Blue 〜eden〜
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灰色の厚い雲越しに差し込む淡い陽の光が、翳り始めた時刻。
軍本部の敷地を取り囲む塀を、遠目に見ることのできる路地に、友雅と天真はさり気なく佇んでいた。
「で?どうやって忍び込むんだよ?」
片手を目の上に翳し、見晴るかすようにしながら、天真が問うと、
「これだよ」
友雅が懐から携帯端末を取り出して見せた。
「出かける前に、鷹通が渡してくれたものだがね、ちょっとした仕掛けが施してある。
泰明が如何なる端末からでも、サーバーコンピューターにアクセスできる能力を持っているのは知っているだろう?」
「ああ。最初は信じられなかったが…」
「詳しい仕組みについては私も把握していないが、この端末には、
泰明がコンピューターにアクセスするときに発する微弱な電気信号のパターンがインプットされている…
つまり、他の端末に己を泰明だと勘違いさせることが出来る訳だ」
「へえ…それでセキュリティシステムを躱して、本部に潜入するってことか。やるな、鷹通の奴」
「全くね。何時の間にか、泰明とふたりきりでこのようなものを開発していたとは…少々妬けてしまうよ」
「…俺が言ったのは、そういう意味じゃねえぞ」
こうして路地に佇んでいる間にも、塀の前を幾度か見回りの兵士が通り過ぎていく。
忍び込むには、辺りが暗くなってからの方が、都合が良い。
故に、陽が沈むまで待機しているのだが、ふと、友雅が塀を見詰める瞳を細めて呟いた。
「…焦れるな」
「普段ならそれは俺の台詞だと思うぜ」
本当に余裕がないんだな、と天真が軽く肩を竦めて苦笑する。
「慌てなくとも、あと三十分も経たずに暗くなるだろ」
軽く宥めるような口調で言う天真に、友雅も苦笑を返した、そのとき。
「おい、そこで何をしている!!」
鋭く問う声音と、石畳を蹴る軍靴の音。
友雅と天真は、駆け寄って来た黒い軍服の男二人に取り囲まれた。
「特に何も」
天真が短く応える間に、友雅はさり気なく、彼らの襟の徽章を確認する。
二人とも下士官だ。
恐らく見回りの兵士だろう。
そう判断し、すかさず天真に目配せする。
その意図を悟った天真が、目だけで頷きを返した。
一方、軍人らは、一向に怯えたり、畏まる様子のないふたりの態度が気に障ったらしく、腰に挿したサーベルに手を掛ける。
「怪しい奴らだ!取り調べの為、連行する!!」
「何を根拠に我々を怪しいと仰るのかな?」
「何をう?!口答えは許さんぞ!!」
軍人が威嚇するようにサーベルを抜き放とうとするのと同時に、友雅と天真は素早く左右に分かれた。
軍人らの視界から一瞬、ふたりの姿が消える。
「な、何っ?!」
直後、二人分の小さな呻き声と、どさり、と何かが石畳に倒れる音が、徐々に暗くなっていく路地の奥から響いた。
水の中を漂っているような感覚。
ここは、何処だろうか…?
確認しようにも、何故か目が開かない。
『…―――』
隔たりを通して、声が聞こえる。
これは、友雅の…否、父の声。
唐突にこれが夢のようなものであることを理解する。
己の周囲に満たされているのは、恐らく培養液だ。
だとするなら、これは「己」が目覚める前の、過去のデータの再現か。
しかし、目覚める前のデータを記憶として蓄積することは不可能な筈。
今己が体験していると知覚するこの「過去」が、現実であった可能性は低い。
或いは、記憶として表出しないレベルの過去のデータが欠片なりとも、己の内に残存していたのだろうか?
その片鱗が、今、夢のように曖昧な形で現れているのだろうか?
思い巡らしているうちに、父の気配が近づいて来た。
先ほどの偽者とは違う懐かしい気配。
近づいて来る気配は、もうひとつあった。
知らない気配。
そう思うのに、何処か懐かしい。
見て確かめたいと思うのに、やはり目は開かない。
やがて、己を前に話しているのだろう父の声が聞こえてきた。
『あともう少しで、この子も目覚めることが出来ると思うんだ。そのときには、この子の最初の友達になってくれたら嬉しいな』
『ともだち…』
応えるのは少年の声。
何処かで聞いたことがある…
が、誰のものか特定できない。
そのとき、やっと己の瞼が震えるように動くのを感じた。
微かに開きかけた目に、ぼんやりと映る影は……
視界に広がった金色の影に、泰明はびくりと震えて、目を覚ました。
怯えたように、身体を覆うシーツを引き掴み、飛びのこうとする泰明の耳に、澄んだ少年の声が響く。
「大丈夫ですか?泰明さん。僕です。分かりますか?」
徐々にはっきりとしてくる視界の内に、宥めるように話しかける少年の顔が映り込む。
「詩…紋…?」
名を呼ぶと、金の巻き毛の少年は、ほっとしたように微笑んだ。
「良かった。ちゃんと目を覚ましてくれて。ずっと目を覚まさなかったらどうしようって、思っていたから…
でも、すみません、僕がいた所為で、驚かせちゃいましたか?」
「いや…」
「だったら…悪い夢でも?」
「いや、そのようなことはない」
「じゃあ…何処か、痛いところはありませんか?」
「ない。大丈夫だ、有難う」
心配そうに見詰める詩紋に、泰明は首を振って、淡く微笑む。
それから、わずかに表情を硬くして、小さく問うた。
「あの男は…?」
「…将軍は僕をこの部屋に呼び出した後、出て行きました。国内に不穏な動きがあるということで、今頃は会議中かもしれません」
「そうか…」
不穏な動きとは、レジスタンスに煽動された民衆の動きを指しているのだろうか。
そう考えながら、泰明は己の身体を見る。
白い肌に散る幾つもの痕跡に、ぎくりとするが、それ以外には特に異常を感じない。
泰明は小さく息を吐く。
そのとき、あることに気づいて、首筋に手を持っていく。
首飾りがない。
そんな泰明に、詩紋はそっと着替えの服を差し出した。
「これ、どうぞ。着替えさせてあげた方がいいかどうか迷ったんですけど、眠っている間に触ったりしちゃ失礼かな、と思って…」
泰明が見上げると、詩紋は何か他にも言うことがあるのを、躊躇っているような表情をしていた。
「…有難う」
一拍おいて、泰明は差し出された着替えを受け取った。
肌触りの良いシャツに腕を通しながら、枕もとの小卓の上に、件の首飾りを見つける。
泰明が着替える間にも、詩紋は思い詰めた様子で、考え込んでいた。
やがて、俯いていた顔を上げ、きっぱりと言う。
「泰明さん。ここから出て行きましょう」
「何?」
最後の釦に手を掛けていた泰明は、色違いの瞳を瞠って詩紋を見る。
詩紋は張り詰めた表情で、泰明のほっそりとした白い手を取った。
「僕は今、この部屋の鍵を預かっています。そして、泰明さんは居場所を示す首飾りを身に付けていない。
ここから逃げ出すとしたら、今しかありません。僕が外まで案内しますから。さあ、早く!」
「ま、待て…」
珍しく強い口調で促す詩紋に、そのまま流されそうになりながら、泰明は寸でのところで思い止まる。
「お前の申し出は私にとっては願ってもないことだ。しかし、そのようなことをすれば、お前は…お前の両親はどうなる?
お前をここに呼び寄せたのは、あの男なのだろう?あの男はお前の行動を見越して、罠を張っているかも知れぬ。
お前たちを危険に晒すような真似はしたくない」
「僕たちのことなら大丈夫です。心配しないで。あなたがここから逃げる手助けをすることは、前から考えていたことだったんです。
そうすることによって、負う危険に対する手立ても考えてあります」
そう詩紋は説いたが、泰明の愁眉は開かれない。
「その手立てとは?」
「…言えません」
「ならば、私もここを動かない」
「泰明さん!」
思わず声を高くした詩紋を、泰明は強い眼差しで真っ直ぐ見る。
納得できるまで退かないと語るその澄んだ瞳には、詩紋への気遣いも垣間見える。
根負けしたのは詩紋の方だった。
小さく溜め息を吐き、口を開く。
「外までの道を教えます。僕が案内するのは途中まで。
万一、見つかった場合は、あなたに脅されてやむなく…ということにします。それならどうですか?」
「外までの道を教えてくれるだけで良い。お前はここに残れ」
「いいえ。それだと、僕が安心できません。せめて途中まで送らせてください。
泰明さんが無事にここを出られなければ、僕が手助けした意味がなくなってしまいますから」
詩紋がそう言うと、泰明はやや首を傾げるようにして考え、頷いた。
「分かった。譲歩する」
差し出された詩紋の細い手に、泰明の華奢な手が重ねられた。
そんな訳で、王子(?)が助けに行く前に、姫は詩紋と駆け落ち…もとい、自ら敵地からの脱出を試みます。 助けられるまで待つのではなく、攻めに出るのが、我らが(?)姫なのです!! とはいえ、無事に逃げ遂せるかどうかは謎…というか、皆様きっとお察しのごとく(笑)、色々な困難が待ち受けております。 取り敢えず、老体に鞭打って頑張る(黙れ)友雅氏には、やっすんと再会させてやりたいよね!! ということで、私も頑張ります(笑)。 back top