Blue 〜eternal

 

− 7 −

 

(私は、一体何をしているのだろう…?)

 昨日、訪れたばかりの小道の前で、永泉は途方に暮れたような心地で、立ち尽くしていた。

この小道を通り抜けた先で、自分は恐ろしい目に遭ったというのに。

 もう二度とそんな恐ろしい思いはしたくなかった筈なのに。

それなのに、気が付けば、空いた時間に、理由を付けて皇宮を抜け出し、再びここにやって来てしまっていた。

 他ならぬ自分の行動の意味が分からず、永泉は戸惑いながらも、改めて自分の心の声に耳を傾けてみる。

 そうしてみると、今、自分の心には、恐ろしさの他に、一抹の疑問がある。

 

…何故。

 

 あのとき出逢った女も子供も、彼女らを襲った軍人たちも、自分と変わりない人間である筈なのに。

何故、一方が一方に虐げられ、苦しめられてしまうのだろう。

 

 …そして、泰明は虐げられるものを救う為に、虐げる者に迷いなく銃を放った。

 

彼の美しい姿が脳裏を過ぎった瞬間、鼓動がひとつ、大きく鳴った。

「…ッ…?」

 永泉は思わず胸を押さえるが、やがて溜め息を吐いて顔を上げる。

 ここで立ち尽くしていても埒が明かない。

 昨日と同じく、意を決して、小道を通り抜ける。

 懐には、護身用の拳銃がある。

だが、そこに銃弾は込められていない。

 

 意気地がないのだ、自分は。

 自分の身を守る為、戦うことすらできない。

 そんな自分に、他を守ることなど、あまつさえ、それを守る為に、何かを変えようとすることなど、できよう筈もない。

 

 永泉は表情を曇らせ、再び溜め息を吐く。

 

 そのとき。

 

「永泉か」

 不意の呼び掛けに、小道の出口で、永泉はびくりと肩を震わせる。

 顔を上げて、低くも澄んだ声で呼び掛けた人物の姿を確かめた永泉の鼓動が、またひとつ、大きく跳ねる。

「泰明殿…」

 彼もまた、永泉より一足先に小道を通り抜けた後だったのか、半身だけ振り向いて、

僅かに柳眉を顰め、大袈裟な反応をする永泉を訝しむように眺めている。

 薄暗い印象の通りにあって、その姿は、はっとするほど色鮮やかに見えた。

 永泉と向き合っていないほうの左手に何かを持っているようだったが、この位置では良く分からない。

 その細い腰にはやはり、目に見える形で銃が吊り下げられている。

「お前もこの界隈に用があるのか?」

「え?あ…はい。あっ…いいえ……」

 何とも応えようがなくて、永泉はつい曖昧な応えを返してしまう。

 その応えに、寄せた眉根を更に寄せた泰明は、ついと永泉から視線を逸らした。

「言いたくないのならば構わぬ」

 素っ気無く言い放ち、すたすたと歩き出す。

「あっ…お待ちくだ…」

 思わず呼止め掛けて、永泉は思い止まる。

 呼び止めてどうするというのだ。

 永泉は、その場に再び立ち尽くす。

 そのとき、背を向けた泰明が左手に持っている物が明らかになった。

(花束…?)

 それらは皆、淡い色のシフォンで作られた造花のようだ。

 泰明はこの花束をこれから何処へ持っていくつもりなのだろう。

 そんな直接問えば済む些細な疑問が、瞬く間に心を覆うように広がり、

気付けば永泉は、泰明の後を追って通りを歩き出していた。

(本当に私は、一体何をしているのだろう…?)

 今までこんな風に理由のはっきりしない気持ちに突き動かされて行動することなどなかったのに。

 泰明は、永泉が付いてきていることに気付いているようだが、何も言わなかった。

 咎めない代わりに、振り向いて永泉を見ることもせず、我関せずとばかりに、歩を進めている。

 脚が長く、歩幅の大きい泰明に、永泉は小走りで付いていかねばならなかった。

 背にひとつに束ねた髪を遊ばせながら、泰明は通り一つ目の角で、この居住区の奥に向かう道筋へと入る。

 そこで、永泉は息を呑む。

 

 この道筋は…

 

 やがて、泰明が立ち止まったのは、いまだ記憶も生々しいあの場所だった。

昨日この地区に住まう一般民の母子が、ふたりの軍人に襲われた場所。

そして、母子を襲った報いに、軍人たちが撃たれ、息絶えた場所だ。

頼久が確かな事後処理を行った為か、そこには昨日の事件の名残はなかった。

あれほど鮮やかに地面を染めていた紅の跡すらない。

だが、事件の残像は、永泉の脳裏に刻まれ、そこここに映し出されている。

泰明は永泉の数歩前で、暫く微動だにせず、佇んでいた。

その背丈の割には細い背中に、永泉は恐る恐る近付く。

泰明と並んで彼を見上げた永泉は、再び息を呑む。

端麗な横顔は、静かだった。

しかし、強い光を放つ澄んだ瞳は伏せられ、長い睫が微かに震えている。

 何者かに一心に祈りを捧げているかのようなその表情に滲むのは…

 思わず、泰明に見入る永泉の静寂を破るように、パタパタと軽い足音が近付いてきた。

 泰明がす、と瞳を開き、永泉とほぼ同時に、足音へと振り向く。

「あ…」

 昨日の子供の姿を目にした永泉が、思わず声を上げる。

 しかし、熱があった影響か、子供は昨日出会った永泉らのことを覚えていない様子で、興味深げにこちらを眺めている。

「熱はもう下がったのか」

 泰明の問いに、きょとんとした顔をするが、屈託なく頷いて笑う。

再び、パタパタと音を立てて、泰明の傍に近付いてくる。

「ねえねぇ、それ、きれいだね」

 若干たどたどしい口調で、泰明の手にした造花を指差し、泰明を見上げて問う。

「おねえちゃんが、つくったの?」

「………ああ、そうだ」

 子供の間違いを訂正してやるべきかどうか、考えるような間を置いてから、泰明は苦笑混じりに頷く。

「すごいねぇ!きれいだねぇ!」

 泰明に纏わり付くようにして歓声を上げる子供に、泰明は花束の中から五輪ほど抜き取って差し出した。

「気に入ったのなら、やろう」

「いいの?」

 と、目を輝かす子供の声に被さるように、女の声が響いた。

「待ちなさい、ぼうや!この道を通っては駄目だと…」

 声に続いて、慌しい様子で現れた子供の母親は、永泉と泰明の姿を目にした途端、息を呑んで立ち尽くす。

 そんな母親の元に、花を受け取った子供が駆け寄っていった。

「みてみて、おかあさん!あのきれいなおねえちゃんにもらったの。おねえちゃんがつくったんだって!」

 きれいきれいと、はしゃぐ子供とその手にある花を、母親はやや困惑した眼差しで眺める。

 その視線が、恐る恐るというように、周囲に流れ、やがて泰明の手にした花束に行き着く。

 目を上げた母親と視線が合った泰明が、仄かに唇を綻ばせた。

 それこそ、花の蕾が綻ぶように。

「すっかり快復したようだな」

「え、ええ…」

 子供のことを指した言葉に、戸惑いつつ頷いた母親は、心配そうに再び口を開く。

「ですが、このお花…本当に宜しいんですか?せっかく作られたものでしょう?もしや、この子が我儘を言ったのでは…」

「いや、そのようなことはない。気に入ったようだったので、私が勝手に押し付けただけだ。

それに、まだ、残りはたくさんある」

 気に入ってもらえて嬉しかったのだ、と言う泰明を見上げた母親は、そこでやっと表情を和らげ、頭を下げる。

「有難う御座います。そして、昨日も…助けていただいたのに、

そのお礼すら言わずに逃げ出してしまって、本当にすみませんでした」

「気にするな。私も気にしていない」

 淡々と、しかし、心からそう思っていることが分かる泰明の言葉に、

母親は却って申し訳なさそうに微笑んで、もう一度頭を下げる。

「…有難う御座います。貴方も…」

 母親は今度は永泉に向かっても、頭を下げた。

「昨日は助けていただいて有難う御座いました。もうおひとりの方にも…どうぞ宜しくお伝えくださいませ」

 そう言って、深く腰を折った母親を真似て、花を握った子供もぴょこんと頭を下げた。

 

 親子が去った後、泰明は通りの壁際に手にした花束を置いた。

 死んだ軍人たちは、些細な関わりしか持たなかった永泉から見ても、とても良い人間とは思えなかった。

 だが、そんな彼らに花を捧げる泰明の姿からは、どんな人間の死も悼む柔らかな心が垣間見えた。

 それなのに、彼の腰には、軍人たちに死を齎した銃があるのだ。

 これからも彼は、この銃を捨てることはないだろう。

そして、何かを守るために、その引き金を引くだろう。

 この不釣合いな、一見矛盾した姿。

 そんな泰明の姿を見詰めていた永泉の目が、閃く光を捉えたように、ふいに開かれた。

 もしかしたら、この矛盾こそが本当なのかもしれない。

 そんな矛盾を泰明は、多くの人々のように誤魔化さず、真摯に受け止め、且つ自分の心に素直であり続けているのだろう。

だからこそ、泰明は毅く、美しく見えるのだ。

まるで、血に穢れても尚、清らかさを失わない天使のように。

だが、清いからこそ、その内に矛盾を抱え続けていくのは、きっと辛く、苦しいだろう。

 そして、この穢れきった世界で、清さと毅さを保ち続けるのも難しい。

 

…守って差し上げたい。

その柔らかな心に降り注ぐ剣のひとつでも、この身を賭して防ぎたい。

 

突如、身を灼くように拡がった衝動的な感情に、永泉は驚く。

このように無力な自分がいなくても、泰明を守ろうとする者は多くいるだろう。

例えば、友雅が。鷹通が。頼久が。

彼らに自分は遠く及ばない。

自分などいなくても良いのだ。

そう頭では承知していても、この感情は止められない。

一層驚くことに、自分はこの感情に翻弄されることを心地良くすら感じているのだ。

 それと同時に、胸に秘めた疑問が、ひとつの出口を見付ける。

 

 彼らは皆、自分と変わりない人間である筈なのに。

何故、一方が一方に虐げられ、苦しめられてしまうのだろう。

 

 それは、現在の政治状況や、それによって定められたそれぞれの立場を考えれば、仕方ないことだと思っていた。

 しかし…本当にそうなのだろうか?

 複雑化した政治や身分制度は皆、本をただせば、全て人間が作り出したものだ。

 それらは絶対的なものではない。

ならば、変えられる筈。

 

 皆同じ人間なのだ。

 

ならば、こんな自分でも何かが出来るのではないだろうか。

 諦めなくても良いのではないだろうか。

 これほど熱い想いを胸に宿すことができるのなら。

 

「どうしたのだ、永泉」

 気持ちが表情にも表れてしまったのか、振り向いた泰明が怪訝そうに問うてくる。

 その問いに、永泉は微笑み、初めて泰明を真っ直ぐ見返す。

「いえ…ようやく向かうべき場所を見付けた気がしまして…」

「?」

 永泉の応えに、不思議そうに華奢な首を傾げる泰明が、とても可愛らしく思えた。

 

 

「兄上、お願いがあります」

 人払いをした御門の執務室で、永泉は真っ直ぐに顔を上げて、兄と向き合った。

 御門は、永泉の瞳に宿る強い決意に気付き、目を瞠るが、間もなく微笑んで頷く。

「聴こう」

「私を御門一族から除籍して下さい」

「………永泉」

「身勝手なお願いだと承知しております。しかし、このままでは兄上にご迷惑が掛かってしまう」

「待て、永泉。せめて除籍を願う理由を教えてくれ」

 殆ど一息に願いを口にした永泉は、そこでやっと息を吐く。

 驚きながらも穏やかに問う御門を見返しながら、少し考える。

 どう言えば、伝わるだろう。

 だが、迷ってはいられない。

 永泉はそれまでの彼には考えられないほどのきっぱりとした口調で、御門の問いに答えた。

「お守りしたい方ができました」

「守りたい方が…?」

「はい。その方を私の力の及ぶ限り、精一杯お守りしたい。

その為に…私は正式にレジスタンスに加わりたいと考えています。

ですが、一族に籍を置いたままでは、もしものときに、兄上や一族の者に、ご迷惑をお掛けしてしまいます。ですから…」

 一族から離れた後でなら、言い訳の仕様もある。

「…ですから、どうかお願い致します」

 言いながら深く腰を折ると、御門の溜め息が聞こえた。

「本当に勝手なことを言う」

 やはり、兄を悩ませてしまったか。

 永泉の気持ちが沈み掛けるが、続いて耳に届いた言葉は、笑みを含んでいた。

「だが、そなたがそう望むのなら、私は何も言うまい。

そもそも、始めにレジスタンスに協力するようそなたに頼んだのは私であるからな」

「兄上…」

 永泉が顔を上げると、そんな彼に御門は優しく微笑んでみせた。

「しかし、除籍については、受け入れられぬ。余計な気遣いは不要だ。いざとなれば、軍と戦う覚悟はとうにできている。

その上で、御門一族であるそなたが、レジスタンスと一族とを繋ぐ架け橋となってくれるなら、私には願ってもないことだ。

だが、永泉、そなたは、まだ友雅らに、レジスタンスに加わりたい旨、伝えていないのではないか?」

「……そうでした」

 指摘されて、ようやく先走っていた自分に気付き、永泉は顔を赤くする。

 そんな永泉を、御門は瞳を細めて眺める。

「変わったな、永泉。ついこの間までは、全てを最初から諦めて、その儚さばかりに目を向けているようだったが…

そなたの想い人に感謝しなければなるまいな。一度会ってお礼を申し上げたいものだ」

 殊更、明るい声でそう言う御門に、永泉は曖昧に微笑んだ。

 これは自分の片想いであるのだと、兄に打ち明けぬまま。

 

 

 御門の執務室を辞した後、永泉はひとり、回廊から人工の木々と花々に彩られた庭園を眺める。

 造られた緑の光景に、ふと、泰明が手にしていた造花の影が重なる。

 泰明の手に作られた花は、彼そのもののように美しかった。

 それは今面前にある花々と同じ造り物である筈なのに。

 とするならば、その違いは何だろう?

 

『造り物の美しさに真実が宿ることはないと…貴殿は思われますか?』

 

ふいに、これから敵対することになる将軍の言葉が、舞い降りてきた。

 

 それに答えるように、永泉はそっと呟いた。

「…そこに、偽りない心を注ぐことができたならば……」

 

 そうして宿った真実の向こうに、自分の求める「永遠」が見付かるのかもしれない。


the end? or...
「Blue 〜eternal〜」終了です! 最後までお付き合い下さいまして、有難う御座います♪ 毎回毎回、連載にどれだけ時間掛けてるんだという感じですが(汗)、このたびも本当にお疲れ様でした!! さて、最初から最後まで永泉出ずっぱりの、えいやす風味(?)な最終話となりましたが、如何でしたでしょうか? びくびく永泉が、やっと「漢」になったと感じてくださいましたなら、私の目論見(笑)は成功なのです!! そこから更に、我が姫(笑)、やっすんの人をも変えうる魅力に、納得してくださいましたら、真の目論見も大成功♪ ええ、全てはそこに帰結するのです、ここはやす受推奨、やすラヴサイトでありますゆえ!!(笑) これでまだ登場していない八葉は残り二人となりました。 取り敢えず、次回初登場予定の八葉とタイトルだけは決まっております。 後は闇の中…ということで(苦笑)。 これから、ネタ固め頑張ります!! 次回連載もどうぞ宜しくお付き合いくださいませ(平伏)。 top back next