Blue 〜eden

 

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「詩紋」

 扉が閉まると同時に、泰明は詩紋へと駆け寄る。

 詩紋は目を伏せたまま、泰明の言葉を止めるように、片手をすっと上げた。

「まずは、治療をさせて下さい」

「……」

 泰明は戸惑ったように、詩紋を見詰め、彼の前で立ち止まる。

 その問うような眼差しに応えることなく、詩紋は上げた手を泰明の傷付いた左肩に翳した。

 左肩が仄かに温まり、咬むような傷の痛みを和らげてくれる。

「これがお前の治癒能力か…」

 泰明は僅かに目を瞠って、己の左肩と、その上に翳された詩紋の手を見た。

 そうして、詩紋に視線を戻すと、そこで彼と目が合った。

 詩紋はその青い瞳を、再び泰明の二色の瞳から逸らしながらも、自ら口を開いた。

「傷を受けた部位の細胞を活性化させて、傷付いた人自身の自己治癒力を高めるんです。

逆に…その治癒力を低めて、傷を悪化させることもできます」

 泰明が小さく息を呑む。

 その気配だけを感じながら、詩紋は苦笑して翳していた手を下ろす。

「あの麻酔銃も、左肩ではなく、心臓に近い場所を狙って撃ったんです。そのほうが麻酔の効き目が持続しますから。

結局は、貴方の優れた反射神経のおかげで、傷は浅く、効き目も弱いものになりました。

けど…僕が貴方に銃を向けた事実は変わりません。それに…」

 一度言葉を切った詩紋は、思い切ったように顔を上げる。

「もし、心臓を撃ち抜いても、貴方が死ぬことはないと、僕は知っていたんです、始めから。

始めからずっと、僕は貴方たちを…泰明さんを騙してきたんです。騙して、裏切った……」

「……」

「…どうして、そんなに悲しそうな顔をしているんですか?」

「お前が、悲しそうな顔をしているからだ」

「…っ」

 泰明の言葉に、詩紋は思わず、声を詰まらせる。

 泰明は悲しげだが、澄んだ眼差しで詩紋を見詰めている。

 その瞳に、批難の色は欠片も無かった。

 揺らめく光を湛えた翡翠と琥珀の瞳は、哀しいほど美しい。

 まるで労わるように詩紋を見詰めながら、泰明は静かに唇を開いた。

「…詩紋。もしも、間違っていたら言ってほしい。しかし、お前は私たちに対して為した行動を後悔しているように見える」

「後悔?」

「私たちを『騙して、裏切った』と…悲しそうな顔で言う。それだけ私たちのことを、大切に思っていてくれたのではないか?

偽りだと己に言い聞かせながらも…私たちを信頼してくれていたのではないのか?」

「そんなこと……でも…もし、そうだとしても…僕がしたことは変わらない……許せることじゃありません」

「許せないと思うのは、お前自身ではないのか?お前は己で自身を責めているように見える」

「それは泰明さんが僕を責めないからです。責められても当然のことをしたのに…」

 そう呟くように言って、詩紋は小さく溜め息を吐いた。

「責められる覚悟をしてきたから、かえって拍子抜けしちゃいました。だから、自分で自分を責めるみたいな変なことになってしまって…」

「…?」

詩紋の言葉に、泰明は大きな瞬きをひとつしてから、目を瞠る。

 そうして、若干慌てたように言葉を紡いだ。

「そうか。私の所為だったのか。すまない」

「違いますよ。謝らないで下さい」

 何処か焦点のずれた泰明の言葉に、思わず小さく笑ってしまいながら、詩紋はもう一度溜め息を吐いた。

 先程まで身を押し潰さんばかりだった罪悪感が、少しだけ和らいだような気がする。

 そうして、僅かでも自分の心を楽にすることも、本当なら許されないことなのかもしれないけれど…

 詩紋は、表情を改めて泰明を見詰めた。

「これが罪滅ぼしになるとは思いません。でも、僕の知っていることだったら、何でもお話します」

「良いのか?」

驚いたように問う泰明に、詩紋は複雑な表情で頷いた。

「実は…将軍からは、何でも話して良いと許可が下りているんです」

「あの男から…?」

 泰明が不可解そうに眉を顰める。

「将軍が何を考えているのか、僕にも分からないんです。それに…僕が貴方に教えられることもそんなに多くないと思います。

ごめんなさい、泰明さん」

「いや…」

 俯いて悲しげに言う詩紋に、泰明は首を振る。

「今の私は殆ど何も知らないに等しい。少しでも情報を得ることが出来れば助かる」

(あの男の思惑については…今、考えても答えは出ないだろう)

 心のうちでそう付け加えて、泰明は纏わりつく不安を振り切る。

「分かりました。じゃあ、何を話しましょうか」

 俯いていた顔を上げて問う詩紋を、泰明も真摯に見返す。

「知りたいことはたくさんある。だがまずは、お前のことについて知りたい。

誰よりも人を思いやることの出来るお前が何故、将軍に従っているのか、その理由を知りたい」

詩紋は目を瞠る。

「僕の事を聞いても、何の役にも立たないと思いますよ」

「それは聞いてみないと分からない。役に立とうが立つまいが、私はそれを一番先に聞きたいのだ」

 一息にそう言ってから、泰明は注意深くもう一言を付け加える。

「だが、お前が話したくないというのならば、無理には聞かない」

「……」

 詩紋の青い瞳が躊躇うように揺らめく。

 泰明自身は無意識なのかもしれない。

 しかし、彼はいつもこうやって、自分のことよりも相手のことを気に掛ける。

 誰よりも人を思いやるのは泰明のほうだ。

 詩紋は小さく苦笑する。

 躊躇いを絶ち、瞳に決意の光を宿して、詩紋は泰明に向かって頷いた。

「…分かりました」

 

 

 部屋を出ると、将軍の腹心である参謀中将が待ち受けていた。

 鋭い眼差しで詩紋を一瞥し、再び泰明が閉じ込められた部屋に鍵を掛ける。

 その重い音に、詩紋は痛みを堪えるように、眉根を寄せた。

「あれの乞うままに、全てを話したのか?」

 ふいに投げ掛けられた問いに、詩紋は我に返って、中将を見上げた。

 中将は詩紋を突き刺すように見据えてくる。

 詩紋は口元を引き締め、そんな相手を静かに見返した。

「将軍からは許可を頂いています。ですが、中将もご存知でしょう?親衛隊長という肩書きを持ってはいても、僕の知る軍の情報は少ない…」

「……」

 詩紋の応えに、中将は僅かに眉を顰める。

「確かにそうだ…だが、仮にも軍属の者が、軍に不利益になる情報を敵方に流すことを躊躇わないとは…いや…」

 途中で言葉を切った中将は苦笑する。

「これは、君に言うべきことではなかったな。君はただ、将軍の言葉に従ったに過ぎない。詮無いことを言った」

「…いいえ」

 中将もまた、将軍の意図が読めずに、苦悩しているのだ。

 踵を返す中将の後に従いながら、詩紋は部屋の扉を振り返る。

 今度は何時、泰明と会うことが出来るだろうか。

 

 廊下にも厚い絨毯が敷かれた将軍専用の居住スペースを抜けると、合金製の材質がむき出しになった無機質な廊下へと出る。

 その廊下を歩みながら、中将が振り向かぬまま、詩紋に言葉を放った。

「先程、将軍よりレジスタンス殲滅の指令を受けた」

「え?!」

 目を見開いて立ち竦む詩紋に、立ち止まった中将は肩越しの視線を投げる。

「直ちに、我が軍の精鋭が、君の報告にあった本拠地に向かった。今頃は、徹底した殲滅作戦が決行されているところだろう。

また、別の部隊が、レジスタンスに関与した疑いで、御門の身柄を拘束しに、皇宮へと向かっている」

「…ッ!」

「何処へ行く?」

 咄嗟に身を翻そうとした詩紋を、中将が鋭い声で制止する。

「レジスタンスの元へ行こうというのなら、謀反の疑いありとして直ちに射殺する」

 素早く抜いた拳銃を向ける中将を前に、詩紋はどうにか踏み止まる。

 唇を噛み締めて、こみ上げる胸の痛みを堪えた。

「…何処にも…何処にも行きません」

 自分にはその資格がない。

 そう思いつつも、詩紋は痛いほど切実に願っていた。

(どうか…どうか無事で…!)

 

 

 レジスタンス拠点に到着した精鋭部隊は、数を頼みにして、敷地内に潜入した。

 目にした監視カメラの類は、全て破壊しながら、人工の木々の間を走り抜ける。

 外は無人だった。

 敵は建物内部に立て篭もっているのか。

 部隊を率いる将校の指示で、隊員は突入口とした扉を中心に、各々の配置に付く。

 そうして、将校の無言の合図と共に、扉を蹴破り内部へと侵入した。

 だが。

 建物内部も外と同様、異様な静けさに包まれていた。

「探せ」

 将校が短く命じて、隊員たちに、建物内部を探索させる。

「無人のようですね…」

「既に撤退したか…」

 部下の呟きに、将校が唸る。

 すると、隊員の一人が、報告を寄越してきた。

「隊長。鍵の掛った部屋がひとつ見付かりました!」

「何処だ。案内しろ」

「はっ!」

 案内役の隊員を先頭に、連なるようにして、部隊は件の部屋へと殺到する。

 閉め切られた扉の内部からは、小さいが何らかの機械の規則的な作動音が聞こえてきていた。

 将校は考えを巡らせるように、眉根を寄せる。

「どうやら、コンピュータールームらしいな」

 ある意味、レジスタンスの心臓部と言える場所かもしれない。

「よし。開けて中を確かめろ」

「はっ!」

 指示を受けた隊員が、扉脇にある入室認証のセンサーを銃で破壊する。

 次いで、扉にも次々と銃弾を打ち込み、無理やりにこじ開けた。

 隊員たちが数人がかりで扉を引き剥がすその瞬間、将校の耳が微かな電子音を捉えた。

「!待て…ッ」

将校の切迫した声に覆いかぶさるように、爆音が轟き渡る。

爆発の衝撃に身体が吹き飛ばされる最期の瞬間、辛うじて将校が目にしたのは、空の部屋だった。

扉の内側に仕掛けられた爆弾を、確かめることが出来た者はいなかった。

最初の爆発が引き金となって、屋敷の死角となる場所に仕掛けられた爆弾が次々と火花を散らして弾ける。

けたたましい爆音に彩られながら、侵入した敵を道連れとして、レジスタンス本拠地は崩壊した。

 


to be continued
…そんな訳で。 今回は、しやすシーンをメインにお送りいたしました。 というか、ほぼこのふたりしか登場してなくてすみません(汗)。 詩紋は今までやっすんと絡む場面が少なかった(?)し、ここでいっちょう良い夢見せてやろうかってことでね!!←嘘だ。 私はやっすんが書ければ幸せです♪(独りよがり) そして、軍がついに動き出し、一気にピンチとなったレジスタンスですが、本拠地は何故か無人。 彼らの動向は、次回明らかになります。 そして、また、あくやすシーンになるかなあ…という予想(笑)。 back top