Blue 〜angel〜
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「悪ふざけはよせ!」
泰明は抗議の声を上げて、腰に絡まる友雅の腕を遠慮なく引き剥がそうとしたが、
次の瞬間、それが怪我をしている右腕であることに気付いた。
躊躇って手を引いたその隙に、友雅が開いている左手でシャワーの蛇口を捻る。
「…っ!!友雅!!」
あっという間に、頭の先からずぶ濡れになってしまった泰明が睨み付けると、友雅は楽しそうに笑った。
抱き締めた腕は解かないまま、宥めるように色付いた柔らかい唇に軽く口付ける。
「少し乱暴だったのは謝るよ。だけど、少し内緒話をしたくてね」
その言葉に、細い眉を顰めていた泰明がはっと顔を上げる。
バスルームの暖かい雨の音に紛れて、このとき初めて泰明は、友雅の目論見を聞かされた。
この国を侵食する軍部の打倒。
その為に、同志を集め、レジスタンスを結成する。
「我ながら無謀だとは思っているけどね」
苦笑する友雅の瞳には、言葉とは裏腹の強い決意が見え隠れする。
泰明は目を見開いて友雅を見詰めていた。
「取り敢えずは、この街の先にある情報都市に向かおうと思っている。国内では最も軍の干渉が少ない都市だ。
そこをレジスタンスの拠点にしたいと思っているんだ。それに…そこには知り合いのジャーナリストがいてね。
とても正義感の強い男で、彼も軍部が台頭する今の情勢を良くは思っていない筈だ。
できれば彼を仲間に迎えたい」
一旦言葉を切った友雅は、躊躇いがちに言葉を継いだ。
「君にはもっと早くこのことを伝えなければと思ってはいたんだが…」
言葉は曖昧に途切れたが、話の内容に聴き入っていた泰明は、そこに含まれた友雅の迷いに気付かなかった。
それどころか、友雅の話を聞いて、急に目の前が開けたような気がしていた。
「友雅、私も協力する。レジスタンスの一員に私も加えて欲しい」
気付けば彼の腕に縋るようにして、そう言っていた。
友雅と共に、己のような人殺しの道具を生み出そうとするのみならず、天真のような一般民を圧迫し続ける軍を打倒する。
この先己がすべきことを見失い、迷っていた泰明にとって、それこそが新たな目標であると確信できたのだ。
「君ならそう言うと思ったよ」
しかし、泰明の言葉に友雅は僅かに眉を寄せた。
そこで泰明はやっと、友雅の冴えない顔色に気が付いた。
「何故だ、友雅。私は協力してはいけないのか?」
率直に訊くと、友雅は首を振って泰明の濡れた細い身体を更に抱き寄せる。
「違うよ、そうじゃない。君の意志を留めることなど、誰にも出来ない。
ただ、レジスタンスとしての活動は、今まで以上に命懸けのものとなる。私は君を危険な目に遭わせたくないんだよ…」
そう零しながら、我ながら身勝手な言い分だと苦笑する。
「…今、言ったことは忘れてくれ。私は君の意志を尊重するよ。有り難く君の協力を仰ぐことにしよう」
「友雅…」
元の笑顔に戻ってはいるが、歯切れの悪い友雅の言葉に、
泰明は気遣わしげに眉を寄せたが、掛けるべき言葉が見付からない。
そのまま俯くと、友雅が泰明を庇って負った傷が目に入り、泰明はきゅっと唇を噛む。
ふさがりかけてはいるが、まだ紅い色を宿す傷口。
「泰明?」
直接傷口に触れないよう、掌で包むように腕に触れた泰明を友雅は怪訝そうに見遣る。
「私も友雅には危険な目に遭って欲しくない。傷付いて欲しくない。何よりも、私を庇って友雅が傷付くのは…嫌だ」
「…泰明」
そう言いながら、まるで己自身が負った傷の痛みを耐えるように強く眉根を寄せた泰明は、
そっと目の前の広い肩に額を押し当てた。
「それくらいなら私が傷付いた方がいい。元より私の至らなさが招いた、私が負うべき傷だ」
「…泰明!」
そんなことはない、と否定しようとした友雅の言葉を、顔を上げた泰明が首を振って止める。
「分かっている。友雅も私が傷付くくらいなら、己が傷付いた方がいいと、そう思ってくれているのだな」
顔を上げて友雅を見詰める泰明は、優しく包み込むように柔らかく美しい、
それでいて何処か悲しげな微笑みを浮かべていた。
「有難う。私のことをそこまで想ってくれるお前の気持ちはとても嬉しい」
「……」
その淡い微笑に胸を突かれて、友雅は一瞬返す言葉を失う。
有難う、ともう一度噛み締めるように言ってから、ふと気付いたように泰明は言葉を継ぐ。
「そうか。私も友雅も互いを守りたいと思っているのだな。
だが…そうして互いに庇い合うだけでは、いずれ無理が出てくる。
これから成し遂げようとすることが命懸けのものになるなら尚のこと」
友雅に向かって、というよりは己自身に言い聞かせるように考え深げに言葉を紡いでいく泰明の表情は、
次第に真摯なものになっていく。
「…だから、私はもっと強くなる。友雅が守らなくても済むように。真の意味で友雅の手助けができるように」
顔を上げ、真剣で真っ直ぐな眼差しで友雅を見詰めながら、泰明はきっぱりと宣言した。
それに友雅は微笑み返す。
「君は今でも充分に強いし、私を助けてくれているよ」
何よりも、ただ傍にいてくれるだけで、自分の救いになってくれている。
ただ、自分がどんな無理をしてでも、泰明を守りたいだけなのだ。
自分の我儘に泰明が心を痛める必要はない。
しかし、そう言ったところで、泰明は納得しないだろう。
今は、泰明に譲歩することにして、友雅は言葉を継いだ。
「でも、君の言うことは分かる。…そうだね、私も強くなるよ。泰明に心配をかけずに済むように。
君を不安がらせることなく守れるように。互いに庇い合うのではなく、互いに強くなろう」
そう言うと、やっと泰明の表情が明るくなった。
「そうしよう。約束だ」
無邪気に頷いて、首に細い腕を回して抱き付いてくる泰明を、友雅は優しく抱き締め返してやる。
華奢であっても、楽々と銃を扱って確実に敵を仕留めることのできる泰明の腕だが、
友雅にとってはその腕も、細い身体も、透明で純粋な心も、泰明の持つ何もかもが、庇護欲をそそる愛おしいものだ。
もちろん、ただ庇護欲をそそるだけのものではないのだが。
「すっかりずぶ濡れになってしまったね」
笑ってそう言うと、泰明が憮然とした表情になる。
「お前の所為だろう」
「ごめんごめん。だから、一緒に入ろう」
「何が「だから」なのだ。こら、何をしている!」
「服を脱がせてる」
泰明の濡れたシャツのボタンを外しながら、素直に応える友雅の腕を傷に触らないように、泰明が止める。
「私は後でいい。大体このバスルームはふたりで入るには狭過ぎる」
しかし、友雅は止めようとする腕をそれとなく外して、泰明の服をどんどん脱がせていく。
「大丈夫だよ。そんなことより、このまま外に出ては、風邪を引いてしまうよ?そちらの方が私は心配だ」
「誰の所為だ」
観念した泰明が負け惜しみのように、ぼそりと呟くのに向かって、友雅は悪びれずに、にっこり笑う。
「ついでに、身体を洗うのを手伝ってもらえると嬉しいな。何せ、怪我人だからね」
「良く言うものだ」
文句を言う泰明の滑らかな頬が染まっている。
それに引き寄せられるように、華奢な身体を強く抱き寄せながら、友雅は出しっぱなしになっていたシャワーを止めた。
降り注ぐ温かい雨の音が、泰明の微かな声さえも遮ってしまわないように。
結局、いつもより長い時間をバスルームで過ごすことになったふたりが、
そこから出て間もなく、買い物から戻ってきた天真が部屋の扉をノックした。
奥のソファにぐったりと寝込んで、動くのも億劫そうな泰明の代わりに、友雅が扉を開ける。
「おう、飯買ってきたぜ。それとこれが、傷薬と包帯だ…何だ、シャワーを使ったのか」
上半身裸で濡れた髪の友雅を見て、天真が何気なくそう言う。
「ああ。いいお湯だったよ、有難う」
「それは何より。ところであんた着替えは?」
「それが今はなくてね、途中で買おうと思っていたところだったんだが」
失念していた、と苦笑する友雅に、天真は気前よく申し出る。
「じゃあ、明日にでも買って来てやる。取り敢えず今日は、俺の服を貸してやるからそれを着ろよ」
「すまないね」
「別にいいって。泰明は?」
「私の分も頼みたい」
出てこないのが気になったのか、天真が部屋の奥に向かって呼び掛けると、
泰明が疲れを感じさせない凛とした声で応えた。
応えるだけではなく、ソファから起き上がり、少々覚束ない足取りながらも扉に向かってやってくる。
「こらこら、泰明」
しかし、若干慌てたように、友雅がこちらに来ようとする泰明を止めた。
着替えの用意もないまま、服を濡らしてしまった泰明は今、素肌に友雅のシャツ一枚だけを纏ったしどけない姿である。
当の泰明は全くの無頓着だったが、流石にこの際どい姿を他の男に見せる訳にはいかない。
「君は今は奥にいなさい」
やや強く言うと、友雅を挟んで扉側にいる天真と、部屋の中にいる泰明までもが怪訝そうな顔をする。
事情を知らない天真が不審がるのは無理もない。
しかし、当の泰明までもが、不思議そうに問うてくる。
「?何故だ、友雅」
面と向かって訊かれても困る。
泰明のこうした無邪気さ、無頓着さは、彼の持つ数ある美点のひとつだが、少しは自分の魅力にも気付いて欲しいものだ。
シャツの襟元から見える素肌や、裾からすんなりと伸びた剥き出しの脚は、
友雅にとっては愉しい眺めだが、天真にとっては目の毒でしかないだろう。
それに、事態が一層険悪になりそうな気もする。
「理由は後から説明してあげるから。さ、早く」
溜め息を吐きつつ、とにかく奥に戻って貰おうと友雅は泰明を促したが、遅かった。
「何、揉めてるんだよ」
不審を通り越して、不愉快そうな表情となった天真が、友雅の肩越しにひょいと部屋の中を覗き込んだのだ。
「………」
そこで目に入ったのは、友雅同様、婀娜な濡髪に大きめのシャツ一枚だけを纏った泰明の姿。
となれば、先程までふたりが何をしていたのか一目瞭然である。
一瞬呆然とその姿に見入った天真の表情が、先程よりもさらに険しくなった。
途端ぴりっと張り詰めた空気に、友雅はそっと視線をあらぬ方に向ける。
「???」
しかし、泰明は訳が分からない。
ただ、友雅が何も言わずに立ち尽くしているので、近付いてもいいのだと判断し、
険しい顔で黙り込んでしまった天真を不思議に思いつつも、彼が持ったままの荷物を受け取った。
「有難う、天真」
「…あ、ああ…!」
やっと我に返った天真が顔を向けると、泰明がにっこり微笑んだ。
思わず見惚れるほど愛らしい笑顔だが、向かい合う泰明の白く細い首筋に見たくないものを発見してしまう。
「着替えを持ってくる」
その紅い華のような跡から目を逸らし、不機嫌な表情を隠すように天真は身を翻した。
勢いよく扉が閉まった。
「…やれやれ」
友雅が苦笑する。
天真が身を翻しざまに、また目が合ったが、先程よりも一層鋭い視線に刺されてしまった。
まあ、仕方あるまい。
「どうしたのだ、天真は急に…」
心配そうに言う泰明の肩を優しく抱いて宥めつつ、友雅は部屋の扉をちらりと見て、もう一度苦笑した。
その扉の向こう側では、天真が険しい表情のまま動けずに立ち尽くしていた。
自分でも意外なほど、先程の泰明の姿に衝撃を受けていたのだ。
しかし、ふたりの関係を思い知らされようとも、泰明への気持ちは抑えようもないし、諦められるものでもないのだ。
「…ああ、くそっ!!」
明るい色の髪を掻き毟るようにしながら、苛立ち紛れの一言を発して、
天真は着替えを取りに行くべく自分の部屋へと走った。
らぶしーん不発…ですかね? まあ、いつものことと失笑されてる方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)。 今回のポイントはですね、バスルームにともやすという、 どう考えてもいかがわしい(?)状況でのらぶシーンを、 如何に爽やかに見せるか…ということだったのですよ。 個人的には、半分成功して半分失敗したような気がします(苦笑)。 どっちにしろ、シャワーを止めた後は、いかがわしいことをしてたんでしょう!(断言すな/笑) どんなことをしてたのかは皆様のご想像にお任せします!!(逃げ) そして、天真登場辺りからコメディチックな展開へ。 報われない天真が可哀想ですね〜、あはは(笑うな)。 でも、ふたりの面倒を見ることを放棄しない辺りやっぱりいい奴です。 閑話休題。次回からはシリアス一辺倒な展開に戻ります。 あと、一話か二話で一区切りつけられそうです(これは言っといても大丈夫だろう/笑)。 top back