付いてくる。
頼久が、足音からその人数を予測する。
「八、九…十人か」
ここに到るまでは、泰明が一先ず身を隠し、頼久と天真が警備兵を装うという手も通用したのだが、
流石にこの部屋にあっては、見咎められずに済むことは不可能だろう。
「三人で相手をするにはキツイな…それに、一人はまともに動けないのは確実だ」
咄嗟に蘭の両手首を掴んでその動きを封じた天真が、悔しげに呟く。
状況は厳しい。
「だが、行くしかないだろう」
そう言って、泰明が銃を構え直す。
天真が、持っている拳銃を頼久に投げ渡した。
「何者だ?!そこで何をしている!!」
現れた警備兵が激しく誰何しながら、銃を構える。
応じて、天真と蘭を守るように、泰明が前に出る。
「な…!」
白いスーツを纏った侵入者には似つかわしくない美しい姿に、警備兵が皆、一瞬呆気に取られる。
その隙を突いて、頼久が更に前に出た。
遅れて我に返った警備兵らが、銃を構えなおそうとした、そのとき。
何処かの鍵が外れるような音に続いて、部屋の照明が消えた。
「な、何だ?!」
突然の暗闇に動揺する警備兵の一人を頼久が倒す。
「あれを…!」
暗闇には慣れている泰明が真っ先に指し示した場所に、今まではなかった通路が開いていた。
「あれは緊急時にしか開かない、避難通路!まさか…基地の全セキュリティが解除されたのか!?」
警備兵の叫びを耳にした泰明は、全てを察する。
鷹通が成功したのだ。
動揺する警備兵を後目に、泰明はその通路へと飛び込んだ。
その後を、蘭の腕を掴んだ天真が続き、その背後を守るように、最後に頼久が飛び込んだ。
「ま、待てっ!!」
警備兵が気配を頼りに銃を放ったが、弾は通路脇の壁に当たっただけだった。
「これは…?!」
貴賓室もまた、暗闇に包まれていた。
将校の驚いた声に、永泉が問い掛ける。
「何か起きたのでしょうか?」
「い…いえ」
将校は咄嗟に動揺を押し隠し、何気ない口調で言葉を継いだ。
「制御システムの一時的な不具合による停電でしょう。すぐに復旧すると思いますので、ご心配なく…」
その言葉と同時に、非常用のランプが点灯した。
それは、紛うことなくこの基地が非常事態であることを示している。
淡い照明に浮かび上がった将校の顔は、固く強張っていた。
「失礼致します!!」
そのとき、慌しい足音を立てて、将校の部下が入ってきた。
立ち上がった将校の元へ、慌しい敬礼をして、早足で近付くと、その耳元で何事かを囁く。
将校の顔がますます険しくなった。
だが、永泉が静かな眼差しを注いでいるのに気付いて、取り繕うように言葉を紡ぐ。
「申し訳ありません、永泉様。実は、少々困った事態になったようでして…少し席を外させて頂きます。
すぐに戻りますので、そのままでお待ち下さい」
「分かりました。どうぞ、お気遣いなく」
永泉の言葉を受けて、将校は報告に来た部下と共に、慌しく部屋を後にした。
余程、今起きている非常事態に、心を奪われているのだろう、それまで遠慮深く、
頼りない様子しか見せなかった永泉の雰囲気が変わったことに彼は気付かなかった。
それは、貴賓室に残された将校の部下も同様だった。
「それでは、私たちも参りましょう」
すっと立ち上がった永泉に護衛が頷き、永泉を取り囲むように立ち位置を変えた。
「永泉様?どちらへいらっしゃると言うのです?どうか、将校が戻るまでお待ち下さ…」
怪訝そうに、将校の部下が声を掛けたときは遅かった。
永泉の護衛として、基地に潜入したレジスタンスメンバーは、無言で数少なくなった将校の部下たちに襲い掛かった。
この為に、厳選した精鋭だ、瞬く間に敵の気を失わせ、彼らから武器を奪った。
メンバーから銃を受け取った永泉は、きっと顔を上げ、凛とした声で号令を発した。
「参りましょう!!」
「あの角を曲がれば、出口だ!」
携帯端末に送られた基地の地図を見ながら、泰明が背後を走る仲間に教える。
天真に腕を引かれた蘭は、意外な程おとなしかった。
武器を取り上げられてからは、大した抵抗もせず、ただ、引かれるままに、足を動かしている。
そう、まるで意思のない人形のように。
軍に攫われて後、洗脳処置を施されたのなら、無理もない。
しかし…
泰明の脳裏に、工場の光景が甦る。
泰明は最後尾の頼久へと視線を走らせた。
その視線に頼久はすぐに気付いて、無言で眼差しを返す。
青紫の瞳に浮かぶ懸念の色。
その懸念は恐らく、泰明のものと同じだ。
だが、天真は泰明と頼久の抱く懸念に気付いていない。
「もう少しだ、蘭。ここから脱出したら、お前の記憶を戻してやる」
無反応の妹に、天真は気遣うように話し掛け続ける。
「少し、時間が掛かるかもしれないが、大丈夫さ。きっと元通りになる。そうしたら、一緒に暮らそう」
お前は俺のたった一人の妹なんだから。
そのとき、不意に蘭の足がぴたりと止まった。
「どうした、蘭?!」
天真の呼び掛けに反応を返さないのは同じだが、様子が違う。
立ち止まり、振り向いた泰明は、蘭の虚ろな眼差しと出会った。
その唇がゆっくりと動き、辿々しい言葉を紡ぐ。
「…はい…仰るとおりに…イタシ…マス……」
「!」
瞬間、見開いた茶色い瞳の奥に突如として閃いた光が、見る間に膨張し、弾けた。
「元より捨て駒のつもりであったが…思わぬところで役に立ってくれた」
煌く金の髪を、整った指先で気怠げに掻き上げながら、青年が呟く。
「だが…これで、用済みだ」
薄っすらと微笑んだ将軍は、手にした小型の制御装置に取り付けられたマイクに向かって、短い言葉を発する。
「滅せよ」
そうして、制御装置を無造作に足元に投げ出し、躊躇いなく、靴の踵で踏み潰した。
息を呑む一同に囲まれて蘭が、がくりと膝を折る。
ゴトリと。
重い音を立てて、何かが落ちた。
それは、蘭の細い腕だった。
外れた腕の付け根からは、あの工場にあったロボットと同じ、細く束になった電気コードが、千切れて火花を散らしているのが見えた。
天真は驚愕に目を見開く。
「蘭!!」
まさに、「to be continued」的な展開に。 こちらを御覧下さっている天真及び蘭ファンの皆様には、こんなことになってしまい、申し訳ありません…(汗) いや、でも悪いのは将軍アクラムだから!こやつの所為で蘭はこうなったのです!!(言い逃れ) 友雅氏、イノリ、詩紋ファンの方も、出番がなくて申し訳ありませぬ…(汗) 次回には、登場予定です。とはいえ、この件のメインは、天真になるので、出番は少なめかもですが… ここに到って、やっと話の進み具合の目処が付いてきました。 あと、多くても二回で、この章は終了します。 宜しければ、最後までお付き合い下さいませ(平伏)。 back top